彼女の回答


大変なことになっている。と生来ポジティブシンキングの塊であるはずの私が思うのだからこれは本当に大変なことに違いない。端的に言えば好きな人に好きな人がいることがバレた。というすごく中学生っぽい響きの、それだけのことなのだけれど、その人は私の想い人を自分の親友だと勘違いしていて、よし、じゃあ俺が協力してあげよう、なんてありえんてぃーな展開になっている。ありえんてぃーって、すごい頭悪そうだな私、と思うけれど実際その通りで、私は本当に頭が悪い。立海大付属に入学できたことは奇跡だ。合格発表後、親戚一同はむせび泣いて喜び、事務局に、「この合格は本当に間違いではないのか?」という電話をかけてしまった。一族総出でバカなのだ。まあそんなわけで、定期テストは軒並み悲惨。悲劇。いやもう寧ろ喜劇か?アホが珍しいのか、先生方は私にそこまで冷淡ではなく、そこそこ甘い成績のつけ方をしてくれるので、私の成績評価はいつも大抵、ほぼオール2、ちょいちょい3があって美術と家庭科だけ5、というアレなことになっている。皆さんほぼ2で甘いってナニソレ、と思われるかもしれない。でも先生たちは本当に私に優しくしてくれるのだ。本来は1をつけざるを得ない点数をとっている私をどうにか高等部へ進学させるため、はいつもきちんと授業に出て偉いな、アホだけど、は皆勤だったからちょっとおまけしてやろう、アホだけど、はアホだけどいい子なんです、飼育係もちゃんとやってるし、などといって誤魔化して2を押してくれているのだ。世界はやさしさでできていると思いますね。

かたや私の好きな人というのは、出席日数の関係でたまに4もあるけれど、成績はほぼオール5、優等生中の優等生でしかも全国大会準優勝を果たしたテニス部の主将という、スーパーマンみたいなひとである。身の程知らずにもほどがあると思うのでこの片思いは誰にも言ってない。言えるか。何でこんなアンバランスな片思いをするハメになってしまったのだろう。否、誰でも好きになってしまう人なので、気が遠くなるほど凡人の私がそうなったのは当然のことかもしれない。

幸村精市くんと私は3年間クラスが同じということ以外に接点は無い。彼が病床に臥せっていたときも、何度かクラスメイトと連れ立ってお見舞いにいったけれど、私は緊張しすぎてオッパイプリンの話とか、超下らない話しかできず、多分何このアホ女、と思われたことだろう。でも好き。だからこの状況は、贅沢だとわかっていても、とても傷つく。幸村くんは私が真田くんのことを好きだと思っているのだ。

さん、どうしたの?真田は頭の悪い女の子は好きじゃないよ。頑張って」

真田くんの好みなんて、心の底からどうでもいいよ、幸村くん。私は幸村くんの手製の英語のテストにシャーペンを走らせながら頭を抱えた。全っ然わからねえ。一問たりとも確かじゃねえ。

そもそもこんなことになった原因は幸村くんが私のあまりにも酷い成績表を拾ってしまったことにあった。担任が廊下に落したのだ。あんな恥ずかしいものを廊下に落すなんてどうかしている。幸村くんは私の成績を見て驚愕し、思わず担任に私の教育係を申し出た。私が高等部に進学できるのか心配したらしい。なんていい人なんだろうか。憧れの幸村くんに勉強を教えてもらえるなんて、私死ぬ気でやります!と意気込んだはいいけれど、やっぱりバカはバカで、できることとできないことがあった。「きみ、本当に頭が悪いんだね」と幸村くんは感心したように言った。そうですよね。

そのような勉強会の最中に、テニス部の試合を観戦に行ったことについての話題になり、全国大会での真田くんの活躍ぶりについてつい熱く語ってしまい、気が付くと私は真田くんファンに認定されていた。本当に頭が悪い。でも、だって、幸村くんってあんまり試合に出ないから・・・。コートの上の真田くんは物凄く格好よくて、禍々しくて、もうすげえな色々!というかんじだったので、話題にしやすくて出しただけだったのに、この始末。笑ってくれよこんな私を。

それから幸村くんは私を真田くんに近づけるべくいろんな作戦を練り始めた。私の胸は張り裂けんばかりに痛んだけれど、彼の隣にいられることが嬉しくて未だに訂正できずにいる。幸村くんは、儚げな顔をしているのに、なかなか押しが強い。実にさまざまな角度から真田くんを攻略しようと作戦をたてる。この前の日曜日は、「さん?今日、真田がどこかに出かけるみたいなんだ。尾行しようと思うんだけど来るよね?」という電話がいきなりかかってきて、恋の奴隷である私は急いで一張羅のワンピースを着て出かけた。私服の幸村くんは鼻血が出そうになるぐらい格好よかったけれど、やることは真田くんの尾行。しかも結局真田くんはデートとかそういう浮いたことがあるわけではなく、ただ単にスポーツ用品店にグリップテープを買いに来ただけのようだった。買い物を終えて帰路に着く真田くんの後ろで、つまんないなと幸村くんは吐き捨てるように言い、足元にあった缶を真田くんの脳天めがけて蹴り上げた。勿論それはクリティカルヒットした。・・・ん?思い出すとなんなんだろう、あの尾行。なんの意味があったんだろう。幸村くんて、結構変な人なんじゃないのか?

