理想と現実 憧憬と現状 建前と本音 ぐちゃぐちゃ


欲しいものを本気で手に入れたいのなら手段を選んではいけないし、手に入れたものはどんな手を使ってでもつなぎとめておかなければならない。こういう考え方は、正義とか、正々堂々とか、スポーツマンシップを愛して、できる限りいい子、好ましい人、でいたいと願っていた私にとっては、唾棄すべきものに違いないのだけれど、悲しいかな、これは私の十五年の人生から齎されたひどく正直な教訓なのだった。世の中は、ほんの一部の特別な人間にとっての場合を除いて、綺麗事だけでは回らないし、慈愛とか真心とか友情とか、響きの良い、美しいものだけを抱いて幸せになるのは中々難儀なことだと思う。「誰から見ても素晴らしい幸せ」という状態は決められた人間の寸分狂わぬ決められた行動によってのみ生み出される。人は誰でも余程のばかでない限りは自分の倖せを願っているもので、自分を好きになってくれたらうれしいな、と思って誰かに恋をするのだろうけれど、その相手もまた自分のことを愛しいな、と想い返してくれる確率は実はとても低いのだ。そうして、想いに見合わない程度のものしか返してもらえないとき、人は大抵酷く腹 を立てるけれど、そうなったらもう駄目だ。そこには美しさのかけらもない。私もまた美しくはなかった。湧き出てくる汚い感情は留まることを知らない。


『ものを大切に。自分の持ち物には名前を書きましょう』


明日の目標をマジックペンで大きく書いて掲示板にとめた。日直なのだ。相方のサエは黒板消しをクリーナーにかけていて、白いチョークの粉塵がその周りでもうもうと舞う。サエはリアルロミオと称される男前なので、煙ったそうに埃を払う、その仕草さえ様になる。「誰から見ても素晴らしい幸せ」の状態を作り出すに足る人間だろうし、またそのための寸分狂わぬ行動を特に計算もなしにやってのけるに違いない。

「それもう終る?」
「今終るよ」
「部活は?」
「行くつもり、かな」
「引退したのに毎日じゃない?」
「無いと落ち着かなくてね。は?これから予定は?」
「内緒」
サエは少し目を見開いて、きょとんとした。なんだか綺麗になったねと彼は続ける。嫌味に聞こえないのが、素直にすごいと思う。
「・・・よかったら練習見に来ない?」
サエの誘いを、私は答えなんか決まってるくせに、逡巡を装って間を置いてから断る。私は、私のことが、今とてもイヤでイヤで、しかたがない。教室の外で足音がして、それがぺたぺた歩く独特の足音で、しかも教室の前で止まったきり動かないことに、私は気付いてる。多分、サエはそう言うように頼まれたのだ。だってそうでなければ、絶対私を誘ったりしないだろうから。彼は私とは違う場所の住人で、選択肢を間違う人間ではないのだ。 「たまにはいいじゃない。バネも待ってるよ」
「だめ。私バネに酷いことしたの。もう会わせる顔、ないから」



私は、外にいるのがその人なのだと気づいていて、春風の話をしてる。





黒羽春風のことは人がそう呼ぶのにあわせてバネと呼んでおくことにしている。昔私は彼のことをハルと呼んでいて、私以外の誰もしない呼び方だったから、私はそのちっぽけな特別を宝物のように思っていたのだけれど、去年の春にバネに彼女ができて、やめにした。バネの彼女はひとつ年上で、胸がおおきくて、手足が長くて、よく通るアルトの声で落ち着いた話し方をした。コケティッシュな色気があって、つり気味の猫目が挑戦的で、初めてあったとき、私は雷が落ちたみたいに衝撃を受けて、とても敵わないと思った。今でも叶うはずがない気がしてる。彼女の目で見るまでは、何よそんなのと思っていたのだけれど。


