お前は常識が方向音痴だ!と作兵衛は言う。彼がぷりぷりと怒っているのはさきほどの授業のときに木陰に隠れてわたしがこっそり作のほっぺに口付けたからで、それからもう一時間も経っているのに作はまだほっぺに手を当てていて顔が赤い。赤面は怒ってるせいだけではないとわたしは考えている。というか本当はそこまで怒ってないに違いない。作はわたしと二人きりの夜なら口付けだってもっと濃いものを普通にするし身体も重ねたのに、昼間は何処までも初心なのだ。昼は処女、夜は娼婦という言葉を思い出す。いやこれ普通逆だけど。わたしはどちらかというといつも娼婦だ。よろしくないと思いつつ、だけど作がかわいいのがいけない。

昨日みたいにわたしが作の知らない男の子とちょっとお話しただけで、お得意の妄想力を遺憾なく発揮してぐるぐるしてしまったりとか、本当にどうしようもないし、わたしは一体どれだけ信用がないのかしらと思わないでもないのだけれど、そういうちょっとおばかなところとかも、たまらなくいとしくなってしまう。大きな身体で、木材を何本も軽々とかつぐ肩を丸めて、「好きなやつ、できたのか・・・?」とか聞いてこられると、むかつく前に押し倒したくなる。引っ込みがつかないまま一時間怒ったふりをしてしまうことも、わたしが誰かほかに好きな人を作ってしまわないかいつも心配しているところも、大好き。ただわたしに好きな男ができたとしたら、やさしい作は多分簡単に手を離してしまうだろう、それだけが不満だ。肉刺だらけの大きな手に自分の手を重ねて、ごめんねと呟く。案の定べつに怒っていたわけでもなかったらしく、作はわたしの手をぎゅっと握って、

「・・・もうすんなよ。」

と言った。それはちょっと約束できない。

「授業中はダメだ」
「うん」
「見られたら面倒だぜ」
「わたしはいいけど」
「俺はいやだ」

作はわたしの手を引いて自分のほうに引き寄せて、それからぎゅっと抱きしめる。わたしはがっしりした肩に顔を埋めて目を閉じた。作の匂いがする。このまま溶けてしまいたい。わたしは作が大好きなのだ。作のためなら死んでもいいぐらいには。わたしがほかの男の子と話すのを見て、不安になるのはいっこうに構わない。わたしは何度だってその誤解といてあげるから。でもその先のことまで考えるのはやめてほしいなとわたしは思う。いつでもわたしがいなくなっていいように、わたしが別の誰かに乗り換えたとき周りからとやかく言われたりしないように、作はいろんな布石を打っているのだ。まわりにばれないように付き合ったりとか、馬鹿げてる。バカだ。やさしいのはいいけれど、わたしは少し悲しくなってしまう。わたしは作に好きな人ができたら多分死んでしまうだろう。遊びでもいいから傍にいたいと思うだろう。そういうことを、このひとは全然、まったく、わかっていないのだ!

「作」
「ん?」
「わたしがもしも他の男の子に気をとられるようなことがあってもね」
「・・・・えっ」
「作はわたしの運命の人だから、わたしを離したりしないでね」

作は腕に力を込めた。指が背中に食い込んで骨が少し軋んだ。髪を撫でる手が心地いい。暫くの沈黙のあとに、作はおう、と消え入りそうな声で頷く。襟元から伸びる首はさっきよりもっと真っ赤だ。ゆっくりと身体を離して、作のほっぺに口付ける。作は今度は怒らなくて、熱の篭った眼がわたしを捉える。丁度いい。さっきから天井裏でこそこそしている左門と三之助にわたしたちの恋の証人になってもらうことにしよう。わたしは作の吐息を感じながら眼を閉じる。



(ゼロ地点突破)




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何がゼロ地点突破って丙がですけど. 限界だよ甘さ