私は腐っても忍者の卵なので、そこいらの農民とか花売り歩いてる街娘とかよりはいくらか死ぬことに対して耐性がありそうなものだが、なんのことはない。幾ら最上級生とは言えどもやはり未だ半人前なことには変わりなく、生まれたからには生きたいしできる限り痛い思いを回避したい。頬を礫のような拳にぶん殴られながら、死にたくないなとやはり思った。潮江が聞いたらマジギレするに違いない。なさけない。しかし、自分の家に等しい生活の場、とくに絶対に近い安全が保障されている場所で、夕餉も済ませ風呂も済ませ寝巻きで恋人の部屋にいるところですら、『自分は死ぬがしかたない!!』という暑苦しい覚悟を頭からし続けられる奴って果たして人間なのか?と私は思う。潮江だってそんな覚悟は出来てないと思う。いいわけだが、私が忍者の資質ゼロの、情けない出来損ないの最上級生だと断罪するまえにこの状況を鑑みて、果たして私のこの死にたくない、という生への執着心が本当に、糾弾されなければならないほど情けないものなのかどうか考えてみて欲しい。どうでもいい話かもしれないけど。

ざく、と雪かきみたいな音がしてふと上を見たら、自分の小刀が手首に綺麗に刺さって腕を土塀に縫いとめていた。滲んだ視界に手首から伸びている植物のような銀色の刃が矢鱈と鮮明に映ってる。あっはっは冗談でしょうと空笑いでもしてやりたかったが、口の中は血反吐、即ち文字通り血液と吐瀉物、の混じったとんでもない味に侵されていてもう気持ち悪くてそれどころじゃなかった。力任せに殴られた腹は痛いというより寧ろ重く、熱い。殴られた弾みで吹き飛んで障子を突き抜けて塀にぶち当たった背中のほうが余程痛い、という言葉に相応しい感覚を宿しているように思う。しかし腹のほうが重症だろう。不妊になったかも知らん。酸っぱくて苦くて臭くて重くて痛くて疲れててなんかもう本当に最悪だ。死にたくはないけれど今死んだほうが幸せかもな、などと考えていると、私を殴り、蹴り、外に放り出してまた殴っていた七松小平太が私の乱れきった髪をがしっ、と鷲掴みにして上を向かせ、唇に貪りついてきた。口を閉じる力も無い私の口の中を、小平太の舌は何の遠慮もなく踏み荒らす。凄惨な味の口の中を。馬鹿だな、口付けてから殴ればよかったのだ。そのほうがメロドラマチックではないか?彼はいつも順番がおかしい。突っ込んでから愛撫しようとする小平太らしいと言えばそれまでだけども。

小平太はさんざっぱら私の口の中を犯しまくってから口を離して案の定地面に唾を吐いた。相当不味かったに違いない。自業自得だ。精一杯の虚勢の嘲笑を向けてやると、小平太は、私が背中の三分の一ぐらいを預けている土塀にグゥアンッと明らかに人の手がたてられるはずの無い領分の音を立てて手をつき、そのわりあい大きな目をカッと開いてこう言った。瞳孔も開いていた。殺される。

「浮気したな」
「してねえよクソが。忍務なんだからしかたないでしょ」

左の鼓膜が破れたと思われる。頬を張られてそういう音がした。しかし寧ろ今まで破れていなかったことをよろぶべきだよね、と私は思う。それに右耳はまだ残っている。私たちは物事の悪い面を見すぎるのだ。この、下手したらマジで御陀仏五秒前な状況だって愛されているという証に他ならないじゃないか、と、そこまで考えて、やはり無理があるなと思った。こんなん愛じゃねえ。欲まみれな目。肉欲支配欲独占欲。
百歩譲って愛だとしても私こんな暴力的な愛いらない。色仕掛けの忍務がばれる度に殺されかけるなんてまっぴらごめんである。さよなら小平太、夜が明けたら私たち他人に戻りましょう、職業に理解の無い相手なんてどのみち先は無いのだから。ところで私が朝まで生きてたらいいのだが。寝巻きははだけきって、防御どころか殆ど半裸、無防備の最たるこの状況。修羅のごとき七松小平太の猛攻に耐え切れる気がしない。私の腰の上に馬乗りになっている小平太の顔が、私の首筋に埋まる。「痕がついてるんだが」と普段より明らかにワントーン低いが限りなく平静な声が右耳に届いた。ぞわりと悪寒のような嫌な予感がした。