人魚姫が美しいのは王子様を想って泡と消えたからで、たとえば彼女が自分の欲望に従って王子様を刺し殺していたら、悲恋の物語はただの気の毒な王子の話へと変わり、その場合の人魚姫は間抜けな気狂いだ。彼女が姫であるための道は、はじめから死ぬことしかなかったのだ。だって王子もその婚約者も全然悪者じゃないのだから、死ぬのは余った一人に決まってる。韓国ドラマなんかその辺は弁えたもので、ヒロインとくっつかないほうの男は大体非業の死を遂げて片がつくことになっている。冬のソナタ然り、天国の階段然り。恋心の見返りの少なさなどによる思い人への苛立ち、そして恋敵への嫉妬などは、実はたいていの場合、向けられている相手はその敵意に少しも覚えがない。要するに私は自分が恋をしたくて恋をしていて、苦しみたくて苦しんでいる。誰もそんな無駄な苦しみを私に課していないのにもかかわらず。苦痛も苦悩も全てが勝手な一人相撲にすぎないということだ。滑稽なことに。


そう知っているから、私は自分の美しくないな、と思う部分を普段は誰にも見つからないように折りたたんで体の中に仕舞い込み、お腹のドロドロなんかそ知らぬふりで、いつも、松田聖子のBGMが流れてて珊瑚礁と綺麗な色の魚で溢れているコバルトブルーの海を見ながら、やしの木の下にパラソルの差してある真っ白い砂浜で、トロピカルな色のジュースを飲んでしあわせいっぱいです、友達100人、悩みなんかないです、みたいな顔でにっこにこしてた。本当の私ときたら、数ヶ月ほっとかれた庭の貯水甕の中みたいな色をした海にひとりぼっちで、無表情に激しく打ち付ける波の白い飛沫をぼんやり眺めているという惨めな体たらくだというのに。きっとあの海は塩分濃度が高い死海で生物もいないし、かもめだって飛んでいないに違いない。


キャラを作っていたのだ。それは少なからず嘘をつくということで、嘘を維持するためには嘘を重ねなければならず、段々自分でも何が本当なのかわからなくなって、結局疲ればかりが溜まっていくという憂き目にあうことになるので大変な労力なのだけれど、ほかにどうしようもなかった。私は好きな人に全然好いてもらえないのだから、せめて自分で自分を大好きとまでは言えなくても、かけがえのないものであると認められる程度にしておくために、努力をしなければいけなかったのだ。つまり他人に、そして自分の正義に、「好ましい」と思われる人間でなければならなかったのである。そうでなければ生きている甲斐がないような気がしたから。バネの彼女がとても綺麗だったとき、私は結構本気で死んでしまいたかったのだけれど、生まれたときからお隣同士のバネは、幼馴染のアホが死んでしまったら、それが一番いとしい女ではなくてもきっと酷く狼狽するに違いなくて、彼が隣に住んでいる間くらいは、私は潔く、できるだけ自分を愛する努力をしながら、生きていこうと思っていたのだ。


私は好きな人が幸せならば自分は不幸でもかまわないとは、まったく思わないけれど、私が不幸だからといって、私の苦悩を誰かに肩代わりさせたり、共有させたり、同じ苦しみを味わわせたりしたいとは、全然考えないし、そんなみっともないことを考える自分でありたいとは、さらさら思わない。そう。私は誰かを不幸にする自分でありたいとは思っていない。世界中で幸福は有限だけれど、悲しみや苦悩や不幸は無限のようなので、そんなものは一個だって少ないほうがいいに決まっているのだ。そうでしょう、理論的には、筋が通っているでしょう。ぐらぐらと腹の底で煮えたぎるものを感じながら、私は表向きバネを祝福し、彼女にも友好的に接して、彼女も私を可愛がってくれた。バネは彼女といると、私のように薄っぺらい笑いではなく、完璧に幸せな人間の微笑みを浮かべてた。綺麗な笑顔だった。私はその人がバネを奪ってしまったことよりは、バネの隣にずっといながら、それに名前を書いておかなかった、書こうとすらしなかった自分の愚鈍さのほうが憎らしいと思える。今でも。私はバネのことがずっとずっと、生まれたときから、世界で一番好きで、独占したいくせに、それを表現する努力をしたいと思うことすら彼女が現れるまで考えていなかった。それは明らかな怠慢だった。バネは何も悪くない。彼女だって、いいひとで、バネが好きになるということは、私だって好きになってもおかしくない、だって兄弟みたいに育ったから。


