仁王がもう3日ほど学校に来ていない。仁王がいないと私の生活は全てが恙無く静かに進んでいくのでそれは寧ろ好都合なのだが、本当の問題は家に帰ると仁王がいることだ。大問題である。何故仁王が私の家にいるのか?しかも3日連続でいるのか?何故夕飯を食べて帰るのか?全てにおいて意味不明だ。仁王の存在自体が意味不明だということはこの際置いておいて、取り敢えず私は母親に仁王を家にあげないように言ったのだが、ここ3日間私の母親ときたら「あんなイケメンの彼氏がいるなんて聞いてないわよー」しか言わない。頭がおかしい。おかしいといえば仁王もおかしくて、母に対しては敬語である。「恥ずかしいわー。ちょっと素直じゃない子でね」「そこが可愛いですよ」お前は誰だ方言どうした。「だから付き合ってないっていってんじゃねーか!母さんどっちの味方よ!」と叫んだ私に対して親愛なる母上殿は真顔になり、「イケメンの味方よ」とキッパリ断言した。親子ってなんなんだ。


さて仁王が学校に来ていないということは部活にも出ていないということである。そもそも三年はもう引退していると思うのだが、立海大付属中テニス部に自由という言葉は存在しないらしい。聞くところによれば半強制参加だそうですマジ御愁傷。そういうわけで仁王が3日も音信不通であることは元副部長の真田弦一郎氏にとっては非常に腹立たしい事であるようだ。仁王は真田くんが苦手だというが、そこだけは私も仁王に同意である。ああいう制裁好きな暴君は苦手だ。もっと言えば体育会系が苦手だ。テニス部には本当に関りたくない。仁王と、ときどき柳生くんで、手一杯お腹も一杯である。無関係を決め込んでおきたいが、テニス部員ときたら揃いも揃って私のところに仁王の消息を尋ねに来るのでそうもいかない。迷惑子の上ないことだ。そもそも本気で仁王を探したいなら住所を調べて家を尋ねろ。それができないというのならせめて「お前はに聞きにいけ。俺は電話をかけておく。お前は仁王の行きそうなところを探せ」というふうに兵力を分散させればいいと思うのだが、何故こいつらは立海随一の頭脳を持つ柳くんを参謀に据えておきながら、その程度のバカでも立てられそうな作戦を思いつけないのだろう。バカ以下なのか?別にバカなのは勝手だが、同じことを一日五回も十回も尋ねられる私は非常に不快である。今日も丸井、柳生、柳、真田、切原、桑原の順番で「仁王を知らないか?」ということを尋ねられた。大体丸井は同じクラスではないか。お前が知らないなら私が知るはずもないと思うのだが、何故私に聞くのか?胃が痛い。加えて本当は仁王の消息を知っているという事実が更に私の胃を苛むのである。


胃の痛みを抑えながらも私が仁王の消息について頑なに言及せず知らぬ存ぜぬを貫いている理由は簡単なことだ。私がいくら仁王に学校へ行けと説いても仁王は気が向かなければ絶対に行かないだろう。ということは、仁王が学校へ行かないで家にいることがばれた場合、テニス部員は家まで仁王を迎えに来るかもしれないのだ。冗談ではない。繰り返すが仁王だけで手一杯である。そもそもジャニーズジュニアが好きなうちの母が幸村くんや丸井を見てどんな反応をするのか考えたくもない。ああもうほんとなんでこんなことになったのだろう。去年仁王を助けてしまってから私は本当に酷い目にあい続けている。情けは自分の為ならずである。この前もなんだか知らないが仁王の彼女だったという女にぶん殴られたし、仁王は私に恨みでもあるのだろうか。


学校から帰って部屋のドアをあけると仁王がいる、その状況の鬱陶しさは筆舌に尽くしがたい。私のベッド寝そべって漫画読を読んでいたり、CD類を物色したり、お前は本当に何がしたいんだ状態だ。今日で四日目なので、そろそろ慣れてしまった己が「おかえり」という仁王に「ただいま」と返してしまったりするのも物凄く癪である。鞄を置く私を他所に、仁王はCDトラックから勝手にCDを出してかけはじめた。私はもう抵抗する気も失せてベッドの前にある小さなテーブルにノートを広げて宿題でもやることにする。仁王はベッドに寝転んでこれまた勝手に本棚から出した本を読みだす。知らんわもう好きにしろ。一昨日あたりに制服を着替えられないと文句を言ったら見たこともないぐらい素敵な笑顔で俺はええよと言われたのでもう諦めて制服のままである。(2A+3B)の2乗を展開するとどうなるんでしたっけね、とかなんとか考えているとやたらと生白く骨ばった手が背後からぬっと出てきて私の肩をベッドのほうに引き寄せる。背中にベッドの枠があたる。右肩に仁王の頭が乗っかって重い、髪の毛がくすぐったい。