さん。もしかして具合でも悪いの?」
「うえ、ええ?悪くないよ」
「そう?でもいつもはバカなりに一生懸命やってるだろ?今日はすごく調子が悪そうだ」
「あ、ちょっと、色々・・・考え事があって・・・」
「へえ。俺との勉強よりも大事なことなのかな」
「ほ、本当にごめんね・・・違うの、これより重要なことなんかないんだよ。ただ私が集中力ないだけなの。ごめんなさい」

幸村くんは私から目線を外して、小さくため息を吐いた。あきれさせてしまっただろうか、死にたい。目頭が熱くなる。いくら教えてもらっても悪いままの頭。誤解。こんなんで好きですとか、冗談じゃないだろう。幸村くんはきっと怒るだろう。なんでわたしってこんなんなんだろう、もっと頭よくて美人で、運動できて、好きな人に好きって言える人になりたかった。

さん」
「・・・はい」
「今日はもう止めにしようか。集中力がないときって、具合があんまりよくないときだからね。そんな顔しなくても大丈夫、明日また頑張ろう。」

恐る恐る顔を上げたら、幸村くんが困ったように笑っていた。頑張ればきっと次のテストはいい点数が取れるよ。学年で50位以内に入ったらちゃんと真田に言うんだよ。俺たちはもう部活引退したからね、きっと大丈夫。

「好きなら好きってちゃんと言うんだよ」

俺もだけどね、と彼は自嘲気味に言った。私は心臓が冷たくなるのを感じた。ああ、幸村くんも好きな人がいるのか。この人に好かれて、愛されて、それをふいにするひとなんかこの世界にいるんだろうか。有り得ないだろうと思う。やさしくて、頭がよくて、かっこうよくて、スポーツができて、誠実で、正直で。私なんかなんにもない。バカだし、顔もかわいくないし、運動オンチで、クロッキーに描いた幸村くんの絵を、生徒手帳に入れてこっそり持ちながら、真田くんを追いかけているふりであなたをだましてる。涙が出てきて、両手で顔を覆った。幸村くんが立ち上がったのがわかる。珍しくあわてた声がした。こんなことを言ったら、二度と口を利いてもらえないかなあ。でも、もう嘘がつけないよ。

「ごめんね、ゆきむらくん。わたしね、本当はね」































彼の回答


一行目からネタばらしというのもどうかと思うけれど、まだるっこしいのは嫌いだからハッキリ言おう。事態は最悪だ。俺の好きな子が真田に恋をしている。好きな女の子が親友を好きだとか、何処の三流少女漫画だよと言いたくなるような設定だが、現実なので始末に負えない。しかも、柳や柳生なら未だしも、真田って。真田って(笑)。今はもうなんか脱力してしまって笑えるけれど、この事実に気づいたとき、俺はギラン・バレーに酷似した病気が再発したかと思ったほど胸が痛かった。神様とか、信じていないけれど、もしも居るんだとしたら相当俺のこと嫌いなんだろう。真田の練習メニューが倍に増えたことは言うまでも無い。引退したって?そんなの知らないよ。付属校だから余程のバカでもなければそのままエスカレーターで高等部にあがるのだ。卒業ぎりぎりまで部活に勤しんだって文句は言われない。まあ俺の好きな女の子は余程のバカなので部活どころじゃなく、とまったエスカレーターを必死で駆け上っているのだけれど。

彼女の名前はさんといって、俺とは三年間同じクラスということ以外には特に接点が無い。愛嬌があって元気で、なかなか好みではあったのだけれど、俺は部活で忙しいし積極的に仲良くするというわけにもいかなかったのだ。今更だが二年間の空白が悔やまれる。その間に距離を詰めておけば、彼女も真田みたいな朴念仁に惚れることもなかっただろうに。今勉強会と真田攻略の協力という名目で必死に追い上げをしているけれど巧くいくかどうかは微妙だ。俺が真田に負けるとか冗談じゃないので、なんとかするつもりではあるが、すでに手を打ち尽くしているというか、大分手段を選んでない自覚はある。俺は結構このアホで無垢で疑うことを知らない、可憐な女の子を騙しているのだ。真田は料理の巧い女子が好きだよとか言って弁当を作ってこさせたり(勿論俺が食べた)(美味しかった)真田を尾行しようといって二人で出かけたり(途中で見失ったふりをしようと思ったが、があんまり一生懸命なのでつまらなくなって真田の頭に缶を蹴り上げてやった)あと彼女が真田に懸想していると知る前、成績表が落ちていたのを拾ったというのも嘘で、職員室の机に積んであったのを失敬したのだ。まさかここまでバカだと思わなかったから驚いたけれど。だって美術と家庭科だけ5で、現国と体育が3、あとは全部2って、何の冗談だよ。そんな通知表みたことなかった。俺の周りには大体通知表には5か4、3がちらほら、というような人間が多い。定期テストでは一位はほぼ確実に柳だし、それから次点で柳生。俺か真田が三位か四位で、あとちらほらと生徒会役員が入り、たまに仁王が八とか九位ぐらいに居る。ブン太とジャッカルもそこまで悪くない。大体20位から30位までには入る。つまりテニス部員は、俺が通知表を見る機会のある人間は、皆大変よくできる部類の頭脳を持っていて、ややもすれば3でも珍しい、といっていい。赤也は除くけど。でも赤也だって英語以外はそこまで酷くはないのだ。まさか赤也の英語と全教科同レベルな女の子を好きになることになるとは、まったく思っていなかった。人生ってわからないものだね。

