山田利吉さま

利吉さんこんにちは。とはいっても、貴方がこの手紙を読んでいるのが一体どういう時間帯なのかよくわからないのですが。こちらは今はお昼すぎなので、一応昼の挨拶とさせていただきます。私は学園の掃除を終えたところです。
色々調べたのですが、学園先生に見せて頂いた遺品を確認した限り、礼子さんは叔母に間違いないようです。50年前に突如あらわれ、20年前に亡くなったと聞きました。どうやら私が、私の故郷に帰るのは、少し難しいようです。土井先生が色々気を使ってくださいましたが、まあ、わりと元気です。学園長先生は私を養子にしたいと仰ってくださっているのですが、流石にそこまでお世話になるわけにはいかないのでお断りしました。あの方はどうやら叔母をとても大事にしてくださっていたようです。遺品の首飾りを触りながら、とても幸せそうに叔母のことを話してくださいました。叔母はなんだか、幸せだったようです。そう悲観することばかりでもないみたいですね。
綺麗な娘だったと仰っておいででした。私は似ているそうですから、私も綺麗ということですよね。どう思いますか利吉さん。綺麗と言ってもいいですよ。

冗談ですから紙を破るのは止めてくださいね。

学園に置いていただくに当たり、小松田さんの事務のお仕事を少し分けていただくことになりました。 主に掃除と園芸関係です。今までうちにあった植物が一ヶ月以上元気な花を咲かせていたことはないのですが、なんの因果か園芸係になりました。どうやら小松田さんも植物を枯らす天才なようですね。用具委員が頼むから誰か園芸の担当つけてほしいと進言していたので丁度よかったのだとか。私も花を育てるのが下手なことは申し上げておりません。がっかりさせたら悪いですからね。でも、ご期待に添えるかどうかは微妙です。とりあえず図書室で朝顔の育て方から勉強しております。

掃除のほうは中々大変です。食堂の雑巾がけとトイレ・・・いえ、厠ですね。厠は特に大仕事です。校舎の北のうんと端っこにある厠はガスが発生して危ないから「気をつけろ」と言われました。「やらなくていい」ではないのかと思いました。北の端まで行くのに、体力のない高度文明社会(私の故郷では運動不足が深刻な問題でした)の申し子のわたしは既によろよろだったのですけれど、何百年前から堆積しているのか解らない排泄物たちの個性豊かなにおいをかいでいるうちに、なんとかしなければと力がわいてきました。追い詰められるとなんとかなる性質です。匂いはいかんともし難いですが、とりあえず見違えるほど綺麗にしました。男のひとってどうしてあんなにはみ出るんですかね。利吉さんは零したらちゃんとふいてくださいね。染みを取るのは大変でした。

そうそう、鞄の中に仕舞っておいた私の国の嗜好品を、サイダーっていう飲み物なのですけど、井戸で冷やしているところ、六年生の男の子たちがそれは何だと聞いてくるので「精力がつくの」と嘘を吐いたら、取り合いになってしまいました。死闘の末七松くんが飲んでいました。いったい何をそんなに精力つけたいんでしょうね。

それから、山田先生が利吉さんの女性関係についてそれとなく聞いてほしいと言ってきましたよ。私はどうだと聞かれましたが、利吉さんはどうですか?私でもいいですか? 私は嫌ですよ。

ではお返事待っています。仕事中毒だそうですね。どうぞご自愛を。

 







上下に動いていた視線が不意に止まった。闇に浮んだ黒い双眸は赤い炎を反射してそれ自体が発光体のように爛々と光る。利吉は一度目を閉じてから、何度か力を入れて握った所為で不自然に皺の寄った手紙を聊か神経質そうに見えるほど几帳面に折り畳んで懐に仕舞った。外には疾うに夜の帳が下りて、月も姿を消していた。黴臭い御堂の中は蝋燭が一本立ててあるのみで、向こう側の壁面が見えない程度に暗く、隙間風が通るたびにその明かりさえ不安げに揺れた。彼は疲れたのか、手で目を覆った。それから口元にほんの少しだけ、注意してみなければわからないほど微かに笑みを浮べる。下手な字だと思って。彼は思いついたように風呂敷の結び目を片手だけでくるりと解いて、殆ど迷わずに筆と紙を取り出した。そして書き始める。