「・・・仁王、邪魔。ほんっとに、邪魔」
「ひどいのう」
「酷いのはそっちでしょ。なんだっての。もう・・・嫌なことあんなら彼女に慰めてもらえよ」
「別れた」
「またかよ!この尻軽!このまえの子からまだ一ヶ月経ってないじゃん!」


喚く私にも仁王はお構いなしで、私の肩にぐりぐりと額を押し付ける。こういうときだけはムキムキに生まれてきたかったと思う。引きはがして肩に担いでテニス部の部室の前に簀巻きにして置いておくのにな。大体テニス部員だって個人差はあれど皆仁王を心配しているのだ。特に柳生くんは、いつもはわりと「仁王くんは本当にしょうがないですねえ」と呆れている感じだが今回は珍しく焦っていたし、メールぐらい返してやれよと思う。だのに仁王ときたら携帯は壊れたことにしとるとかいって全部シカトだしどうかしてんじゃねーのこいつ。溜息しか出ない。宿題も出来ない。私は仕方がなく仁王の頭をぽふぽふ叩いた。


「ほんとなんなの仁王。どうしたの?なんかあったの?」
「んー」


仁王は暫くうだうだと呻いていたが、やがて一言「ゴルフ部」と言った。


「ゴルフ部?」
「ん」
「何でゴルフ部?何?ゴルフ部にいじめられてんの?」
「・・・鈍いのう、お前さん」


うぜえ。聞いてやってんのに何でこんなこと言われなければならぬのだろうか。仁王が私の肩から顔を上げたので振り返ると、奴はベッドに座って眠たそうな目で私を見ている。次いで手が伸びてきて、妙な浮遊感を感じたと思ったら持ち上げられてベッドに載せられた。驚いた。すごいなテニス部。私、別に軽くないはずなんだが、仁王の細い腕の何処にそんな力があるのか。そういえば以前仁王より細く見えた幸村くんは真田君にジャーマンスープレックスかけてたし、見えないところに筋肉をつける秘術とか持ってるんじゃないか?


「・・・ほんとに、鈍いのう・・・」
「はあ?何がだよ。いいからさっさと全部話せよ」


この体制に疑問はないんか、と言いながら仁王は私の胸元に顎を乗せた。腹のところに仁王の胸が当たるわけだが、仁王って滅茶苦茶身体固いな。骨ばってるのもそうだが、肉が固い。男は皆そうなのだろうか。仁王の頭が肺を圧迫して重い。取り敢えず圧し掛かるのやめろ、邪魔、と言ったのだが矢張り仁王は聞き入れない。聞く気がないなら初めから言わせるな。結局またも諦めて、私は身体の力を抜いた。全く仁王といると色々なことが投げやりになる。黙って天井の花模様を数えた。15個目で仁王は漸く口を開いた。


「柳生がゴルフ部戻るかもしれん」
「・・・・・ええー・・・?」


というか、柳生くんってゴルフ部だったのか。ヤバイだろ、似合いすぎだろ。ショットの度にアデュー、とか言ってたのか。爆笑だろ。完全にツボに入った私は耐え切れずに笑ってしまった。仁王は不機嫌そうに何がおかしいんじゃ、と上目遣いに私を睨む。「ごめ、柳生君がゴルフ部とか、似合いすぎて」お腹が痛い。しかし仁王は至って真剣で、刺されたような顔をした。


「似合ったらいかん」
「う」
「ゴルフ部戻ったら駄目なんじゃ」


息が詰まった。仁王の細腕は本当に一体何処にこんな力を隠し持っているのだろう。私の肩と背中と肋骨は仁王の両腕に締め上げられて酷く軋んでいる。痛いのだが、流石に笑ったのは悪かったかなと思う。一応謝ったら、少し力が緩んだ。


