「俺は殺し屋と呼ばれているんですよ」


沖縄に転校してきて一ヶ月が経ったある日、同じクラスの木手永四郎は偶々一緒になった帰り道でそう言った。彼の通称については転校初日にクラスの女の子たちが教えてくれて既に知っていたので私は返すべき反応を思いつけないまま無表情に頷いた。対応に迷う発言である。知っていたから頷いたが、知らなかったとしても、「ええーそうなの」とか、ぼのぼのみたいな反応しか返せなかっただろう。だって殺し屋と呼ばれる中学生ってどうだろう。異常である。喜んで呼ばれているとはとても思わない。しかし、わざわざ自己紹介的にその通称を使ったのだから、多分彼は気にいっているのだ。何よりもまずそれに一番驚いた。正直に言えばちょっと引いた。だけどその通称はわりかし的確に彼の人となりを表現しているのだ。彼は鬼畜で卑怯で手段を選ばない。その次に続いた台詞の意図を理解すれば大体の人は納得していただけることだろう。


「俺と付き合ってください」


なんでお前今自分のこと殺し屋って言ったの?


言われた私は黙って首を傾げた。混乱したのである。だって「俺は殺し屋と呼ばれているんですよ。」と「俺と付き合ってください。」じゃ、文脈にまるで整合性が無い。同じ俳優の主演した違う映画のワンシーンを切り取ってきたようなちぐはぐさだった。それが脅しだと気付いたのは、はいと言えば良いんですよと彼が焦れたように言葉を重ねてきてからだった。我ながら鈍感である。付き合わないと怖い目にあいますよと彼は言いたかったのだ。考えてみればとてもわかりやすくてシンプルである。卑怯である。少し間を置いてから、私は笑って、いいよ、と簡単に答えた。べつに脅迫に屈したからではない。私と同じ中学生の男の子に一体何が出来るというのだろう。私が色よいお返事をしたのは、彼が最後に言った、「俺は貴女が好きです」というド直球ストレートな言葉にいたく感心したからだ。だって中学生の男の子がこんなにも正直な告白するか、普通。もう、めちゃくちゃ照れた。羞恥を隠すために微笑んで頷いた。木手のようなイケメンにそんなこと言われたらそりゃあもう舞い上がるのも無理はない。2ヶ月ほど前の話である。もっと長かったような気がするのに、数字にしたら短いものだ。この島での日々は緩やかに穏やかに過ぎる。鬼畜呼ばわりしておいてなんだが他人が自分の意に反しなければそれなりに静かで、穏やかな男なのだ、木手は。私もわりかし従順な人間なのだし。


しかしその、わりに穏やかなはずの木手は今朝から物凄く機嫌が悪い。隣の席なのに一度も目が合ってない。もう五時間目なのにだ。彼氏が拗ねたときの対処法なんか知らないのでちょっと困っている。原因ははっきりしているのだけれど解決の方法が無い。友人が送ってくれた絵葉書が彼はお気に召さないらしいのだ。朝ポストに入っていたものをそのまま学校へ持ってきたことが余程喜んでいることのようにうつったのだろう。行きがけに気付いたので部屋に置きに戻るのも面倒だったという、それだけの話なのだが、不快だと言うことすらプライドが許さないらしい木手は眉間の皺の理由をけして語らないので、私も言い訳をする機会を与えられないままだ。平古場あたりに経緯を話せば自惚れるなと言われそうだけれども、葉書を見せるまではいつもどおりだったのだから、彼の不機嫌に他の理由があるとは考えがたい。頑なに此方を見ようとしない横顔を視界の隅で眺めて、小さく息を吐いた。困っている。何よりも、彼が不機嫌になったことを何処かしら喜んでいる自分に困ってる。考えるのもおぞましいので、苛立つ恋人のことはひとまず頭から追い出しておくことにした。東京タワーなんてこれまた芸の無い写真に目を落とし、消印をなぞってから匂いをかいだ。都会の乾いた匂いがする気がした。懐かしさというよりは純粋な距離の遠さを感じさせる。この島には無い匂いだ。目を閉じても浮かぶ景色が無い。何も懐かしいことなど無い。切なさの代わりに襲うのは睡魔だ。絶妙な訛りのある発音で教科書を読む教師の声と、景色を黄色く輝かせる日の光がこの上なく優しく私を眠りへと誘った。


