惨めったらしく泣きながら呪詛を叫んだところまでしか明確な記憶がない。まるっきり忘れたのでもないがおぼろげである。多分衝撃的すぎて脳が記憶に靄をかけているのだろう。尾篭な話で恐縮だが股の間が本気で痛い。じくじくと熱を孕む痛みは野ざらしの布が黄色く干からびていく様を連想させる。こんなにも強烈な痛みの果てに得るものが話に聞くほど甘美でないと知らされていたら一生処女を貫こうと考える婦女子ももっと増えるのではなかろうか。もっとも痛みとは主観的なものなので、誰かが私が昨晩行ったような行為をしたとしても、私を今責苛んでいるこの痛みと同じものを得るかどうかは不確定である。痛みもないまま話に聞く以上に甘美だと感じる幸福な人間もいるだろう。お前は爛れたやりかたをしたから爛れたような痛みを味わうのだと言われればまあそれまでな気もする。私だって好きな男が相手だったら感想がどうだったかわからないのだし。不平等な世の中だと思う。嗅ぎ慣れないけれど不愉快でもない匂いのする羽根布団に包まって顔を埋めた。そもそも私がこんなに不平等な痛みに身を焼かれている原因が世の中の不平等に由来するのである。不平等の海水に浸りながら私は考える。平等だの公平だの誰が考えた言葉なんだろう厭な言葉だ、と。本当はそんなのどこにもないくせに、なまじその形が存在しているだけ希望を持たせるところが最高に性質が悪い。「キチガイ」を差別用語認定する暇があるなら「公平」「平等」系の言葉を一掃してほしい。平等を叫ぶのと同じ口で、人には領分があると大人は語るし、実際与えられるものはそれぞれ違うし、何に関してだって、一番になりたいと思う人間がいる限り、誰かは下位に甘んじなければならないのである。こんなに長ったらしく講釈を垂れているのは現実を逃避したいだけで、私が一番言いたいことは、誰かの恋が実れば誰かの恋は破れるのだという、至極単純なことだ。そして私は敗れたのである。


失恋した。振られてすらいない。秘めた恋は隠しすぎて腐ったまま終ったのであった。放課後の教室で、可憐な、でもわりと普通の女の子を傍において、あ、これ彼女、と、宍戸亮の、はにかんだ横顔。崩れ落ちる微笑をなんとか保っていつからと聞いたら一週間前だと言う。一週間?ふざけるな。そのままの足で悪友にしてクラスメイトの、忍足侑士の家に突撃して知ってたんでしょうと当り散らしたのが昨日の話。玄関先で泣く誰が動考えても傍迷惑な馬鹿女の私を忍足は溜息一つつくだけで家に上げてお茶を出し辛抱強く話を聞いて宍戸に彼女が出来た事を黙っていたことについて謝罪した。忍足は、面倒くさがりだ。自分が悪くなくたって、謝って済むならすぐに謝る。システマティックで感情的でない。漸く正気に返った私は恥じた。そういうつまらない謝罪を彼にさせた自分がたまらなくみっともないことに気付いたのである。ごめんなさいと頭を下げるとそこで忍足は初めて苦笑して、私の頭を撫でた。泣け泣けと上手に促すのでお望みどおり思うさま泣いた。恨み言もたくさん吐いた。忍足はずっと私の頭を撫でてた。そして冒頭に戻る。


「処女なんか犬にでもくれてやる」


それから恐ろしく簡単な流れで私は犬にくれてやると豪語した処女膜を犬っぽさの欠片もない男によっていただかれてしまったのだった。この男にいただかれたいと思っている女子はけして少なくはない筈なのに、まったくそのようなつもりはなかった私がそういうことになってしまうというのもなんとも言えない不平等さである。全くそのつもりがなかったわりに、痛み以外の変調はなく、涙すら出ない自分も謎だ。失恋の痛手が私を自暴自棄にさせているのだろうか。白んだ朝日がブラインドの隙間から覗いていて、なんとなくベッドサイドに置かれたデジタル時計に手を伸ばしてこちらを向ける。まだ行動を起さなければならないような時間ではなかった。刻々となんていう言葉の似合わない滑らかさとスピードで一秒を刻むデジタルの文字盤を眺めて、温めすぎて腐ってしまった恋を思ったが、それは他人の作った近代芸術みたいに無感動だった。半端に伸ばした手を後ろから男ものの骨ばった手が掴んで握り、青い羽布団の上に落とした。ゆっくり振り返ると忍足はいかにも慣れた手つきで私の肩を抱き寄せる。体温の温かさと鼓動だけが伝わってくる。こんなに爛れたことになってみても、忍足は不思議なほど普段の忍足侑士のままであるらしい。私には特別なことだったとしても、この男には手馴れた日常のひとつなのだろうと思った。だからなんだというのでもないけれども。おしたり、と呼んだら、くすんだ笑い声がして、昨日の夜とおんなじように、他の名前呼んでもええよと彼は言う。ばからしいこと。何の慰めにもならない。首を振って、あんたは宍戸じゃないじゃん意味ない、と私が言ったら、忍足は困ったように眼鏡をかけてない目を細めて、私の頭を胸にくっつけた。低い声が微笑混じりに、俺もお前も難儀やな、と呟く。不審に思った私は顔も見せない友に向かって好きな人いるの、と尋ねたが、


「んー・・・内緒」


相変わらず溜息のような微笑が、耳元にかかるだけだった。






「犬になりたい」