CRASH!!






流石にわざとよね?勘弁してよ。
そう冗談に聞こえるように笑って言ったのに、帰ってきたのは耳に痛いほどの沈黙と、それから薄い微笑だった。白石は色素の薄い髪を、部室の窓から吹き込んだ風にそよがせて、振り返って私を見ていた。髪と揃えて作ったような形のいいふたつの目は硝子玉めいた無表情で、口元が笑っているので一層酷薄な印象を受けた。誰だ、と思った。反射的に右足が後退る。硬質な見た目の印象と逆で、白石はいつももっと温度や感情のある、やわらかくて泥臭い笑い方をする人だと思っていた。そういうところが好きだったから、ずっと見てたから。
「……わざとて」
なんのことや。さらに身を引こうとしたところを、ぐっと手首を掴まれて止められた。包帯を巻かれた指は長く、私の手首を一周しても余っていた。細いな、と白石は今更気づいたように小さく呟く。何故かその台詞にかっと耳が熱くなって、じわじわと全身に熱が回る。窓から降り注ぐ夕方の日差しが体温とあいまって燃えるようで皮膚の表面から汗が吹き出すのを感じていた。縺れる舌で、なぜか、私は譫言のように説明を始めている。まるで弁解するひとのようのように。遊びに行こうとすると部活が入るから。最近集まり多いから。なんでなのかと思ったから。から。
白石は薄ら笑いを浮かべたまま、ゆっくりと首を傾げた。
「そうでもないやろ。……遊びに行きすぎなんと違うか」
二言目の声は笑って居なかった。芯が通っていて冷たく、濡れた手に背中を撫でられるような悪寒を覚えて、肩がびくりと震えた。私は無理やり引き攣った笑いを続けて、とりなすみたいに言った。
「そんなにいってない、少しが全部潰れるから」
「男とな」
揶揄うような、皮肉のような言いぶりに、思わず顔をまじまじと見てしまう。私の知る白石蔵ノ介は、そんな直截な物言いをする人間ではなかった。衝撃でかえって頭が冷えて、かわりに怒りに似た感情が沸き起こる。気を悪くしたことを隠さずに、今度は白石を睨んだ。
「……何が悪いの」
「悪いことないよ」
怖いわ、と肩をすくめて白石はおどけた。それから左手の親指で、私の右の手首をするりと撫でると、でも、と前置きをした。薄い唇が紡いだ続きを、聞かずに済んだらきっとよかった。
「お前俺のこと好きとちゃうんか」
意味を理解する前に頭に血が上った。脳より先に脊髄が意味を理解したように、反射で右手が動いていた。掴まれた手を振り払って、そのまま目の前の男の頬を張った。薄暗い部室で、乾いた音が響いた。きっとわざと殴られた、というのはわかっていた。振り払えないように手を掴むことも、避けることだって、白石にはできたはずだった。余裕を示すように、斜め下にうつむいた口元は笑みの形を作ったままでいる。
「…なにそれ」
私のほうが余程殴られたようだった。自分の声に震えが混じって惨めさだけが客観的に聞こえる。
「白石が友達だっていったんじゃない」
うん、と白石は頷いた。「言うたな」
「だから、わたし、……」
そこまで言って、だから何よ、と、私が私に囁いた。だったらなんだ。私だって友達でいたかった。確かに好きだった。でも恋人になりたいなんて思ったことはない。とてもつり合いの取れる人間じゃない。惨めったらしい声を出すな。こみ上げる熱を喉の奥に押し込めて、私ははあ、と溜息をついた。
「いつの話してんの。……もうそんなの終わったよ」
白石は顔を上げて、赤い頬を抑えたまま暫く黙っていた。
それからこう言った。
「そうか。残念や」
意図はわからない。私も聞かなかった。



私の話が白石には通じていなかったことは、その土曜日にわかった。
勘弁してほしい、と言ったとおりに、部活の予定も部員からの呼び出しもその日は入らなかった。私は薄く化粧をして、最近仲良くしていた同じ委員会の子と遊園地に遊びに行った。延期に延期を重ねての約束だった。黒い髪、優しい面差し。彼は入園ゲートの前で案内図を見ながら、楽しそうに笑いかけて私に言ってくれた。
「観覧車乗りたいね」
きっと私がジェットコースターに乗れないから気を使ってくれたのだ。なのに、返事をしたのは私じゃなかった。

「ええなあ」
聞えよがしな、朗々とした声だった。テニスコートで、相手をけん制するために出す、その冷徹な、よくとおる声。何度も聞いてきた。私の体は凍りつき、彼の眼が驚きに見開かれる。
私服姿の白石蔵ノ介は彼の隣に立ってにっこりとその美しい顔立ちを笑みの形に歪め、私と彼それぞれに向かって手を振った。
「いや奇遇やなあ。俺一人やねん。混ぜてくれん?俺も観覧車乗りたいし」
そこらへんで女でも引っかければ。そんな罵倒が浮かんだけれど、口からはどう頑張っても出てこなかった。白石君とは何もないって言ってたよね、と彼は慌てた様子で尋ねてくる。私は頷いたけれど、今更そうだと言ったところでどうにもならない。最悪のシチュエーションだった。結局今日は帰るね、と彼は力なく言った。白石だけが、いつまでもにこにこと笑っていた。
「二人でいきなり観覧車はないやろ。がっつきすぎや。あれキスするための乗り物やって銀魂に書いてあったで」
彼が去っていく背中を見ながら、訳知り顔で白石は言った。私は化粧をしていることが急に恥ずかしく、バカみたいに思われて、地面に一歩踏み出した。腕を掴んで引き留められる。
「ちょお何処行くん」
「帰る」
「せっかく会うたんやから遊んで行こ」
白石が機嫌よさそうな笑みを作って、ゆっくりとそう言う。ぞわりと肌が怖気だった。そんな機嫌をとられるような声を、かけられたことはなかった。
「……なんでこんなことするの?最悪すぎだよ」
バイブルがきいて呆れる、と私が詰っても、白石はどこ吹く風で、私の腕を強く引いて歩きだした。指が皮膚に食い込んで痛かった。
「白石、ちょっと」
「偶然会って暇やったら遊ぶやろ」
俺ら友達やし、という。声が不自然なほど明るかった。そのままの口が「観覧車乗ろう」と言う。キスするための乗り物だと、そう言った舌の根も乾かないうちに。俺絶叫系苦手やねん。謙也は好きらしいけどな。言葉がどれも届かないのだと知る。こんどこそ涙がこぼれた。頬の涙の筋を風が撫でて寒かった。心臓が痛いほど鳴っていて苦しくて、それと同じぐらい死ぬほど悲しい。誰だこの男は。こんな男知らない。いつも私を尊重してくれたのに。友達だって言ってくれたのに!手を振り払おうと腕を振っても、今度はもう指は、どうやっても離れなかった。きっと腕はあざになるだろう。
「なんでこんなことするの」
「なんでって」
涙で斜め上の顏を睨みつけたまま尋ねる。目元が見えなくて、白石はまた背が伸びたのだと思った。自嘲気味に笑って、私を見ずにひとり呟く。
「……なんでやろ」
なんでなん?と白石は言った。こっちが聞きたい。私が泣いて逃げようとしているので、道行く人たちはみな異様なものを見る様子で、私たちを眺めている。白石だけが当たり前のような顔をして完璧に、彫刻のように微笑んだまま私の腕を、迷いない足取りで引いていく。

畜生、バカ野郎!キスなんか絶対してやるもんか。