そんなのは全部嘘で、理想卿の話だ。私が彼女を好きになるなんてありえないのだ。私は私を嫌いにならないために彼女を憎まないでいる必要があった。私の強さや優しさは、生まれついてのものではなく、私の弛まぬ努力の賜物である。そう、自分を嫌いにならないための。私には綺麗なところなどなにも残ってはいない。全て打算の結果なのだった。バネを失っている上に更に自己嫌悪に陥るような、面倒なことは避けたかったから、そう思い込もうとしてただけで、本当は彼女のことが嫌いだったし、いじわるをしたかったし、バネが、ハルが、小学生のとき、私をお嫁さんにしてくれると言ったことを、執念深く覚えていた。でもそんなの知らないことにして、綺麗な私でいたくて、必死になってトロピカルな笑顔を浮かべていたのに、バネは彼女と別れてしまった。先月の話だ。








それを、春風に告げられたとき、わたしはわたしを愛するための、遍く努力を棄て去って、教訓だけを胸に刻んだ。何もかも意味がなかったことに、気が付いたのだ。一瞬よぎっただけだと誤魔化せる気持ちではなかった。別れた、といわれたとき、私の胸に浮かんだのは、紛れもない純粋な歓喜だった。彼女はもういない。1組の女の子がバネに酷くモーションをかけていてバネも満更ではなさそうだったから、それが原因かもしれない。その女の子に拍手を送りたいとすら、思った。私は私の誇りとか、道徳とか、正義感とか、全部捨てて、春風を奪うことを決めた。私は自分で一番なりたくないと思っていた女になって、一番やりたくないことをした。春風にやさしくして、慰めて、四六時中一緒にいた。そして彼が失恋の痛手から回復しつつあったときに、思わず零れたという風を装って、想いを悟らせた。困惑で呆けた頬に口付けて、心にもない謝罪をして、一回だけと嘯いて身体を重ねた。もう二度と傍に寄ったりしないからと笑った。健気な女に見えただろう。健気な女が、好きでしょう。


私は、まったくなんて下劣だろう。全部差し置いて、カンタンに足を開いて、みっともない。最後の良心が私を軽蔑する。でも、私は自分よりもずっと春風が好きなのだ。春風が私を、たとえ仮初でも好きになってくれるなら、私は自分がどんなに最低な人間になっても構わない。どれだけでも嘘をつける。どんなに自分を演じて、嘘に嘘を重ねることになっても、私は私を止められない。


サエの大きな手が私の頭を撫でる。バネなら、すぐに忘れるよという。私は俯いて、首を振って、哀れっぽく顔を覆って、震える声で言うのだ。「ごめんなさい」


「怒ってねえよ、バカ」


この善良な、生まれたときから隣りにいた、私の愛しい片割れは、私が予測した通りのことをしてくれる。まったく、上出来で、期待と不安と自己嫌悪でどうにかなりそうで、これがもし失敗したら、気楽に死んじゃおうかなって思う。サエの手を下ろさせて、私の腕を掴む春風の手は、酷く熱くて、抱かれたときのことを思い出して、私はこのひとをもうどうしたって、どこにもやりたくない。爪の先だって譲りたくない。私のものだって、あの、熱い背中に大きく、って、名前を書いてやりたい。


「悪ぃサエ、俺ちょっとこいつに用事あんだよ」
「バネ、」
「ハルって呼べよ。昔みたいに」


優しい人間は簡単にだまされる。ずっと一緒にいたのに、私ばかりが汚れてしまった。
私を捨てないで、ハル。一緒に汚れて。私のこと、生かして。






(荒廃の海に立つ)