さて稀代のおばかさんは俺の策略に何ひとつ気づかないで一生懸命今日も俺の命令に従う。真田が頭のいい女が好きだと聞いて頑張って勉強する。まあバカはバカだけど、努力家だし、一応立海に入れたのだから、毎日今の調子でやれば、高等部へあがってもそこそこの成績はキープできるだろうと思う。本当に頑張るんだ、気の毒なぐらいに。俺が絶対やってこれないだろうな、と思った分厚い計算ドリルも間違いは多かったけれどきちんと期限までにやってきたし、説明や解説には一字一句聞き漏らさんと言わんばかりに神経を研ぎ澄まして耳を傾けているし、素行にはまったく問題がない。ただきっと本当に勉強が苦手なんだろう。苦手なことを好きなひとのために頑張る、健気な姿を見て、俺はまた彼女を好きだな、可愛いなと思ってしまうのだ。ねえさん、いいこと教えてあげようか。真田は絶対に君のことを好きにならないよ。だって俺は君の話を真田にしているから。君のおっちょこちょいで、だまされやすくて、すぐに忘れ物をしてしまうとか、そんな些細な欠点の話を、それが君のすべてみたいにはなすから。すごく頭の悪い女の子で成績表には2しかついてないって話をしているから。歯牙にもかけてない、ただの雑談みたいに君の話をするから。真田はまじめで頭のいい女の子が好きで、まじめで頭のいい女の子は成績表には5が付いているものだって思っているから。

きみの、可愛いところとか、頑張り屋なところとか、料理がうまいところとか、絵を上手に書くこと、いつも一生懸命なところ、歌が上手なこと、動物に好かれること、飼育委員を精力的にこなしていること、頼まれごとを断れないところ、植物をうまく育てること、よく知らない人とも話を合わせようとするところ、いつも笑顔でいること、悲しんでいる人がいると精一杯努力して笑わせようとするところ。そういう、勉強ができないとか、忘れ物が多いとか、おっちょこちょいだとかの、下らない欠点を補って余りある素敵な部分の話を、俺は、真田に絶対に教えないから。

彼女の恋が叶わないのは、半分ぐらいは俺の所為だ。真田の好みなんか知らないけれど、彼女がもしも正攻法でやったら、或はそれは叶えられたかもしれない。俺は彼女の恋の芽がでないように、丁寧にそれを踏みにじる。

こんなこと教えたら、さんは俺と一生口を利いてくれないだろう。酷いよね、俺は。入院中、クラスメイトと連れ立って俺を見舞ってくれたさんは、碌に話したこともない俺を楽しませるために色んな話をしてくれた。オッパイプリンとか、俺の前で言い出す女子がこの世に存在するとは思わなくて驚いたけど、新鮮で面白かったし、実物を渡されて少し困ったけど、食べてみたら普通においしかったよ。俺がテニスをしている絵を一枚描いて渡してくれたね。あれ、本当に嬉しかったんだ。まだ頑張ろうって思えた。格好よく描きすぎだったんだ。負けられないと思った。君は絵を描くのが巧い。俺がガーデニングが好きって聞いて、自宅の庭の鉢植えの写真をたくさんくれた。蒼いペチュニアが綺麗だった。君は花を咲かせるのが巧い。テニスの試合見にいくねって笑って、俺の帰還を微塵も疑わなかった。大丈夫って、一度も聞かなかったの、君だけだったよ。君は俺がもどる未来のことを、もう知ってるみたいだった。君は俺を喜ばせるのが、とてもうまい。

俺は酷いことをしているよね。戻ってこなければよかったのにって、さんは思うかな。

珍しく集中していない彼女から英語のプリントを取り上げる。泣き出しそうな顔をした。何を考えてたんだろう。真田のことだろうか。俺は奥歯を噛み締める。真田にちゃんと言うんだよって、俺は酷い男だ。俺は彼女の敗北を確信している。真田はなんと言って彼女を振るんだろう。俺はなんて言って彼女を慰めるんだろう。弱みに付け込んでいる、嫌な奴だ。好きな人には、ちゃんと好きって言うんだよ。って、どの口が言うんだ。「俺もだけどね」と、贖罪にもならない、自嘲でそう呟いた。なんで真田なんだ。俺のほうが、何百倍も。




(こたえあわせをしましょう)