わりに深刻な痛みと熱を孕んだ足首を掲げて患部を診ているが逆光で足は焦げた焼死体のそれのように見える。じりじりと照りつける真っ白い御天道様ばかりが否が応にも目に入って網膜を痛めていく。折悪く昼時で太陽は真上にあり日差しを防ぐ手は文字通り己が手しかない。日陰にうつろうにも屋根のある場所に動くことすら今の私には許されていないのだ。只普通の地面よりは土が湿っていて多少涼しいのでそれだけが救いだが、しかし地面に寝転んでいたのならすぐさま起き上がって片足でもなんでも長屋までぐらいなら歩けたはずであり現状より遥かに早く全てが解決しただろうし、というかそもそも普通に地上にいて足を捻るということは過酷な実習でもない限りめったにないので、このような問題すら起こらず、私は今頃食堂でから揚げ定食でも食べていたに違いない。から揚げ定食は人気なのできっともう売り切れていることだろう。世界の全て、特にから揚げ定食を食べている世界の中の全てが腹立たしい。動けないとわかると余計に腹が減り酷く惨めだ。もう全てが嫌になった私は溜息をついて体の力を抜いた。

通算23回目の綾部喜八郎の穴の中である。天才トラパーなどと呼ばれて同じ穴の狢どもに甘やかされているがあの男、実際は只の変態であろう。穴掘り小僧という何処となしに卑猥な綽名が非常に適当で的確にあれの存在全てを表している。絶世とつけても実物に及ばぬ、筆舌に尽くし難い花貌であるにも関らず全く女に好かれない理由は言わずもがな、あれの中身が日常生活を営むにも支障を来す程度に奇矯であるからに他ならない。美形の子を産むことを画策して男を選ぶ位の老獪さは普通に持っているだろうくのいちの面々ですらこいつと平、田村だけは避けるというのだから斉藤タカ丸を除いた四年の面子の強烈さたるや。小野篁もかくやあらん。同学年三人揃いも揃って頭がおかしいというのだから生まれ年に天変地異でもあったのだろうかと疑われても無理はない。同年のくのいちは私を含めわりあい常識的なので只の偶然なのだろうけれども。しかし変人奇人の類も構いはしないが、他人に迷惑をかけずに生きて欲しいものである。平や田村の長ったらしい自慢はぎりぎり許せるとしても綾部の穴掘りは実害が出るので看過できない。現に私は23回目の落下である。しかしそれは断じて私が間抜けだからではない。綾部は私を狙って落としているのだ。

あの男なんの恨みがあって私の通り道に穴を掘るのであろうか。奴の穴掘りは大抵場所を選ばず恣意的なのであるが、私が的にされているのは平も認めるところだ。しかも昨今は段々と容赦がなくなってきていて非常に迷惑である。今度とて罠を示す目印の一つもなかった。南蛮の神は『穴を掘る者はみずからこれに陥る。 』などと言うそうだが嘘である。穴を掘る綾部喜八郎はけして穴に落ちない。私はもう何度もあの男の通り道に報復として慣れぬ落し穴を掘っているが引っかかるのはタイミングの悪い保健委員のみだ。先日も善法寺先輩を図らずも落としてしまったのであるが、詫びを入れつつ彼を救出したときふらりと現れた綾部はいつもの飄然とした面持ちで私の救出活動を眺め、先輩が地面に出るとふっと口元を緩めてから去っていった。私が歯茎から流血するほど歯軋りをしたのは云うまでもない。なんなのだろうかあれは。思い出すだに腹が立つ。何故私はこのように成績も中の中、教科も実技もぱっとせず、只管穴掘りにだけ特化した阿呆に勝てないのだろうか。

「おやまあ」

物思いに耽っていると急に日が翳り、上を向いたら、綾部喜八郎、来ずとも良いのに覗きに来たり。頭皮が日に焼かれつづけていることに限界を感じ始めていた身としてはその影のみは有難いが、どうせなら食満先輩とか、ああいう人畜無害な性質の人間に来てほしかったものだ。よりにもよって穴を掘った本人に助けを乞わなければならぬとは惨めさも一入である。私は逆光に黒く塗りつぶされている綾部をじとりと眺めた。闇にぼやかされてすら目鼻立ちの整い方は誤魔化されない。また落ちたんだねと存外低い声が云う。飄然としてはいるが笑いを含む喋り方に腹が立つ。綾部は肩に鋤を担いでいて私を助けようともしない。救出を乞うのが癪な私は舌打ちをし、負け惜しみを承知で毒を吐く。

「こんなことばっかりやってっから女にもてないんじゃないの」

すると綾部はそのはっきりした目を二度瞬き、暫しの沈黙が降りた。まさかこいつに限ってこんな低レベルな悪口で効果があったのかしらんなどと思っていると綾部は黙ったまま鋤を地面に置きこちらに手を伸べてくる。私は非常に驚いて半ば反射的にその手を取った。土にまみれ、胼胝だらけのごつごつした固い手である。想定以上の熱さに少し吃驚していると私の手を掴んだ綾部は普段の穴掘りの副産物であろう怪力で私の腰当たりまでを穴の外まで持ち上げてしまった。わ、と、思わず声が漏れる。足は浮いている。片方だけ引っ張られた肩が酷く痛み咄嗟に穴の淵に足を付こうとしたが、叶う前に腰に手を回されて引き寄せられ、タイミングがずれて足は穴の中の宙を掻いた。抗議しようと口をあける直前に日の下では一層鮮やかな花貌が目前に近づき、唇に柔らかい感触。口の中に土の味がしたのと綾部が私の手と腰から手を離すのはほぼ同時だった。どさっ、という音と共に再び穴に落とされた私は背中をしたたか打って息が止まり、一拍置いて咳がこみ上げてくる。ひとしきり咳き込んでから呆然として地上を見上げると、綾部は穴の淵にしゃがんで私を助ける気なんぞ微塵もない様子で鋤を肩に担ぎ嫣然と笑う。

「お前がいればいいよ」

私が呆けている間に綾部は元の無表情に戻ると、恬として恥じぬ様子で立ちあがり、鋤を担ぎなおして去った。かたや私はと言えば、せめて助けていけとすら、口に出来たのは平が気付いて走ってくる頃のことだった。




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