が教室で泣いていたのでハンカチを探してポケットに手を突っ込んだのだが、生憎出てきたのはズボンと一緒に洗濯された吐き捨てられたガムを包んだ銀紙の玉としわくちゃのレシート2枚だけだった。他人事のように、男子高校生だなあと思う。しかたがなく俺は役に立たないそれらをあるべき場所、つまりゴミ箱に放り込んで、伸びたカーディガンを引っ張って掌を覆い、の顔をごしごしと拭いた。の泣き顔は、嗚咽も漏らさず、鼻水も垂らさず、唇をゆるく噛んで、静かに涙だけを流すから、すごく綺麗だと思う。は、黙って、俺の手をばしりと振り払った。この気の強い女が涙を流す理由を、俺は鉢屋以外に知らない。また鉢屋に振られたの、と俺が笑うと、はじとりと疎ましげに俺をにらんだ。彼女は俺のことがあまり好きじゃない。彼女のかなわない恋をこの世界で唯一知っているのが俺で、は多分弱みを握られたと思っているのだろう。

「文句でもあるの?」
「無いよ」
「じゃあ消えて。私は感傷に浸りたいの」

その言葉に俺は苦笑する。浸りたいって、自分で言うことだろうか。の言動はいつもそうで、言葉の端々に自嘲が滲み出ている。自分への評価が低い。自分が幼馴染の鉢屋や雷蔵と違うものを見つづけてきたことを、彼女はずっと引け目に感じているらしい。真面目なんだ。かわいいなあと俺は思うけど、同時にイライラする。は瑣末なことを気にしすぎているのだ。例えばハチが「百合もののAVって受け付けないんだよな」と言ったとき、彼女は明らかに動揺してた。俺は贔屓なので、取り敢えずハチの顔を雑巾をつけてあったバケツに突っ込んで黙らせたけれど、やっぱり問題はのほうにあるだろう。

彼女は、男だとか女だとかいうことを結構気に病んでいるようだけれど、そもそも同じものを同じ見方で見られる人間なんかいるはずがないし、人と違うということについて、異常だとかおかしいとか煩く言う奴は確かにいるが、それは煩く言う奴のほうがおかしいのだ。気に入らないものからは黙って目をそらせばいいものを、態々言い立ててくるような奴にまともな人間はいない。何をどんな風に好きになろうが、どんな風に嫌いになろうが、全部自分の勝手だし、引け目に感じる必要なんかどこにもない。俺は女の人を縛って天井の梁に括り付けていやらしいことをして踏み躙るビデオを見るのが好きだけれど、それを嫌う人が悪いとは別に思わないし、俺のことを気持ちが悪い、病院へいくべきだという奴がいても、そういう奴とは速やかに縁を切ってやろうと思うだけだ。

要するに、はもっと自由になってほしい、と俺は思う。彼女は三郎や雷蔵を心配させないために、その恋心を公開する気はないようだけれど、そういうやさしい心がけの自分を、もっともっと愛せばいいのだ。寧ろ言っちゃってもいいと思うけどね俺は。鉢屋に。「あんたのこと好きだったのよ」と。あいつはもっと自分の果報を知ったほうがいい。

「・・・・帰らないの?」
「うん、帰んないよ」
「女の子たちが待ってんじゃないの」
「だってが一番好きだからさ、俺」

は俺の渾身の告白を、眉を不機嫌そうに寄せて受け止める。冗談やめて、とにべもなく切り捨てる。本気なんだけどなあ。俺は好きでもない女が泣いてても傍に寄ったりしないんだ。この場でいくら言葉を重ねても、信じてもらえないとは思うけど。俺は財布を出して、中から美術展のチケットを取り出す。別の女の子に誘われたんだけど、いいだろう、謝ってお金を返せば許してくれるだろうし、許してもらえなくても本当はかまわないから。

「気晴らしにこれ行かない?」

そろそろ笑った顔が見たい。彼女は真面目でやさしいから、「道義的に、女の子に恋をしてはいけない」と思うのだろうけれど、俺は不真面目だしやさしくもないので、「道義的に、弱っている女の子を口説いてはいけない」とは思わないのだ。ほらね、俺のほうがずっと最低だけど、俺のほうがずっと自分を愛してるし、人生を楽しんでいる。やりたいようにやればいいんだと知ればいい。ぼんやりと腫れた目で印象派展のチケットを眺めるに向かって俺はにっこり笑った。泣くなら俺のために泣け。俺のことを好きになれ。

「これ2組の女の子に貰った奴じゃないの」
「違うよ。を誘おうと思って買ったんだよ」



(先行投資)