朝学校に来たら仁王が柳生くんになっていた。昨日までは確かに仁王は仁王だったのだが、どういうことだろうか。そういえば彼らは同じテニス部でダブルスを組んでいたから、そういう関係で入れ替わったのだろうか。テニスのダブルスを組んでると入れ替わるのだろうか。そんなわけねーだろ。テニス関係ないじゃん。胸中でひとり突っ込みをしていると、仁王風柳生くんが私に気づいて、仁王そっくりのしぐさでひらりと片手をあげ、よう、と言った。本当によく似てるな。別に私に関係ないし、仁王に突っ込んだり関ったりするのはすごく面倒なので、そのまま私もおはよう、と返す。あ、仁王じゃなかった。でも今回のことで柳生くんもだいぶお里が知れた、多分彼も似たような変人に違いない。私はやれやれと思いながらかばんを机に下ろす。

現在私の席はやっかいなことに仁王の隣りである。窓際の一番後ろという最高のポジションで、お弁当をひとりで食べていても目立たないというオプション付なのだが、隣人がうざいのが珠に瑕だ。以前ひょんなことから仁王を助けたような形になってしまったことがあり、それが原因で私は友達の多くを失くし仁王には頻繁に絡まれるようになってしまったのだが、ちょうどそういうときに限って席替えが行われて席は仁王の隣りとか、マジやってられん。仁王が私に絡むせいで私は校内に数あるファンクラブの中で一番品がないことで有名な仁王ファンクラブの怒髪天を受け、靴を捨てられる、教科書を捨てられる、机に落書きをされる、トイレに入ると上から水をかけられる、ロッカーに納豆を入れられるなどされてもう散々なことになっている。しかたがないので教室を移動するときは全ての荷物(靴を含む)を持って歩き、トイレにはできるだけ行かず、行くときは折り畳み傘を持参、ロッカーに至ってはあけなければ見えないしわからないからそれでいいというシュレディンガーの猫作戦に出ている。

なんなんだろうか、この仕打ちは。私は正しいことをしたつもりなので、仁王ファンクラブや、私から離れていった友人たちや、そうするよう仕向けたサッカー部のマネージャーその他に頭をたれたり、さもしい身の上を鑑みて落ち込んだりすることはないが、それにしたってちょっとあんまりなんじゃないの、と思わないでもない。私だって中学二年生の前途ある少年少女のうちの一人である。それが正義を貫いてもこんな目にあうんじゃ、ねえ。取り敢えず子供が出来ても正しいことをしなさいと教える気にはなれない。いや多分教えるけど。

一人むかむかしていると仁王風柳生くんがじっとこっちを見ていた。そもそも仁王も仁王なのだ。感謝しているといったくせに、私に対して彼が行うのは程度の低い悪戯と下らない雑談ばっかりで、しかもその下らない雑談をして女の子との約束をすっぽかして私の立場を更に悪くしたり、そんな気更々ないだろうに、人前で前で私に思わせぶりな台詞を吐いたり、とにかく天災みたいな野郎である。助けなきゃ良かった。恩を仇で返すとはこのことだ。この国では鶴も亀も兎ですらも恩を返すというのに!じとりと柳生くんを見返すと、彼は面白そうに、仁王がそうするように口の端をあげた。本当にそっくりだが、やっぱり違う。化粧で誤魔化している部分もあるらしい。似てはいるけど。何故誰一人つっこまないのだろうか。意外と柳生くんのほうが目つきが鋭いのだな、と私は思う。仁王はどちらかといえば優男だが、柳生くんは雰囲気がどことなく硬質である。と、そこまで観察して、ぴんときた。こいつら二人して私をたばかる腹積もりに違いない。柳生くんが仁王のフリをして私を騙し、あとで二人で馬鹿にする気なんだろう。大掛かりなことである。しかし、その悪戯の何が楽しいのだろうか。意味がわからないが、仁王の考えることなんか別にわかりたくはない。それよりも今はこの状況を逆手にとって一矢報いてやりたい。散々苦渋を舐めているし。私はまだこちらをじっと見ている仁王風柳生くんに向かってにっこり、まあ当社比なので恐らく向こうにとってはにっごり、って感じだったのだと思うが、笑った。案の定柳生くんはびくりと肩を震わせる。

「なんじゃ、珍しい」
「何が?私が笑うのが?私はいつも笑ってるよ」

少なくとも数回しか、しかも仁王を挟んでしか会話をしたことのない柳生くんの前で、仏頂面を下げているということはなかったはずである。ということは仁王が柳生くんに私がいつも不機嫌であることを前もって伝えていたのだろうか。腹立たしい、なんという男だろう。私の一人でも味方を作っておこうというささやかな努力がわからないのか。たとえばもしファンクラブの女が思い余って私を襲撃してきた場合、私がその子を正当防衛で倒したとして、この状況では分が悪すぎるではないか。絶対「あー、あいつね。いつかやると思ってましたよ、皆に嫌われてたし」とか言われて、正当防衛も証明できずに豚箱行き確定である。数度しかはなしたことのない柳生くんにも「いつも仏頂面で・・・」とか言われるのだ。私の人生って何。考えれば考えるほどイライラして、私はヤケクソで笑いながら髪をかきあげた。

