情を交わすという言葉は正しくない。最中の彼にあるのは限りなく純粋な肉欲そのもので、そのほかに色々在るような風もあるがそれは私と交わすようなものではないので除外しておくとする。私に至ってはくの一の「色」の練習として彼の相手をしているに過ぎない。お互い情など微塵も感じていないのだ。生々しさの最たる行為を行っているのにもかかわらず、私たちの交りはどうしたって無機質である。暴力以外は、何をされても何の感覚も沸いてこないので大体彼に抱かれているとき私の思考はなんの取りとめもない。明日の朝餉のことを考えていることが多い。一応濡れるし息も上がるし汗もかくが、そこまでだ。彼としてはそこが私を相手に選ぶ最大の要因だという。声を出されるのが厭なのだそうだ。難儀な男だと思う。この世に最中になにも感じない女なんて一体何人いるというのだ。

私の髪を背後で弄くる男は、何もかも了解済みであるように笑う。私たちの間に微笑める了解済みな事柄というようなことはとても稀なので、ただそういう笑いかたなだけだろう。早く帰れば、と思う。雨戸を小さく上げられた窓の外では月も隠れて空の紺を濃くしている。私にとっての彼は、鉢屋三郎は非常にかったるい人間だ。日常の彼はとにかく煩い。私は文机の上の筆をとって墨に浸し、適当な紙の裏に大きく情、と書く。私たちに決定的に欠けているのはこれだ。乾くのを待って四つに折り、寝転んだ鉢屋に渡した。

「あげる」
「何?」
「私たちに欠けたものをかいてみた」
「・・・字下手だなお前」
「うるさいなあ。鉢屋も書いてみろ」
「厭だね。僕はお前相手に情なんかいらないし」



私もいらないというか沸かないのだが、敢えて言うことでもないので黙殺した。鉢屋の一人称はころころ変わる。怒っているときや苛立っているときは俺で、格好つけているときは私で、不破雷蔵のことを考えているときは僕になる。最近漸く分けられるようになって、中々面白い。意外とわかりやすいんだなあ、みたいな。鉢屋は紙を破り捨てようとしてやめて、結局畳んで懐に収めた。てっきりぽーいと捨ててしまうと思ったのだが。彼はそこかしこに塵を放り捨てる。自分の部屋はぴかぴかなのに。


「いらないのではないの、鉢屋」
「貰っとくよ。ご利益ありそうだし」
「ないよ」



私は何処の神様か。しかし鉢屋は乾いた笑いを零すだけで紙を捨てることはしなかった。日替わりの顔は今日は何故か土井先生なのだが、優しげな造りの奥の瞳だけが鉢屋らしく剣呑でバランスが悪い。土井先生はやめたほうがいいなあと思う。あの浮世離れした柔和さを出すのは至難の技だろう。鉢屋は、私を抱くときに絶対に不破の顔を使わない。最中は大体真っ暗なのでどんな顔して立ってわかりはしないのだがそれだけは頑なに守っているらしい。私よりずっと節操のある人なのかもしれないと思って私は笑った。

「なんにでも縋りたい気持ちなのさ」

そう呟いて彼は立ち上がった。私は、なにがと尋ねる間でもなくそれを解っている。首を突っ込んでやる気もないので、黙って肩を竦めてみせた。去り際の鉢屋の顔はいつも笑っているのにどこか悲痛である。彼は虚しいのだ。私は肉の絡まぬ彼の恋情を思って目を閉じるのだがそれはうまくいかない。肉が絡んでも解らないのだから私にはレベルが高すぎる。どうしても明日の朝餉のほうへ思考が流れてしまう。そろそろ私も眠ろうかと立ち上がると、先ほど散々酷使された所為で腰が悲鳴を上げていた。






(所詮紙屑程度です)