俺はこの冬もしそれをされたのがジャッカルや赤也や仁王や柳や真田だったらそれから向こう5年はそいつの顔見るたびにたっぷり十分は笑い転げるだろうと自信を持って断言できるサイッアクにダッセエ振られ方をした。俺のチームメイトは赤也を除くと誰も俺ほど優しくはないので、今世紀最大級に酷だと言っても過言ではないだろう「浮気しまくった挙句衆人環視のなかで彼女に土下座されて振られた」という目に逢った俺をけして嘲笑するようなことはない。笑って貰えれば殴り返す口実ができるだけいくらかはマシだっつーのによ。俺らの部長は俺にその程度の逃げ道を与えることすら許さなかった。いつも正しい幸村くん。細い背中が去った後の校門前の刺すような沈黙の中、最悪な空気をやわらげるべく多分「丸井先輩ダッセー」と笑おうとしたんだろう優しい赤也は「丸井せんぱっ」の時点で幸村くんの鞄による正義の鉄槌の餌食になり地面に沈んだ。凍てついた視線は這い蹲る赤也から俺にスライド。瞳に捕らえられた瞬間俺は自分の前にネットがあるような奇妙な錯覚を起した。幸村くんのテニス、獲物の手足をもぎ頭を潰す完全無欠の冷酷なテニス。

「反省しろ」

当然はい以外に返す言葉はない。このときの幸村くんがあまりにも恐怖の大王だった所為で俺の失恋劇は誰も触れてはいけないという暗黙の了解が出来てしまい、お蔭で誰もあいつのことで俺を責めないし俺を茶化して馬鹿にしない。俺は一人で余計な事を挟む余地を一切持たないままあいつのことを考えなければならないというわけだ。しかし高々中学三年生のレンアイにそこまで真剣になってられっかよと思わないでもないので、俺はあいつに振られて幸村くんに睨まれた二日後には咽喉もとの熱さを冷まし、浮気相手だった後輩ちゃんを正式な彼女の座に据えた。後輩ちゃん、狂喜。クリスマスの予定を嬉嬉として立てている様子はあいつほどではないけれどまあそれなりに可愛いし、たとえ俺がまた浮気をしたとしても公衆の面前で土下座して「貴方といると死にたくなる」という死ぬほど重い言葉を残して去っていくようなことはしないだろうと確信できる程度には頭が軽い。俺にはこーゆー馬鹿な女のほうがあってたんじゃね。最初からあいつと付き合ったことが間違いだったんじゃね。別れてよかっただろい。というわけで俺はあいつに振られて一週間後には反省することもやめた。だって俺ら所詮中坊だろ。人生かかってるわけでもない。今付き合ったって結婚まで行くわけじゃねーし。そういう奴もいるけどなんにせよそれは俺じゃない、特別な奴だ。幸村くんとか真田みたいな。


「センパイあたしネックレスほしー」


とアホ丸出しの今の俺の彼女は言う。オネダリが様になる。あいつは今思うとほんっとに生きてんのかコイツってぐらいに欲がなかった。俺は笑って「いいぜ」と返してポッキーを齧り、縋り付いて来る女を適当にいなしながらラッキー、と思う。何故なら俺はあいつの為にそこそこ高いクリスマスプレゼントを買っていて、それがネックレスだったから。プレゼントの使いまわし。でもいいだろ。俺が持っててもしょうがねーし、こいつは多分スゲー喜ぶだろう。俺もこいつもハッピーハッピー。まあお前の為に買ったわけじゃないけど。つーか、それ言っても喜びそうなヤツだ。本人は美人で評判の先輩から男寝取ったつもりで得意げらしいし。よかったな。


「センパイ?どうしたの?嬉しそう」
「んー?うん嬉しいぜ」

 
そうこうしてるうちに二学期が終り日々が過ぎて天皇誕生日。12月23日。クローゼットに仕舞ってあったネックレス入りの紙袋を引っ張り出して中を確認する。店員がオマケで付けてくれた名前入りのクリスマスカードを机の上に放り投げた。黒い艶のある固い紙袋の中から赤いベロア生地の貼ってあるボックスを気持丁寧に取り出した。音を立てて箱を開くと中には品のいいピンクゴールドのチェーンに小ぶりの球体のペンダントトップ、嵌めこまれたスワロフスキーのビーズが蛍光灯の光を反射してキラキラ光ってる。俺ほんとマジセンス良いなと我ながら感嘆した。あいつ馬鹿だな。クリスマスまで我慢してればこれ貰えたのにな。

 
の白い肌にピンクゴールドはよく映えただろう。つーか、年中親に金を無心してる万年金欠の俺がなけなしの貯金を切り崩してまでこんなもんを買ったのは、ショウウィンドウに飾られたこのペンダントが、どうしようもないほどあいつによく似合うだろうということが、直感的にわかったからだ。他のどの女より一番に似合うって、絶対に、そうだと。


