まあ、しようのないひとですから。女の人はその日の天気でも見ているような口調でそう言ってお茶を啜り、膝の上に乗せた子供の頭をぽんぽん撫でた。見た目は全然似ていないのに、年の割りに目元の涼しげなその子供は母親譲りの気質なのか、へにゃりと笑って目を細める。さっきまでわんわん泣いて大変だったのに。母親は偉大だ、と俺が呟くとさんはくすくす微笑んで息子に向い、いいおにいちゃんが出来てよかったねえと言ったので、酷くくすぐったい気持ちになった。綺麗に弧を描く唇は紅を乗せられているわけでもないのにとてもつややかで、とても一児の母には見えない。俺は平静を装いながら居心地の悪さを誤魔化すみたいに座り直す。さんはそれに気付かないふりをしたのか、窓の外の快晴の空を眺めていた。綺麗で、気立てが良くて、優しくて、こんな嫁さんがいたらそりゃあ幸せだろうなあと俺は思った。優しげに息子の髪を撫でる手はしなやかだ。


「照れるなあ」
「へ?」
「そんなに穴の開くほど見つめられたら。何か付いているかしら」
「え、いや違!」



俺は大慌てで首を振りながら後ずさる。忍とは思えない情けなさだが、此処へ来ると気のゆるむ自分が嫌いではないので仕方が無い。口を押さえて暫く黙っていると後ろで土井先生の呆れたような声がした。手に持ったお盆にはさんが持ってきてくれた牡丹餅が乗っている。


「なあにしてんだ、きり丸」
「いやちょっと色々ありまして・・・」
「すいませんさん。失礼な奴でしょう」
「はは、とんでもないです。良い息子さんで、羨ましいな」



息子さん、と云う単語に俺はまたも赤面してしまう。いつもなら軽く流すのに。調子を狂わされっぱなしだ。土井先生が特に否定しないでそうですかと言ったので更に耳が熱くなる。ああもう困ったと腹の底から息を吐いたら、さんの膝の上でまあるい子供が小さく唸った。心配しているみたいな感じで。小さな手に向けて軽く手を上げて、土井先生は牡丹餅の皿を自分とさんの間に置いて腰を下ろした。俺も隣に戻って自棄にかしこまって座った。いただきます、と間髪居れずに皿へ手を伸ばすと、お前はそういうところ変わらんなあ、と土井先生が溜息混じりに言った。いつもの調子で頭を掻く。口に入れた牡丹餅は甘くてとても美味しい。


「おまえも半助さんときり丸兄さんを足して二で割ったような良いお兄さんになるのよ」
「あう」


さんが牡丹餅を息子に食べさせながら言った言葉に俺は餅を吐き出しそうになって慌てて茶を啜った。土井先生も苦笑のような微妙な表情を浮かべている。

「・・・・なかなか良い性格ですねえ」
「まあ、良く言われます」
「利吉君もよくこんなひとを捕まえたなあ」
「顔にやられました」


悪戯っぽい笑い方でさらりとそんなことを言うので俺はこんどこそ噎せて噴出した。土井先生は咎めずに無言で背中を叩いてくれた。さんはずっととても楽しげに笑っている。子供の小さな手が着物を握り締めるのが視界の隅に入った。俺は口を押さえたまま力を抜いてごろりと床に転がる。先生が行儀が悪いというが、拗ねたみたいに黙殺した。上目遣いにさんを見る。


「・・・利吉さんに逢ってないんですか?」


さんははあ、とどちらとも判別しにくい気の抜けた相槌を打った。


「この前まで私の居ない間にお金やらお米やら、置いて消えていくという座敷わらしさんみたいなことをしてたのですけど。最近は私は家を引き払ってこのこを探して放浪していたので、その後は知りません」
「駄目男代表みたいになったなあ。利吉君」
「エリートは挫折に弱いんでしょう。育ちはいいみたいですし、そのうち改心してくれるんじゃないですか」


まあ、が多くて、なんだか適当だ。俺は起き上がって利吉さんに良く似た子供の顔をまじまじと見つめる。三ヶ月ほどまえに、利吉さん本人が土井先生の元へ連れてきたこどもだ。年はまだ二つだという。小さな手のひらが俺の顔をぺちと叩いた。

その母親だというさんは、つい先ほどこの孤児院の戸を叩いて、母子感動の再会になったわけだ。それまで一度も泣かなかった幼子は、母を見たとたんに堰を切ったように泣き出して、目元は泣き止んだ今でも赤いままだ。どうやら利吉さんは自分の子供を生んださんの下から勝手に連れてきて此処へ預けたということらしい。昔はかっこよかったフリーの忍者もいまじゃすっかり駄目男。俺は諸行無常を嘆きながら子供の背中を叩いてげっぷを促すお母さんに向って小首をかしげた。最初からずっと気になっていたことだ。


さん利吉さんのこと怒ってないんですか?」
「怒ってますよ。とっても。こども連れてっちゃったんですからね。」
「あたりまえですよね」



土井先生が感慨深そうに頷く。さんは大きな目をくりくりと見開いて冷笑した。俺は背筋が凍った。


「大方こどもつきだと結婚も難しかろうとか余計な気を回したんでしょうけれど」
「そこで私を頼るところが利吉君の利吉君たる理由だよなあ」
「あのひとに育てられても困りますけどね。ほんとに馬鹿なんだからもう」


ふう、と嘆息して息子を抱き直すさんの、馬鹿なんだから、という言葉にはどうしようもない愛情が篭っているような感じがする。土井先生が笑いながら、利吉君がまたやってきたらどうするんです、と聞いた。はじめから答えを知っているみたいな言い方だったので驚いた。俺がさんなら問答無用で蹴り飛ばすけどなあ。


「ゆるしますよ」


さんが少し膨れ面をして、好きなんだものあの顔、と続けたので、俺と土井先生は揃って茶を噴出した。「しようがないのです、わたしも。」


(シュールリアリスト)