私は腹の中に絶望を飼ってる。私がうんと小さなときから。子供は清らかで守ってあげなければいけないものだと言って、エッチだったりグロテスクだったりする漫画やアニメを規制する人たちを見ると、本当に莫迦だと思う。私は子供の頃、エッチだったりグロテスクだったりする漫画もアニメも知らなかったけれど、私の心の中はずっとぐるぐるぐるぐるしていたし、どろどろで、性のことや人の生死のことを何も知らなくったって、勝手にエッチでグロテスクだった。あの人たちは、自我が芽生えてからひと時でも、自分が清らかだったと言い切れる時期を持っていたのだろうか。私にはそんなものなかったし、だから子供が清らかだなんてまったく思えない。

小さくても大きくても、苛立ちは水銀のように身体に溜まる。物心ついたときから感じていたぼんやりとしたそれは、成長するにしたがって降り積もり、小学校にあがるころには、はっきりした形を取って私の腹に巣食ってた。わたしの、絶望。

たとえばそれは幼稚園のとき、私と三郎の制服がスカートなのに、雷蔵のそれだけズボンだったこと。私と三郎は髪が長いのに、雷蔵だけ短髪だったこと。私と三郎はトイレに一緒に行けて、雷蔵は一人で行かなければならないこと。小学校にあがったとき、雷蔵の並ぶ列は私と三郎とは違ったこと。私と三郎が女で、雷蔵が男だということ。女は子供を生むことが出来て、生理がくること。女の子と男の子が一緒にいたら、大人からも同級生からもあんまりよい風に言われないこと。

第二次性徴と思春期の全てが、私の絶望を育て続けている。高校生になって、生理にも慣れて、男の子と女の子が一緒にいても、あまり表立って糾弾されるようなことがなくなった今でも。

三郎の綺麗な足が制服のスカートから伸びている。三郎は胸がおおきい。三郎は化粧をしなくても綺麗なのに化粧をする。私は足が細くない。胸は小さい。化粧は面倒だからしない。三郎はいつも、私に、ちゃんとすればかわいいんだからちゃんとしろと怒る。雷蔵は男の子の足をしてる。私たちよりずっと長い。男の子だから化粧はしない。胸板は見るより触ったほうが、厚いのだとわかる。私にはそのままでもかわいいよという。雷蔵が私をかわいいというと、三郎はいつも、かすかに、口端を引きらせる。

三郎は雷蔵が好き。昔からずっと、そういう意味で好き。男の子として好き。私たちは三人で、いつも一緒だったけれど、三郎はいつも雷蔵を優先した。私がひとりにされなかったのは、雷蔵が常に私に気を使ってくれていたからだ。長じてからも、私が三郎に気を使ってひとりでいると、雷蔵はいつも私を探した。雷蔵は三郎がどんな気持ちになるか考えもしないでそうする。彼はまだ性徴の全容を知らないのだ。

三郎の綺麗な、ネイルアートを施された手が私の右腕を捕まえている。放課後の教室で、暮れなずむ空は血を零したように赤くて、私たちは二人きりでほかに誰もいない。腕を掴んでるのは三郎で、私はただだらんとしているだけなのに、三郎のほうが可哀想なぐらい、震えていた。罪悪感と、困惑と、悲しみを湛えた目が私を、おどおどと、睨む。三郎にとって私は、女の子の中で一番仲良しの、いい幼馴染なのだ。生理がはじまったときも、私を頼った。はじめてのブラジャーだって一緒に買いに行った。悩み事があったら、一番じゃなくても、二番目には相談に来てくれた。私は左手で三郎の手をやんわりと包んで、どうしたの、と尋ねる。三郎はびくりとする。リップグロスに彩られた唇をきつく噛んでいる。夕日が差しているせいで目立たないけれど、額から首まで真っ赤で、掌はしっとりと湿っていた。

「三郎?私、図書室に行かなくちゃ」

書庫の整理を手伝うって、雷蔵と約束してるから。三郎は雷蔵の名前を聞くと、いつもみたいに口端を引き攣らせた。震える声で、彼女は言う。

は、」
「うん」
「雷蔵が、好きなのか?」

私が頷いたり、首を振ったりする前に、三郎は頭を垂れて、私の両腕を掴んだ。胸のところに、三郎のふわふわした髪が当たる。昔は綺麗な黒髪のストレートだったのに、雷蔵のまねをしたのだ。悪い癖だ、もったいないって雷蔵も思ったに違いないのに。

「雷蔵をとらないで」

罪悪感に打ち震えながら、懇願する彼女はとても美しい。水滴がいくつか床に落ちた。雷蔵のことを想う三郎はいつもよりもずっと綺麗だ。今は気づかなくても、雷蔵はきっと三郎を好きになるに違いない。彼を想って泣く、それだけでこんなにかわいくて、きれいで、美しいのだ。雷蔵の前で微笑む三郎がどれだけ綺麗なのか、態々考えなくたってわかる。いつか恋を知った雷蔵の目に、彼女はどれだけかわいく、いじらしく見えるだろう。私はゆっくりと三郎の腕を払い、彼女の細い顎を撫でる。顔を上げた三郎の、濡れた瞳をじっと見つめる。かわいい。かわいい三郎。漆黒の瞳に私が映っている。私は三郎の頬を両手で包んで、紅いくちびるのほんのはしっこに、自分のそれを当てた。驚いて後ずさりする三郎の首に抱きついて、耳元にささやく。

「ばかね。いくらだって協力するのに。今日、書庫掃除手伝ってあげなさい」

強張っていた力が抜けて、三郎の手が私の背中に回った。肩に濡れた感触がする。私は彼女の肩越しに、目を覆って小さく涙を零した。どうして私、いつもあなたと一緒なのかしら。私がズボンを穿いて、男子トイレに行って、違う列に並べたらよかったのに。私はあなたとおんなじで、月に一回生理がくるし、子供も生めるし、制服も同じで、胸もすこしだけでも膨らんでいるから、あなたに、恋をしていたと言うことすら、許してもらえない。震えたいのは、かわいそうなのは、仲間はずれなのは、いつだってわたしで、ひとりだ。雷蔵はあの紅いくちびるの真ん中に口付けるに違いなくて、そこに私の場所はないのだから。



(恋は恋)