本当の歳は知りません。ただあの人とは親子ほども離れていたことでしょう。わたしは戦で親を失い、家を焼け出された孤児で、彼は養い親でした。拾われた日のことを昨日のように覚えています。わたしは飢えに飢えて、妊婦のように膨れた腹を抱え、見世棚に並ぶ胡瓜を一本掴んで、獣のように走っていました。店主が、犬猫除けの長い棒を振り回して、市場の喧騒の中を追いかけてきました。わたしは口に胡瓜を突っ込んで、しゃくしゃくと音を立てて噛み千切って、何を考えていたのでしょう。情景ばかりが蘇りますが、不思議と当時の自分の気持ちはわかりません。楽しいことなんかひとつもなかったということぐらいしか。楽しいという言葉すら知らなかったやもしれません。わたしは曲がり角で躓いて、地面に倒れ付しました。噛み砕いた胡瓜が口から飛び出て散らばっていました。振り返ると般若のような顔をした店主が、わたしに向かって棒を振り上げているところで、わたしは反射的に目を閉じました。耳を劈くような音がしましたが、痛みはいつまでたってもやってきません。のろのろと目を開けると、そこににこにこと微笑んだその人の顔がありました。そのひとは、店主に胡瓜のお金を払い、わたしの手を取って、わたしを家まで連れ帰り、ご飯を与え、身繕いをさせ、寝床を与えてくれました。わたしはその人に育てられた最初のこどもです。わたしより先に彼の世話になっていたという方はたまにそこを訪れましたが、もう一緒に暮らしてはいませんでした。


わたしは彼を先生と呼びました。彼はわたしになんでも与えました。本当になんでもです。寝床も食料も衣料も教養も愛情も真心も幸福も、わたしは彼から与えられました。わたしは字を習い、算術を習い、料理を習い、洗濯を習い、掃除を習い、歌を習いました。彼は貧しい身の上を責めましたが、わたしは満たされていました。数年が経ち、彼はまたわたしと同じような子供を拾ってきました。わたしはその子を彼がわたしにそうしたように慈しみました。戦乱の時代です。そのようにして子どもの数はどんどん増えました。わたしはみんなを愛しました。やがて彼の家で生活するのが難しいほどの数になると、かつての彼の教え子である方々と、彼とともに暮らしていた方が、どこからか廃寺を見つけてきて、そこに暮らすよう進めてくださいました。わたしたちは皆で少ない家財を抱えてその寺に越しました。荒れ果てた寺でした。雨漏りもしました。蜘蛛が巣食っていました。ですがそんなことは気になりませんでした。いつしかわたしは彼がわたしに与えてくださったように、彼になにかを与えたいと願うようになりました。


彼に拾われてから10年が経ちました。髪は黒々と伸び、胸は柿の実のように膨れ、わたしは大人になりつつありました。近くの村の子どもは、かつてわたしを見るたびに石を投げていたのも忘れて、目があうと途端に、慌てたように逸らすようになりました。わたしは彼によって美しい子どもに育てられていたのです。やがて隣り村の大人たちが彼にわたしのことではなしをしにやってくるようになりました。彼は初め慌てていましたが、困ったように笑っていました。わたしはあせりました。何処へも行きたくなかったのです。わたしは一生彼の傍にいるつもりでした。そんなことが続いたある日、彼はわたしに縁談を進めました。わたしは耐え切れずに、生まれて初めて彼に我侭をいいました。


わたしを先生のお嫁さんにしてください。


彼は黙って自分に縋りつくわたしの頭を撫でていました。優しい指でした。どこまでもやさしく、肌に染み渡るような声で、噛んで含めるように、彼はわたしを諭しました。わたしはとても綺麗で、いい子に育って、なんでもできる、自慢の娘なのだと。美しい女性は、然るべき所にお嫁に行って、幸せにならなければならないのだと。わたしは了承しませんでした。泣きました。毎晩泣きました。先生はわたしが泣くたびにわたしの頭を撫でて同じように、同じことを言いました。


初めに泣いた夜から二年が過ぎました。わたしはもう完全に大人で、彼を訪れたかつての教え子の方々は、驚いたようにわたしを見ました。異形を見るように。教え子のうちの一人が、知り合いだという男を伴ってきたときのことです。その男はひと目私を見るなり、日が暮れて帰るまでずうっとわたしを見ていました。いい気はしませんでした。それから数日経って、彼はその男をわたしに引き合わせ、男との縁談を勧めました。その頃のわたしはもう泣くことはなくなっていました。わたしは静かに首を振りました。しかし、男は思いつめたようにわたしの手を取り外へ連れ出して、わたしがどんなに美しいかについて細密に語るのです。自分がどれほど裕福か、自分の家のある都がどれほど良い場所か、自分がどれほどわたしに焦がれて、わたしを幸せにする準備があるか、男の語ることは尽きることがないように思えました。


彼が帰り、わたしが家に戻ると、こどもたちはもう夕餉を済ませ、彼はひとりで片付けをしていました。わたしは彼に尋ねました。わたしはいないほうがいいのでしょうかと。彼は薄く笑って女の子はお嫁にいくものだよと答えました。幸せになりなさい。君はそのために生まれてきたのだから。


わたしは男に嫁ぎました。男は約束を違えませんでした。わたしは男に愛され、子どもを身篭り、美しい調度や、煌びやかな着物に囲まれて暮らしました。雨漏りもしませんでしたし、蜘蛛もいませんでした。手を荒らして家事をする必要もなく、わたしは本を読んだり、花を愛でたりしながら、日々をゆるゆると過ごして、年老いていきました。子どもたちは皆善良に育ち、娘はお嫁に出て、息子は嫁を貰い、孫を産みました。夫は早くになくなりましたが、姑や舅は親切で、粗野な出のわたしをさげすむこともなく、いつくしんでくださいました。分不相応に、幸せな生涯だったと思います。絵に描いたように。もしもわたしの結婚生活は全て夢で、目が覚めたらあの見世棚の店主に殴られて昏倒していたところだったとしても、わたしはさほど驚きはしないでしょう。そのぐらい、果報の極みでございました。


なのにいま、わたしが思い出すのは、わたしの乗った牛車に向かって手を振った、あの人の笑顔だけなのです。わたしは間違えなかったのでしょうか。あのときわたしは噛り付いてでも、彼のもとに留まるべきだったのではないでしょうか。わたしは本当に幸せになるために生まれてきたのでしょうか。彼の傍にいられたなら、どんなに不幸でもかまわなかったように思うのです。わたしは彼の傍で泣きながら生きていくためだけに生まれてきたような気がするのです。どうしてもそんな気持ちが拭えないのです。もう全部終ってしまったことなのに。目を閉じるとあの笑顔が浮かびます。


ねえ先生。会いたいです。帰りたいです。今すぐに。





(世界で一番だいすきです)