「・・・・あー・・・・」


ああああー。考えんな考えんな。俺はペンダントの箱を置いて、机につっぷすようにしながら、投げ捨てたカードを指で掬って力の限り握り締めた。強烈な熱を持って胃のあたりから喉へと、込上げてくる何かを抑えるように唇を噛む。やめろ。もうおせーよ。わかってるけど、止まらない。。何処までも俺を許すんじゃないかと俺が思っていた超絶かわいい俺の彼女。

 
頭の中で5秒数えて、首を振って立ち上がる。ジャケットを引っ掛けて財布と携帯をポケットに突っ込んで部屋を出る。纏わりついて行き先を尋ねる弟たちを適当に宥めて、俺の足は近所のデパートに向う。馬鹿じゃねーの。あれ、渡せばいいだろ。見るだけで値段がわかる安っぽいネックレスなんか貰っても後輩ちゃんガッカリだぜ。あいつはもう関係ねーし、今更、もう彼女でもねえ女に義理立ててどうすんだよ。馬鹿だろ。すっげえ凡人っぽいだろ。


でも俺が本気で「俺って天才じゃね?」と思っていたのは精々小学生までの話なのだ。裏を返せば小学生までは本気で自分が天才だと思っていたということだが、だから当時の俺は「どう?天才的?」とか「俺の天才的妙技」とかしきりに天才を強調するようなことは言わない子供だった。ホンモノの天才は天才を自称する必要がない。俺の無知故の高慢がぶち壊されたのは中一の春。テニス部に入部したての俺はすぐに「こんな学校入んなきゃよかったー」と思った。でもこれって別に俺だけじゃない。ジャッカルも仁王もヒロシも他のレギュラー獲れなかったタメの奴らも、そう、幸村くんと真田と柳以外の全員がそう思ったに違いないのだ。俺は俺を才能がないと思ったことは生まれてこのかた一度もない。努力一本でレギュラーを獲れるほどうちの選手層は薄くない。しかしきっと俺は天才ではないのだ。俺は幸村くんが面白くて頭も良くて案外ノリがいい奴だと知っていて人間としても大好きだし、真田はウルセーけど努力家で自分に厳しくてでも妙に天然っぽいところがあって中々おもしれー奴だってわかってるし、柳がクソ真面目に見えても案外茶目っ気の多い奴でデータを結構無意味な方向に使ったりして遊んでる楽しい奴だって知ってるし、三人とも仲間として尊敬もしてるし大事だけど、でもこいつらは俺とは違う。


こいつらは絶対に俺には負けないのだ。いくら俺が技術的にあいつらよりも上手部分があったとしても、試合をすれば俺はこいつらには絶対勝てない。これは単純だけど決定的で致命的なことだ。そうだろ?一生、どんな努力をしても勝てないのだ。


他の女へのプレゼントを選びながら、なんで大事にしてやらなかったと、未練たらしく思ってる、俺は最高に凡人である。泣いてる顔が見たかったとか、もっと怒って欲しかったとか、言い訳がましいにもほどがあんだろ。でも俺は滅多に見れないの怒った顔が本気で好きだった。泣き顔も好きだった。笑った顔よりもずっとずっと好きだった。あと、それから、だけは、俺を最後は、何処まででも、許してくれるんじゃないかと本気で思ってた。が削れていく可能性を俺は考えたことがなかった。振られて当然じゃね。ジャッカルもそう言ってたよな。軽くってか、殆ど別の会話に混ぜてだけど。ほんとうにそのとーりです。千二百円のネックレスを店員に包ませて店を出る。まだ五時過ぎだがもう暗い。家までの道すがら俺はのためのネックレスの処分方法を只管考えていた。まあ、俺が満足できる方法なんていうのは一つしかねーんだけど。家に着いて玄関入る前、俺は携帯を取り出して、これまた未練がましくアドレスを消せていないままののメアドを選択した。ドアに寄りかかってじっと文面を考える。渡したいものがあるので、うん、来ないな。絶対来ない。でも、来なくても、いいだろ。


六時にローソンの前の公園で待ってる。来なくてもいいです。ずっと待ってます。


とても現国5とは思えない文章を作成して送信ボタンを押す。来なくてもいいのにずっと待ってるってなんだよ。でもこの文面なら来るかもなと俺はばっくばっく言ってる心臓を押さえながら思う。あいつ良い子ちゃんだから。ずっとそこに漬け込んでたわけだし。俺は携帯を握り締めたまま家に入り、部屋へ戻って紙袋を引っつかんでまた外にでる。六時には大分早い。しかしいつも待たせるのは俺だったから、最後ぐらい彼女を待つのも悪くない。そもそも来ないかもしんないけど。家を出る直前に携帯のバイブが鳴って心臓飛び出るぐらいびびったけど、無視した。答えを知りたくなかった。俺はを待ってみたかったのだ。殆ど走ってるみてえな早足で公園に向った。街灯が一個しかない真っ暗な公園。昼間は絶対に二人以上いる子供たちも今はいない。砂場にブルーのプラスチックのスコップが寂しく置き去りにされている。俺は時計のついたポールに寄りかかってそのままずるずると地面に腰を下ろした。六時まであと二十分ってとこだった。膝を抱えて顔を埋める。来なくてもいいです。でも来てください。お願いします。お願いします。クリスマスプレゼントいらねーから、お願いします。