「やめて!」

勿論シカトだ。クソが!鎖骨の少しした辺りで鋭いなんてもんじゃない痛みが走った。肉を骨から引き剥がされたようだと思ったがそれは殆ど現実と大差ない。小平太は口の周りを私の血で真っ赤に染めている。鬱血した部分の肉を噛み千切ったらしい。月明かりの下で女の血肉を喰らう男はまるでというかそのままの姿で獣だ。犬歯の間から薄紅色の肉片が見えた。吐き気がした。

「こっちにもあるぞ」
やっぱり死んだほうがマシだった。潮江ごめん。私明日からもっとがんばるね、立派な忍びになるために。明日があればの話だが。そして明日があっても全治何日になるのか全然わからないが。小平太の胼胝だらけの指先が胸をえぐるように撫でて腹まで伝う、朝までに私はすっかり平らげられてなくなってしまっているかもしれない。月はまだ明るかった。胸元に小平太が口をつける。悲鳴をあげたくなるが、矜持がそれを赦さない。なけなしの自尊心で私は歯を食いしばり恋人を睨み付ける。月光に光る瞳と視線が絡んだ。小平太は私を咀嚼しながら言う。

が好きだ」
「わたしも小平太が好き」
「そうか」
よかった、と言って小平太は笑った。何も良くない。状況がいっそう悲劇性を増しただけだ。
私だって小平太が好きだ。突っ込んでから愛撫だって我慢するし、遊郭で散々遊びまくってても別れたりしないし、こっちの都合も鑑みずに夜這いをかけてきたりしても受け入れてやる、そのぐらい好きだ。しかし私の愛情と小平太の愛情の間にある大きな溝にもっと早く気付くべきだった。小平太、それはほとんど欲望とかわりがない。このまま一緒にいても私はきっと搾取されるだけだ。現在進行形で搾取、というか捕食されているし。獣じみたところのある人だとは知っていたがまさか感情まで未分化だったとはなあ。 小平太は三つ目の鬱血の痕を噛み千切って傷口を舌先で擽りながら、上目遣いに私を見た。

「なあ、いれていいか?」
いいわけあるか、こんな体であんたの狂気的にデカイものぶちこまれたら絶対死亡する。即死する。つーか、全然、濡れてないし・・・この状況で濡れてたら変態だからあたりまえなんだけど・・・。私に殴られて悦ぶ趣味はないのである。 しかし駄目だと言った瞬間、私の命は消えるだろう。どっちを選んでも結果は同じだと見ていい。ウンコ味のカレーかカレー味のウンコ、食うならどっち?そういう話なのだ。馬鹿げた選択肢だ。

「・・・小平太は私が死んでもいい?」
「そんなわけがないだろう」

そう言いながら小平太は下帯を解き始めた。その目に悪気はまったくない。ただ熱と欲にギラギラと光ってる。きっとコイツは自分以外の生き物がどんなにか弱いのか知らないのだろう。小平太が退くと、陰に隠れていた私の腹は月光に照らし出されて、皮膚が真っ青に変色しているのがよくわかった。もういいや、と私は思った。愛した男に抱き殺されるのも悪い死に方でないように思えた。それは忍びとしての覚悟とは全く違う、酷く醜い代物だったが。

短い人生だったなあ。人間50年の10分の3しか生きてない。半端な。







「お前たち、そこで何してる?鍛錬ならきちんと忍装束を着て・・・・」
ぼやけた視界に、状況を把握してしまったらしく、絶句している土井先生が見えた。多分今晩一番不幸だった人間は、こんな夜に限って見回り当番だった彼に違いない。何が悲しくて生徒同士の超バイオレンスな情事などを目撃しなければならないのか。未遂であったのが、屁のつっぱりにもならないようなものだが、唯一の救いだろうか。土井先生は蒼白な顔を右手で多い、小さく呻いた。無限に気まずい時間が流れた。小平太も、さすがにこのまま報告されたら退学になるだろうぐらいのことはわかっていたのだろう、じっと土井先生のほうを見てる。先生は、たっぷりと間を開けたあと、一言こういった。存外静かな声だった。もう冷静になるしかないのだろう。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・七松、このことは大きな問題にしたくないから、今は取り敢えず部屋に戻りなさい」

