「弱いね伊作。手加減したの?」
「してないよ・・・。僕は実技はいつも駄目駄目だったじゃないか」
「予算会議のときはどうしていたの」
「僕はマッチ箱で戦うのが一番強いんだよ。はもうおぼえていないと思うけど」


伊作の腕からは血が流れ出していて、左手は頑なに握られたまま地面へ向けられていたから、私も苦無を構える腕を解いた。伊作の肉を切り裂いた刃物は鮮血を滴らせながら、日に照らされて鈍く光って、眩しい。冬の色に染まりかけた寂しい匂いの風が木々の隙間を通り抜けて、妙に平和に落ち葉が舞った。私は彼や自分が十五だったころに思いを馳せる。今思えば夢の中のような日々は、最早遠く断片的だ。彼の言葉の通りで、私は彼が一番強かったと自称するマッチ箱での戦いのことをもう覚えていない。こうやって今まで色んなものを棄ててきて、これからも棄てていくのだろう。一々悲しんでいたらきりがない。躊躇いも感傷も忍びには必要ないものだ。私は苦無を手袋で拭って仕舞い、背中にかけた刀に手をかけた。伊作は少し先で小さく困ったように笑って、すとんと落ち葉の上に腰を下ろした。

「伊作、どうする?死ぬよ」
「うん、まあ」

まあじゃないよ。刀を抜いて落ち葉を踏みながら、わざと足音を立てて近づく。心臓がどくどくと脈打って気分がとても悪かった。白刃を目の前であの頃と何一つ変わらない笑いからたをしている友人の首に突きつける。早く終わらせてしまいたい。早く終わらせて家に帰って何もかも忘れて眠ってまた明日は仕事に出れば、全部元通りだ。


大丈夫、のはずなのに、刀はそのままピクリとも動かなかった。このままでは私が殺されてしまうとわかっているのに、伊作を殺さなければ死ぬのは私なのに。結局私は歯を食いしばったまま刀を鞘に納めた。いろんなことが脳裏に浮んで消えて浮んで、結局一番かわっていないのは私かもしれないとおもう。いつだって本番に弱かったからなあ。刀を納めるときに軽い金属音がして、伊作はすこしだけ目を見開いた。わたしの口から出た言葉は弁解でも罵詈雑言でもなく、たったひとことだった。駄目だ、と。

「駄目だ伊作。わかってたの?」
「・・・どうだろう」
「いけると思ったんだけどなあ」


花札に負けたときみたいな調子で呟いて、私は伊作の隣に腰を下ろした。結局まともな忍びになれなかったらしい。六年間師事した先生のことを思い出して小さく胸の中で謝った。殺せませんでした。ごめんなさい先生。伊作は私の腕を取って細かい傷に包帯を巻きつけ始める。目が合って、揃って笑った。
伊作があんまり嬉しそうで、私はマッチ箱を投げる伊作のことを思い出す。

「いさくー。殺してくれ」
「無理だよ。だからに殺されようとしたのに」
「じゃあどうする?」
「わからない」
「・・・食満か仙蔵がいればいいのに」
「そうだね」

このまま一生誰にも見つかりませんようにと伊作が呟いた。私は微笑んで、伊作の見た目より堅い手を手をぎゅっと握った。



(忘れないで戻って触れて)