ちゃん服脱いで。貰えて当たり前の菓子を強請るこどものような口調でヒカルはそう言った。部屋は暗く狭く、ベッドが一台と小さな勉強机、勉強道具と漫画本を適当につめた本棚がひとつある。影に塗りつぶされたピンクのカーテンがベランダへ出れるよう大きく取られた窓を半分と少し、中途半端に覆っていた。自分の部屋だけれども、典型的な子供部屋であると感ずる。ベッドに腰掛けた大人のような形のものには全く似つかわしくない。純文学なら、月光によって照らされた男は、と彼の美貌を称えただろうが、街灯だのカーライトだのの人工物で褪せた月の光は乏しく、窓から降り注ぐのは妙に白々しい、硬い光だった。けれどもその強すぎる明るさは、元々彫りの深い顔立ちの陰影をいっそう濃くして、仇名の通りの彫刻さながらの精悍さを更に強く際立たせた。私は暫く躊躇って、とは言っても彼の要求に応えるか否かに迷ったのではなく、ただ頭の中にあった言葉にする価値も術もないような雑多な思念をいくつか、たとえば彼氏のことなどを、数える程度に考えただけで、それから部屋着の薄い桃色のワンピースに手を掛けた。桃の皮をむくように、するりと裾を首から抜いて床に落とすと、柔らかい木綿の布が擦れてさらさらと音をたてた。下着だけの私をヒカルはじいと見ている。下着も、と尋ねると首を振って手招きをする。冷たいフローリングを音を立てないよう爪先立ちで歩いてヒカルの前に立った。筋肉質な腕が伸びて私の腰に触れた。体温のない、硬い手が私の肌を撫でた。

「・・・・まるで鞠のように丸くなった」
「寒い。それ私以外の女に言ったらぶっ飛ばされるよ」

しかしこの子どもが一体私以外の誰にこんなことを言う必要があるのだろう。私以外の女も皆、かつて薄くやわくそれでいて硬質な子供の身体をしていたのだということを彼はしらないのに。ヒカルの手は無遠慮に私の身体をぺたぺたと触った。乳児が物の形を確かめるようだった。女だね、と彼は言った。ここにいるのは大人みたいな形をしている男と、不完全でも一応丸みを帯びた体つきをした裸の女なのに、思わず笑ってしまいそうなぐらいに白けた空気の部屋は、寒々しくてさびしげである。事実私はこんなにもヒカルの近くにいるのに暗いところでひとり置き去りにされたような気持になっている。恐ろしい被害妄想だった。私はヒカルの伏せられたまま動き続ける目を見ていた。瞼に隙間なく伸びている睫は太く長く、光が当たって影を落としていた。美しい男だと思った。暫く呆然としているとヒカルは私のブラジャーを引っ張ってみてからちょっと変な顔をして背中に手を回し、頬を胸にくっつける。平均的な女性に比べれば平べったいが、女特有のまるくやわい脂肪のついた私の胸。ワックスも付けず、ただ柔らかいヒカルの髪が剥き出しの肌をくすぐる。ちゃん。残念だとでも言わんばかりの声、皺の寄る眉間。

「何で女なの」
「なんでって」

なんでって。ヒカルの髪を適当に撫でながら、いくつか反撃の言葉を考え、それでも結局、口から出たのは謝罪だった。ごめんねヒカル。腕の力が強くなった。肋骨が軋むほど強く抱かれながら、朝が早く来ればいいと思った。そうすれば多分私は服を着ているし、ヒカルはダジャレしか言わないし、サエとかバネとかいっちゃんとか、まだ私を女だと言わない人々がたくさんいるだろう。何度もなぞられた線のように日増しに濃く深くなっていく性別のボーダーラインに、私達は気づかないよう細心の注意を払って上を向き、仲良く手を繋いでそれを越えている。綱渡りの毎日である。時間稼ぎにすらなっていないと知っているのに、潔白を証明せんと言い訳のように服を寛げて我々はまだ親密である、と私は彼に言うのだった。彼がそう求めるままに。わたしたちは一体いつまでこんなことを続けていくつもりなのだろう?ヒカルだっていつまで私を自分の一部だと信じたがっているつもりなのか。わからない。明日私はまだヒカルのよき仲間であるだろう。来年は、再来年は、その先は。何もかもわからないのだ。ヒカルは私の唇をぺろりと舐める。キスをする。人間の味がする。ヒカルの目を覗き込む。硝子玉のような目だ。

「ドキドキする?」
「・・・んん」

しないだろう。そしてしないことに打ちひしがれているだろう。どうしたって恋にならない。ただただ離れ難さだけがそこに寂しく座っている。この男がいつか自分を愛さなくなることを私は知っている。ヒカルも私がいつか彼を愛さなくなることを知っている。年をとるのは悲しいと、若いということすら憚られるような幼さで言うのは、きっと酷く滑稽に聞えることだろう。けれども私は悲しいのだ。私達は悲しいのだ。生きていることは寂しすぎる。来年の私はもうヒカルの前で服を脱ぐことはしない。ヒカルももう私にそう求めない。私の下着姿を見る男は私の恋人だけになる。とても自然なことかもしれない。恋人が今の男と同じかどうかわからないが、どっちだっていいように思われた。だって恋なんか、些細なことじゃないか。私はもうじき帰るべき場所を亡くすのだ。それを悲しいとすら思わず、今ヒカルとこうしたことを子供の戯れと恥じるだろう、いつかの自分の姿を想う。絶望ではない。私は望んで人並みになるのだから。本当にただただ、寂しくて名残惜しいだけなのだ。涙が膜を張って目が潤む。瞼を閉じると頬に流れた。ヒカルの髪に顔を埋めてこっそり泣いた。





人も石碑になるように