そうして小平太は血走った目のまま、意外と大人しく従った。立ち去る前に私の手を貫いていた小刀を抜いて捨て、私の寝巻きの襟元を正して。見せるなよ、ってか。ははあ。








「私が誘ったんです。色使う忍務あったからなんか昂ぶっちゃって」
というのが私の自己陶酔な愛を完結させるための言い訳だった。できるだけバカっぽくいうのがコツだ。あれから三日後の昼下がりの学園長先生の庵にて。
それは勿論私の社会的信用を地に落とすものであり、私を羞恥のあまり内側から焼き殺しそうなものであり、私が退学になる確率を飛躍的にあげるものであったが、仕方がない。小平太が退学になるよりマシだ。何故って、私はお店に奉公でも農家でアルバイトでもその気になれば遊女にでもなれるが、小平太は忍者以外の何者にもなれないからだ。それに退学になれば小平太との別れ話も円滑に進むだろう。

しかし退学になるよりシナ先生に殴り殺されるほうが先かな、と私は思った。土井先生は言葉どおり、この恥かしいことこの上ない凄絶な痴話喧嘩を内輪に抑えてくれたらしく、知っているのは土井先生、学園長先生、小平太の担任、私の担任、すなわちシナ先生だけだ。慈悲深い処遇だとは百も承知だが、シナ先生にだけは知られたくなかったなと私は思う。怖すぎる。先生は無表情で目を閉じたまま、学園長先生の後ろに控えてる。どんな怒鳴り声がするのかしら、しかし腹が痛いな、などと考えていると、突然学園長先生がふぉっふぉと笑い出した。

「青春じゃのう」
「そうですね」
「小平太は自分が無理矢理襲ったといっておったが」

ここで私のためにそんなことを・・・とか感激してはいけない。何故なら小平太は正直さだけが取り得と言っても過言ではないのだ。ここで自分の行く末を考えず本当のことをいうなんて砂糖が甘いのと同じくらい当たり前のことである。

「・・・・それ嘘ですよ。私のために嘘ついたんです。ああみえて優しいところあるんです」
「それはのほうでしょう」
ふとみたらシナ先生も笑っていた。あの何もかも見通すような笑い方。
「『しかし先生、アレは私の物です』、ですって。別れ話なんかしたら今度こそ殺されそうね?」

私の精神はどん底である。障子が勢いよく開いて、「先生!時間切れです、さっさと保健室に戻れ!」と伊作の無駄に雄雄しい声が室内に響き渡っるのが、酷く遠くに聞こえた。何?私退学になるんじゃないの?小平太と別れるんじゃないの?
、早く戻って寝るんだよ」
「黙れこの空気ヨメ男」

処分は謹慎と夏休みなしらしい。そんなんでいいの?伊作は保健室に着くと、私の胸の湿布をはり替えて、「もう喧嘩するなよ」と言い残して出て行った。心配しなくてももう二度と色を使う忍務を回されることはなさそうだ。こんなんでいいの?私たち忍者になるのに?
いいわけがない。だから、私は多分忍者になることはないんだろう。

「はあ、なんだったのこの六年間・・・・」
「心配するな、私が責任とって貰ってやるからな!大船に乗ったつもりでいろ」

泥舟に乗せられた狸の気分だよ。かたん、と音がして、天井がずれて、隙間からするりと小平太が出てきた。そろそろ来る頃だろうと思っていたので別に驚きはしない。胡乱な目で小平太を見る。湿布をはられた顔や包帯を巻かれた頭・体が痛々しいのか、小平太は眉を寄せて困ったような笑い方をした。

「すまん、やりすぎたな」
「そうね。もっと早く気付いてほしかったな」
「いや、そういうもんだとわかってたんだがなあ。実際に痕見ると頭くるな」

小平太の手が私の頭に回って引き寄せる。悪かった、と言いながら口付けて、閉じてない目は微塵も悪びれてなどいなかった。大団円のつもりだろうか、いい気なものだ。これから十秒後の小平太の台詞を予言してやろう。なあ、舐めてくれないか?だ、絶対そうに決まってる、なにせ欲望に正直な男なのだ。唇を離して、笑う小平太は、私の腹の痣をごつごつした指先でなぞって、一言。

「なあ、舐めてくれないか?」

こんな男さっさと死んでしまえばいい。





憎さ余って可愛さ百倍