私は氷帝ではどちらかというと少数派分類される中学からの編入組なのだが、他校に通う小学校時代の友人にあの跡部景吾と付き合っているなどということがばれたりするとそれはもう大変に面倒くさいことになる。辟易を隠していない私の眉間の皺を無視して、好奇心に煌いた瞳は憚ることなくほぼ100%の確率で馴れ初めを聞いてくるからである。こんなに嫌なことはない。なぜ嫌かといえば私と跡部の間に馴れ初めなどというものはないからだ。このようなことになってしまったのは成り行きだ。言葉の音感は似通っているが字も意味もまるで違うし、馴れ初めを話すより成り行きを話すことのほうがずっと煩雑でかったるい。初めてはどこで出会ってどんなところに惹かれてこのような経緯で付き合うことになったのだと他人に逐一説明するのだって相当退屈には違いないが、登場人物は相手一人に絞れるぶんだけ楽なのだ。しかしこれが成り行きともなれば本当に最悪に面倒くさい。私が他人に比べて惰弱であることは否定するつもりもないが、こんな長くてつまらない話を一から十までしなきゃならないのは、きっと私だけでなく誰にとっても非常に苦痛であろうと思う。散々面倒と言散らした挙句またくり返すのも恐縮であるが敢えて言おう。面倒である。ので、とても簡単に話すことにする。その日は夏の暑い日で氷帝学園テニス部は山吹中との練習試合だった。私はマネージャーなので真面目に隅っこのほうでボールを運んだりなどの雑用をこなしていた。のだが、山吹中には女と見れば見境なく声をかけてくるオレンジ髪のチャラ男がいてこれに捕まってしまったのである。押し問答のような会話の末にチャラ男は私にこう言った。「好みのタイプとかは?」一刻もこの状況から逃れたかった私は無表情に「富豪」と返した。私の後ろに跡部がいた。


知っているだろうか?跡部の家は富豪なのだ。


それからはもう地獄絵図だった。チャラ男は苦笑めいた表情を呈し、あらら俺フラれちゃった、などと余計な言葉を言って去るし、偶然跡部と一緒にいた岳人は「お前そうだったのか・・・」と何故か深刻な顔をして背を向け、部員に即刻私が跡部に桃色片想い☆というような誤報を流すし、何よりも一番酷かったのが跡部本人である。彼は暫く下を向いていて、私が混乱ゆえの氷結を解いてちがうお前じゃないから!と言おうとした瞬間に、丁度顔を上げた。あの高笑いと共に。もう、テンション爆上げで、かわいいとこあんじゃねーの!などと喚き散らしていた。照れ隠しに見えないこともなかった。付き合おうなどと言った覚えは無いし言われた覚えも無い。しかしあのテンション爆上げの跡部に「いやお前じゃないから」などと言える人間がいるだろうか?私には出来ない。翌日から堂々と彼氏面してきた跡部を「いや勘違いだから」と切り捨てるなんて所業が。無理に決まってる。


そんなこんなで誤解も解けぬままもう半年近くなのである。私はこの成り行きを説明する鬱陶しさを少なくとも10回は味わったし、跡部と付き合っていることによって発生した日常レベルのトラブルを列挙すれば千手観音でも指が足りぬほどである。態々言うことでもないが跡部はモテる。死ぬほどモテる。私のような小庶民が隣にいることについて、0の数を間違えたような値段のする衣類などをあいつの誕生日に贈りつける煌びやかな乙女たちが、腹を立てるのは当然の話だと思う。靴に画鋲が入っているような古典的いじめは日常茶飯事だ。もっときついのも皆無ではない。最近はあまり無いけれども。まあ、実害はあっても、本当はそんなことは些細な問題かもしれない。結局のところ、一番問題なのは私と跡部の話なのだ。一体いつまでこんなおままごとのような真似を続ければいいのだろう。自分で言うのもなんだが私には色気がない。一応付き合ってはいるのだろうし、跡部も彼氏のような面をしてはいるが、実際恋人らしいことなどしたことはないのである。マネージャーも極めすぎて南ちゃんどころかお母ちゃんって感じだし、休みの日に裂きイカ食いながらモンハンやるのが至上の喜びだと考えてる女とデートだキスだセックスだ、したいと思う奴いるのか。いない。


「ってわけでさ、別れようかと」
「・・・・ふーん。跡部に言ったの?それ」
「まだ」


ジローはいつもどおり眠たそうな半眼で私をじっと見つめて暫く黙り、ペンケースをひょい、ととると私の頭をそれで殴った。薄い布越しにペンのクリップ部分がつむじにあたって普通に痛かった。思わず悲鳴を上げて頭を押さえると、ジローはもう既にペンケースを置いて、机に顎を乗せてうつらうつらしている。


「何すんの」
が馬鹿だからしょうがないC」
「はあ?なんでそうなんの。元々跡部がさ」
「まずしてみればいいC」
「何を」
「恋人っぽいこと」


言い捨てるとジローはそのまま目を閉じて、一瞬で寝息を立て始めた。なんなんだこいつは。それが容易くできれば苦労はしない。跡部のことは、正直恋かどうかよくわからないけれども、少なくとも嫌がらせに半年耐えうるぐらいには、好ましく思ってるのである。というか私にはもったいない。しかしだからと言って今更手を繋いで町を歩けといわれても困るのだ。1,2年と共に過ごして今年で三年目に突入した私と跡部の「友情」だが、自分で言うのも癪だけれども私の我が強すぎる所為で殆ど悪友めいたものなのである。付き合いだしたと周りに見なされるようになってからだって実際、関係はそう変りはしない。俺様のものだと公言されて昼ごはんを一緒に食べるぐらいである。偶に夜ご飯も食べるけれども。喧嘩も多いし会話の九割方は厭味皮肉の飛ばし合い。こんな体たらくでいったいどうしろというのであろう。私に何が出来るの。なんだか怒っていたジローのことを思い出しながらトボトボと歩く帰路で、書店の平棚につまれた編み物の本を読み合う女子高生らしき二人組みを見かけた。