殿

さんこんばんは。生憎だが此方は今、夜です。込み入った仕事が丁度終わったところで疲れていますが、君が一体この手紙を一枚書くのに何時間かけたのか、想像に難くないので、わざわざ返事を認めることにしました。感謝してほしい。君の字はとても控えめに言って非常に読み辛い。目が痛い。夜目が利いてよかったと思います。

世の中不思議なこともあるものだね。私も先々で色々調べてみたが、何処でも君の身に起きたような話は何れも伝説的な話が残っているのみで、特に手がかりらしいものは掴めなかった。 まあ、君は気長に行けばいいと思う。そのうちひょんなことで帰れるかもしれないし、忍術学園なら安全だろう。なんにせよ私には他人事だから、そこのところは君が勝手に上手にやるといい。

学園長先生になら、特に遠慮することもないと思うよ。あの人は途方もなく金持ちだからね。もしかして別方向から邪推しているのなら、心配しないほうがいい。先生はご高齢です。君に手を出すほど無分別ではないし、第一もう枯れているだろうから。
君は綺麗か綺麗じゃないかと言えば綺麗なほうだと思うけれど、取り立てて口に出すほどでもないと私は思っています。もっと美人はたくさんいますよ。京のほうへ一度上がってみるといい。井の中の蛙、大海を知らず、という言葉もある。それに、繰り返すが学園長先生はご高齢です。目が悪い可能性だってあるさ。

手紙を破らないように。半分は冗談です。

君が小松田君の二の舞にならないかどうか私は不安です。これ以上面倒なことが増えると忍術学園へ行くのが益々嫌になります。彼には何故か行く度に水をかけられる。あれはもしかして計算じゃないだろうかと思った時期も一時あったが、なさそうだね。真性の阿呆か。とにかく水をかけるのと木から落ちるのとプリントをばら撒くのは止めてほしい。

朝顔は比較的簡単に育つ植物です。私も幼い頃家の庭で育てていたよ。あの花の種は強力な下剤になるから、忍者は重宝するんだ。水のやりすぎに注意すれば普通に育つ。君が小松田君ほど不器用でないことを願います。

トイレとは君の国の言葉だろうか。厠の話をそんなに細かく書くことはないと思います。不愉快だ。女の子が『はみ出る』とか言うもんじゃないよ。君が本当に女の子なのかどうか私はいまいち信用できないが。ちなみに私ははみ出したことないからね。失礼な。余計なことを誰かに吹き込んだりしないように。特に一年は組や小松田君には。

サイダーとやらについては君が何でそんな嘘をついたのか甚だ疑問です。何を考えてるんだ。七松くんのことについてわざわざ触れる必要はないだろう。悪いことは言わないからやめておいたほうがいい。六年生はプロに近いし、中々過激な子が多い。死闘を見ていたなら解ると思うけれど。

父のことについては適当なことを言っておいてほしいが、こう書いたらきっと君は「利吉さんが適当なことを言っておいてほしいと言っていましたよ」とそのまま告げ口するんだろう。会って間もないのに段々君の性格がわかってきました。愉快犯も大概にしたほうがいいよ。 私は身を落ち着ける気は今はまだないと伝えておいてほしい。というか忙しくてそれどころじゃないんだ。大体父は自分だって全然家には帰らないくせに、私に対して厳しすぎるところがあると思う。そういう方面の話は放っておいてほしいな。

君には、今までの流れを読めばわかると思うが、全くそういった興味がない。私も嫌だ。

人の仕事中毒を気にする前に、自分の字を気にしたほうがいいと思う。手習い代わりに文通を引き受けたのは私だが、それにしても読みにくすぎる。写経でもしたら?

では、また近いうちにそちらへ向います。

山田利吉