 


 
「・・・・、丸井くん」


何分たったのかわかんねえ。けど多分それほど経ってない。顔を上げるとがいた。街灯と時計の白くて幽かな光に照らされている彼女は困ったような、驚いたような、哀しいような顔をして俺を見ていた。真っ黒い目に俺の間抜け面が映ってる。「急にどうしたの」ブルーのセーターにチェックのプリーツスカートで、上に白いダウンジャケットを着ていた。可愛かった。家を出る直前まで来るか来ないか迷ったんだなとなんとなくだが、思った。俺は急いで立ち上がった。が後退りするのに余裕で傷ついた。マジでバカだ。時計を見るとまだ五時五十分で、ほんとこの子大丈夫かよと思う。


「急に呼び出してごめんな」
「ううん、全然・・・や、よく、ないけど」
「・・・うん、よくねえよな」


ヤッベえ本音だよな今の。さっきからすっげえ簡単にめちゃくちゃ傷つく自分に驚く。笑顔が引き攣る。空気が最悪。軽口のように「いややり直したいとかそーゆーんじゃねえから警戒しないでくんね」とかくだらねえこと言ったらの肩がびくりと震えた。死ね俺。マジ死ね。元彼からイキナリ呼び出しとか誰でも警戒すんだろ常識的に考えて。いーからさっさと用件言えよ。パワーリストつけてる訳でもねえのに鉛のように重い腕を持ち上げて紙袋をの前に差し出した。


「これ、貰ってくれませんか」


何で敬語なんだよ。本当に俺は死んだほうがいい。全然天才的じゃねえし、何をしてるんですか。紙袋の向こう側では普通にしていても丸い目をまん丸に見開いてきょとんとしていた。数拍置いて、なんで、と独り言のような呟きが聞えた。断られるなとすぐにわかった。頭をフル回転させて駄目押しの台詞を考える。


「・・・貰えないよ、もう」
「いや、わかるけどほんと頼む。似合うと思って随分前に買ってて、」


いらなかったら捨ててもいいし、と早口で捲くし立てる。顔が自動的に下を向く。の目を見れない、今どんな顔してんだろうか、俺は。耳が熱い。無意味に赤面しているんだろう。頭は真っ白で、気の聞いた台詞なんか一つも浮かばねえ。


「これ絶対に似合うから」
「・・・私じゃなくても似合うって、きっと」
「お前じゃないとだめなんだって」


それでもダメですか。そしたら俺これ帰りに川に捨てて帰ろう。そう決め手降ろしかけた腕が、不意に軽くなった。驚いて顔を上げたらが袋を受け取って泣いてた。ぼろっぼろに泣いてた。そんな顔見たの初めてだった。一度だけ見た泣き顔は俺の二度目の浮気発覚のときだったけどこんな風じゃなくてもっと静かだった。俺はに振られた日のことを思い出した。あの時、少しだけ泣きそうで、でも笑ってた複雑な表情にその顔は良く似てた。とんでもなく綺麗だった。左の手の甲で口元を押さえて無理矢理笑顔を作ろうとしながら、は震える声で言う。わたしじゃないとだめなのか、じゃあ、しょうがないね。語尾が消え入りそうだった。袋を胸元に引き寄せてぐちゃぐちゃになる程強く抱きしめて、落ちるようにしゃがみこむ。わけわかんねえ。なんで泣くんだよ。


「ごめんね、ブン太・・・・」


何でお前が謝るんだよ。お前なんにも悪くねえよ。わかるよ。ああでもしないと俺に言いくるめられてずるずる付き合っちまいそうだから土下座までしたんだろ。俺はどうしようもなくなって目線を合わせようと腰を落としたのはいいけど、今更触れる資格もなくてただ手を差し伸べたり引っ込めたりして、情けなさのあまりうっかり目から水が出た。


お前は何も悪くねー、と辛うじて言ったら、は俯いたまま頭を振った。私のほうがずっとひどいね。ごめんね。何が酷いんだか全然わかんねえ。だけどのほっせえ肩を抱いて「お前が悪いんじゃない」と伝えるのはきっともう二度と俺の仕事になることはない、ということだけがはっきりわかって、俺は泣き続けるの頭にどうにかこうにか手を伸ばしてぎこちなく撫でて、誰でもいいので、どうかこいつを今度こそ幸せにしてあげてくださいと、身の程知らずにもほどがある願いごとをした。ありがとう、うれしい、ほんとうに、と小刻みに言うは、ごめんもありがとうも俺の台詞なのに、その一つも俺には言わせてくれなかった。


「大事にします、」


嬉しいのか哀しいのかわかんねえ。けどペンダントを抱きしめたお前が、泣き顔の狭間でちょっとだけ幸福そうに笑ったから、それだけで、よかったって思っても、いいだろうか。







君の幸福を願います