「マフラー?」
「ううん。今年は手袋にする。マフラーは今使ってくれてるし」


そう言って幸福そうな微笑を浮かべる女子高生のあまりにもなリア充っぷりに戦慄しながら、なる程マフラーねと私は思ったのである。手軽だし恥ずかしさも薄かろう、そう考えたのだ。何よりも「手作り」という言葉、何故こうもあまやかに響くのだろう。罠である。甘いのは響きだけだ。編み物の本を購入して帰宅した私がその後どうなったのかそれほど想像に難くないことであろう。マジ、編み物、難しくないですか?才能が無いだけですか本当に申し訳ございません。一ヶ月ほど奮闘したけれども駄目なものは駄目である。何度も間違えて解いた所為で毛糸はよれるわ、力の入り具合が場所によって違う所為で真直ぐな布状にはなっていないわで、黒一色なのにここまで汚らしく編めるのもある意味才能といえるかもしれない。何故こんなものの製作を一ヶ月も続けたのかというと意地である。編み物如きできないわけねーだろ!と思ったのである。跡部にやろうなどという世迷言はかなり早期に霧消したのだが大事な事を見失いすぎていることは否定できない。ジローも冷淡な目で初心を忘れた私を見ていた。しかし冷静に考えてみれば跡部が手作りマフラー巻いてるとこなんて普通に見たくないなと思う。負け惜しみではない。完成の瞬間からボロ布だった私の手作りマフラー。長くすれば誤魔化せるかもしれないと長さだけはあるが毛糸の無駄である。その長さの為に念が篭ってそうで気持悪い。処分に困って部室のロッカーに放り込んでおいた。筈だった。


「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」


何故お前がそれを持っているんだ跡部景吾。私が編んだ襟巻きというよりはぼろ雑巾に近い、黒い毛糸のマフラーは、彼の長く、運動部の男にしては白い指に握られているとよりいっそうみずぼらしく見えた。私達は部室で二人きり、野良犬同士が牽制し会うように間を取って黙り込んでいた。何故持ってるか。聞くまでも無い、どうせジローか、ジローに聞いた岳人か忍足あたりの仕業である。多分忍足だと思う。岳人はこういう無駄なことはしない。宍戸については言及するまでも無い。今は余計な事を考えず、取り敢えずあのゴミを奪還し、しかるべき場所、つまりゴミ箱に棄てるべきである。じりじり間合いを詰める、が、跡部が急に肩を震わせておなじみの高笑いをしだしたので私はもう正直その時点で敗北を悟った。部室に跡部の無駄によく響く「ハァーッハッハッハッハ」が反響し空気を揺らす。私はそれが時々照れ隠しの笑いなのだと知ってるのだ。あのときも、そうだったから。どうやってやるのかしらないが日本人離れした白い頬は赤らまない。けれど、代わりに耳の端が赤くなる。あんなクソみたいなマフラーで喜んでしまう跡部様なんてまったくリアルでない。私の身ぐるみはいでテメエみたいな色気の無い女でも役に立てるぜとか下衆な台詞でも吐いてくれたほうがまだ現実感があると思う。この男は絶対そんなことしないけど。ほら。ひとしきり笑ったあとにはしゃいだような声で「下手くそにもほどがあるだろ」と言うのだ、嬉しくて堪らないみたいに。馬鹿じゃないの。アホの王様はそのボロ布を自信満々にふんぞり返って首に巻いて帰ろうとするので私はもう半泣きである。対する跡部はといえば進路を妨害するものは何人たりとも許さない男だというのに制服の裾を引っ張っても機嫌よく笑ってるのだ。


「ふざけんな馬鹿?あんた馬鹿?ほんとやめてお願いだから。雑巾巻いたほうがまだあったかくてマシだよ」
「俺様のものを俺様がどう使おうが勝手じゃねーか」
「まだあげた覚えないし」


まるで第二段があるみたいな言い方だ。綺麗なマフラーを編めるようになる頃には、きっと春が来ているだろう。半身にすがり付くようにしてなんでもしますからお願いしますと遂に敬語で懇願する。我が校の王様をこんな姿で外に出すなんて正気の沙汰ではない。


「お願いほんとにやめて、」


遂に本気で泣きかけた私の頭に跡部の手が、多分、躊躇いがちなんだろう、緩く割れ物に触るように回された。心臓の音が聞えることに気付く。どういうことか認識する前に身体が固まった。濡れた目を上げると跡部の瞳に私が写っていて、時間が止まったように思えた。ああ、馬鹿なのは私だったのだとそのとき初めて知る。私はきっと嫌で泣いてるんじゃないのだ。本当は嬉しくてしかたがないし、こんなことで喜んでくれるお前がいとおしくてたまらない。好きにならずにいられない。


「、


綺麗な瞳は最後まで開かれたままだった。私も瞼は閉じなかった。全部夢になってしまう気がしたから。だって、ねえ、跡部、なんでそんな泣きそうな顔してるの。







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