「一番手のかかる後輩だったのはなんだかんだで光かねー」

日は瞬く間に暮れ、吐く息は白い。ただ只管にあつかった夏が終り、秋が過ぎて、季節はいとも容易く冬を迎えた。空気の層が揺れて見える灼熱のコートも焼けてぴりぴりと痛んだ肌も、全てが夢だったかのように冷え切っている。当たり前だった日々が遠い。は首元にタオルの代わりにフリースのマフラーを巻いている。財前は踊るような忙しなさで歩く彼女よりも心持遅く歩いて、北風が長い女の髪を浚うのを目で追いながら、頭の中で今言われたばかりの台詞を反芻し、顔を顰めた。彼のすぐ下の後輩は、他人に世話を焼かせることにかけてはちょっとした権威であるといってもいいような少年なのだが、その後輩以上に手がかかった、と。彼女はそう言ったのだ。財前にしてみれば大概失礼な言いようである。先輩に面倒見てもろた覚えないわ、と言おうとして、だけどそんなこと冗談でも言えないことに気付く。思い出の多さに息が詰まりそうだった。追い越して久しいけれど、かつて彼よりも背が高かった彼女に、軽く屈んで目線を合わすようにして話をして貰ったのを昨日のことのように覚えてる。しばらく反論を考えて、結局思いつけなかった。代わりにはあ、と短い、相槌と溜息のあいの子のような声を漏らす。言葉と一緒に白い息が漏れる。は財前を振り返りにっこりした。

「光は最初はちょっと怖かったんだよ」

それはそうだろうと財前も思う。初めて話をしたときのことも昨日のことのように鮮明なのは、あのときの対応を彼がずっと、じくじくと癒えない傷のように後悔し続けているからだった。丁度今日と同じように並んで帰った。家が近いのだ。が一生懸命財前の興味のある話題を探って不毛な会話を振り続ける中、財前は冷めきった態度で、もういいっすわ。つまらんやろ、先輩も。と斬って捨てた。真っ白になったを置いて財前はひとり家に帰り、自分の対応のまずさに気付きもしなかった。彼があのときのことをやってしまった、と認識したのはもっとずっと後の話である。

「すいませんでした」
「ええ?いいよ。何で謝るの」
「先輩、全然めげへんかったっすね」
「うん。そのお蔭で優しい子だってわかってよかったよ」

まあ、世話焼いたのはぶっちぎりで金ちゃんなんだけどさ!はそういいながら口元を緩ませて嬉しそうに首を傾ける。財前はから視線を外して、少しだけ熱くなった頬を隠すようにマフラーを持ち上げた。優しいとか普通に言うのとかほんまやめてほしい。は財前の腕を小突きながら、照れんなよ色男!と囃したてる。財前は溜息を吐いた。子ども扱いしないでほしいと言いたいけれど、余計子供っぽい気がして結局いつも言えない。は一瞬少し寂しそうに、春の先を見るような遠い目をして、それから気を取り直したように財前に向き直った。

「ほんとは優しいんだからもっと素直になんなよ。光が素直になったらどんな人間もオチるね、コレ絶対」

なんてこと言ってんねん、こいつは。人の気もしらんで。彼は半眼でを見下ろして小さく肩をすくめた。

「・・・・ないっすわ」
「なくないよ」

彼女はきっぱりした口調で、自信満々といった風だ。逐一リアクションデカイ人や。財前は立ち止まって目を合わせて、念を押すように「ほんまですか?」と尋ねる。勿論、と元気一杯に頷いたの髪に、彼は手を差し入れて彼女の頭を引き寄せた。顎を持ち上げてぽかんと開いた唇に素早く口付ける。触れた瞬間ようやく目を見開いた彼女の危機感のなさに呆れさえ抱いた。自分以外にもこうなんだろうかと思うと胸が焼け付くような心地がする。唇を離しての唇を親指でなぞると首まで赤い。

「オチたんやろ?」

素直になればいいと言ったのは彼女だ。はい以外認めない。視線を外そうと俯きたがる頭をそれならばとそのまま自分の胸に押し付ける。夏の名残のように熱い。髪の間から露出した耳も真っ赤で、財前はゆるく屈んで耳朶に息を吹き込んだ。細い肩が震えたのがわかる。髪に唇を落として目を閉じた。

「なあ、先輩、めっちゃすき」



(イチコロ)