「じゃあ学校行かないのって柳生くんにあいたくないからなの?」


銀髪の頭が小さく上下に動く。肯定の証だ。呆れた私は仁王の頭をぽんぽん叩きながら本日何度目になるのかも判然としない溜息をついた。大体私超関係ないんですけど。というか、やめてほしくないなら素直に本人に言えばいいだろうに、何故人の部屋でこんなふうにふきだまっているのだ、仁王よ。


「本人にいいなよ。やめないでくれって。柳生くんあんたに甘いから巧くすれば聞いてくれるよ」
「いやじゃ」
「何で」
「いやなもんはいやじゃ」
「じゃあ何?卒業までうちにいるわけ?」
「・・・・・」


同じクラス二年目の私はそろそろ仁王の駄々っ子ぶりにもなれたと思ったのだが矢張りイラつくわこれ。非常に面倒になった私はベッドのスプリングで弾みをつけ、左側に仁王を引っ繰り返してやった。天井を向いて目を真ん丸くしている仁王の頬を掴んで両方に引っ張る。


「わかった。私が柳生説得するから。明日は家来ないで学校行け」


全くなんでこんなことになったんだろう。一年前に仁王を助けてしまった自分を殴って目を覚まさせたい。正義は世界なんか救わないし、お人よしは褒め言葉ではないのである。





「お話とはなんでしょう。仁王くんのことでしょうか」


そういうわけで早速中庭の人気のないけやきの木の下に柳生くんを呼び出した。全く私ってば有能すぎて自分が怖いほどである。仁王は授業を全てサボって夕方になってから学校に登校した。まあ柳生くんより先に真田くんに見つかったらすべて終了な気もするのでしょうがない。今は木の上にいる。一応見えないところまで登らせたのだが、柳生くんは背が高いのでもしかしたら見えてるんじゃないかと心配だ。まあ、目を合わせて話す人だから大丈夫だと思うけど。


「微妙」
「微妙とは?」
「仁王が前言ってたんだけどさ、柳生くんて前ゴルフ部だったんでしょ?」
「そうですね」
「・・・戻らないでほしいなー・・・なんて・・・」


行き当たりばったりでやってみて気付いたのだが、我ながら物凄く苦しくないか、この話題の振り方。だって別に柳生くんがゴルフ部だっていいじゃん?どうでも。柳生くんは逆光で目を見せない眼鏡をくい、と持ち上げて、何故でしょう、と慎重に言った。何故だろうね。こっちが聞きたいよ。放課後の疲れきった脳味噌をフル回転させて私は言い訳を考える。


「あー・・・テニスしてる柳生くん・・・かっこいいからかな・・・」


苦しい。柳生くんは真顔のまま固まっている。そりゃそうだよ。なんだこの理由。そんな理由で呼び出したの?って感じだよ。


「・・・・成程、仁王くんの差し金ですね」


危うく騙されるところでした。と柳生くんはまた眼鏡のブリッジを押し上げながら言った。そんなずり落ちるって顔にあってないんじゃないのか。何に騙されるというのだろう。というか仁王、ばれちゃったよ。


さん、そこまで言って頂かなくても、テニスは続けるつもりですよ」


ですが少し嬉しかったです、ありがとうございますと柳生くんは飽くまで紳士的に微笑した。それからきっと厳しい顔になって頭上を仰ぐ。


「仁王くん、降りてきなさい」


しかし仁王は降りなかった。けやきの木の一番太い枝に座って拗ねた様な顔で私たちを見下ろしている。


「やめんのか」
「だからやめないと言っているでしょう。君はそんなことで学校を休んでいたんですか。大体仁王くんいいのかね、さんにあんなことを言わせて」
「こんなこと言うと思うとらんかったんじゃ。全く魔性の女ぜよ」
「はあ?何だよこんなことって」
さん、御迷惑は承知ですが、時々は仁王くんを褒めてあげてください」


つくづく意味不明である。褒めるとこねえし。私のお母さんが代わりに褒めてるよ、イケメンだってさと投げやりに言ったら、柳生くんは耐え切れないとでもいうように、くすくすと機嫌よさそうに笑った。抗議するように上から運動靴が降ってくるのをさらりと避けて、来年もよろしくおねがいします、と私に軽く頭を下げたのだが、ちょっと待って、この生活はこれからずっと続くのだろうか?全く私の安寧は何処へ消えてしまったのかと脱力している横で柳生くんはずっと笑っている。木の上の仁王はまだ拗ねていて、だけど少し安心したように頬を緩ませていた。








今日も明日も明後日も ずっとずっと!