根無し草は転勤族の宿命である。日本中を点々としながら成長期を送った私は浅く広い人付き合いだけに長けており、こんなふうに手紙のやり取りなどする友人などほんのわずかなのだ。どの町にも大体同じ期間だけ、均等な量の良い思い出がある所為で、郷愁というにはあまりにも淡い想いしか抱けない。中学も三年になっていきなり日本の最南端に定住を言い渡されだけれど、果たして此処が私の故郷になるだろうか。あまりにも育ちすぎたように思う。言葉だって、よくわからない。でも、とても美しい島だ。何処を見ても海がある。どこにも帰りたいとは思わないかわりに、帰りたいと思う場所がほしかった。多分私はここに生まれたかった。だって、なんでもある。蒼穹。透き通る海。風にざわめく砂糖黍の緑、白い砂浜。それにここには。


肩を揺られて起された。顔を上げると鮮やかなオレンジに色づいた外の景色が一番初めに目に入る。暫く見惚れてから視線をスライドさせると眉を寄せた木手がいた。いつのまにか私の絵葉書を手に持って、汚いものでもふるかのようにはためかせている。絵葉書を取ろうと伸ばした手に鞄を押し付けられた。下校時刻も過ぎたらしい。教師も呆れてましたよと言い捨てて木手は先を歩く。私は濃い木手の影を踏まないように避けながら、早足で隣に並んだ。無言のまま校門を出て海辺の道を暫く歩いた。とりとめのないことを考えて絵葉書のことも忘れかけた頃、木手は不意に口を開いた。


「そんなに帰りたいですか」
「何処へ」
「東京」


噴出したのは例によって照れた所為だ。だって帰るなと暗に言ってるから。木手は私に此処にいて欲しいのだ。いや、私如きに捨てられるなんていやなのかもしれないけれども。でも、その程度の執着だって私は喜んだだろう。嬉しくない、わけがない。


「なんで。全然だよ。第一、東京にだってそんなにいなかった」
「何処だっていい。ここじゃないどこかでしょうが」
「帰りたいところ、ないな。寧ろこっちに生まれたかったぐらい」


どこもそこそこ楽しくて、どこも同じで、だから何処にも大した記憶が無いのだ。こういうのも器用貧乏というのか?どちらにせよ一番損な性格であるように思う。自己嫌悪に苦いものでも飲んだ気持になって顔を顰めたが、木手ときたら一瞬ちょっと目を丸くして、それから顔をそむけるのだから、この男は結構かわいい人だ。性根が素直で正直なのだ。行動全部が大事なものを守るための手段だった。木手は自分を取り巻く全てを愛してるように見えた。故郷のこの島も。テニスも。仲間も。会話など多くも無いのに、そばにいると見えるもの全部が綺麗だった。隣を歩くのは夢見心地で、家につくのがいつも惜しいんだ、本当は。


「子供に願いを託すのもいいじゃないですか」
「ん?」
「ずっとここにいなさいよ。そうしたら俺と貴女の子供が此処を故郷にするでしょう」


気が早いなあ。それに突飛だ。予想外の提案に呆けてしまって暫く黙ってると、木手はちょっと早足になった。私は我に返って木手の制服の裾を掴む。目に痛いほど白い。返事ははいで良いんですよとお決まりの台詞を言う木手はやっぱりこっちをむかない。感じたこと無い気持が膨らむ。なんだかこの想いだけで残りの人生全部頑張れてしまいそう。ねえ、イマドキの子供の私はこの先なんて上手に信じられないけど、そうなったらどんなに素敵だろう。


「言っといててれてんじゃねえよ木手」
「黙りなさい。ゴーヤー食わすよ」
「私あれ結構好きだよ。炒めると、おいしい」


君の傍の世界がなんでこんなにも綺麗なのか知っているよ。どんなときでも守るものがあるからだ。守りたいと思うものしかそばに置こうとしないからだ。ひたむきで脇目は振らない。譲れないものだけを譲らないよう必死なのだ。いつもいつでもいつだって。なんだってこの人が私なんかを選んじゃったんだろう?わかんない。差し出される手を取って暮れなずむ空の下をゆっくり歩いた。木手は私の手をぎゅうぎゅう握る。痛いぐらい。気持だけが逸ってる。ずっとこうして歩いていたい。笑い出したくてたまらない。光が目に染みるたび涙が出そう。私はきっとこの日に帰りたいと、これから何度も思うだろう。それだけで充分すぎるほど、満たされている気がした。





ユートピアを手に入れた