「あんたなんか今日はやたらセクシーだね」
「は?」
「イイコトあったの?」

柳生くんは切れ長の目をまん丸に開いて疑問符を出している。その肩越しに廊下に立つ柳生くんの格好をした仁王がいて、目が合った。私は気づいてませんという感じでにっこりしてやったのだが、そのときの仁王の表情によって更に苛立ちが加速した。眼鏡の奥のあの目、なんなんだ、お前、本当に面倒くさい。

「ま、、ちょっ」
「動かないで、なんかついてるから」

慌てて後ずさりする柳生くんの口元に手を伸ばした。何がついてるかって、そんなのは決まってるのだ、黒子だよ、黒子。まさか実生活でお前そのホクロ引きちぎるぞ!という言葉を使いたくなるような状況に陥るとは思わなかった。そもそもほんの数ヶ月前、地味で目立たず平凡に、平和に暮らしていた私がこのようなことになっていると言う時点で人の予測なんかあてにならないものだとわかっていたので、今更驚きはしないが。顔を近づけて、このホクロなにでできてるのかと思う。柳生くんの肌は仁王より少し黒めだが、同じく綺麗で吹出物などひとつもない。イケメンはホントに腹立たしい生き物である、と思った瞬間、顔のすぐ横を通って、窓の桟に何か固いものが酷い音を立てて当たったので、私は咄嗟に柳生くんの頬から手を離した。クラスの喧騒が一気に静まる。どかんという音が本当にするのをはじめて聞いた気がした。一拍置いて、当たったのが桟でよかったと思った。ガラスに当たったら割れていたに違いない。物体は、漢字辞典であった。

「・・・・手が滑りました。失礼」

柳生くん風仁王の手から放たれたことは明白であった。徐々に通常に戻っていく教室の喧騒の中、三竦みのようになった私たちは無言のまま。仁王は私をじとりと湿り気のある視線で恨みがましそうに睨んで、言う。

「今日は、さん。仁王くんに用があるのですが、宜しいでしょうか」

私はなんだか酷く面倒になって、席を離れて漢字辞典を拾いあげた。綺麗な字で名前が書いてある、それは間違いなく柳生比呂士のものであった。私は表面についた埃を払い、仁王の席に座ったまま、未だ固まっている柳生くんの目の前に置いた。溜息が出た。

「もう帰ってこなくていいよ、どこへでもいけば。」
「おや、酷い言われようですね仁王くん」

はあ、まったくもう。私は視線を上げて胡乱な目を仁王にやった。

「ねえ、それ、全然面白くないよ。大体さ、間違われるの嫌なんだったら回りくどい格好しないほうがいいと思うけど。」

不良の格好をする人間は不良にのように見せたいから不良の格好をする、ロリータはロリータであるように見せたいのだし、柳生くんの格好をするということは柳生くんのように見られたいということだろうに、私が柳生に笑いかけたときの、仁王の目ときたら。絶句する柳生くん風仁王の脇腹を、他の誰かに見られないようにドついて、私はかばんを掴み教室を出て行く。トイレへ向かうのだ。たとえ足を踏み入れた瞬間からクスクスひそひそ笑いをされようと、ここよりはマシに違いないのだ。これ以上かかわりたくない、のに、後を慌てたような足音が追いかけてきて、廊下をまがったところで手首をつかまれて空き教室にひっぱりこまれる。顔を上げたら、そこに居たのはちゃんと仁王な仁王である。化粧は残っているが、銀髪に柳生くんより鋭くない目元。

「いつ気づいたんじゃ」
「最初からだよ。だまされないでしょ普通。化粧してても顔違ったし。柳生くんのほうが好みだな」

私があてつけると、仁王はカッと目を見開いた。

「ほう、ああいうのが好みなんか、」

顔寄せとったのう、などと。とんだ戯言だ。全然そんなことはない。私はイケメンはいやなのだ。普通がいい。シンプルイズベスト。そもそも柳生だっていやだろうよ。首を振るが、仁王はなんだか納得できないらしく、ぶちぶちと文句を零した。

「お前さんは本当に性悪じゃ、普通だまされたフリするか」

などと自分のことは高い棚の上に上げて勝手なことを畳み掛けてくる。普通の人は入れ替わって誰かをだまそうとは思わないだろうに。いちいち突っ込みを入れるのも面倒くさく、

「だまされてやったほうが喜ぶかと思ってノッてやったのにそうでもなかったみたいだから腹立って付けホクロ引きちぎってやろうかと思ったんだよ」

と言ったら、触れてほしくないところだったのか知らないけれど、仁王はしゃがみこんで凄絶に落ち込んでしまった。阿呆な私は後ほど回復したそいつに腕で首を絞めあげられた上柳生風の化粧を制服の肩の部分に擦り付けられ鞄のなかに入っていたお弁当まで取られてしまうのだが、そのときはそんなことは露ほども知らず、ちょっと可哀想に思って、銀髪のつむじの上をふわふわとなでてやったのだった。







あの女の子が倒せない