妙に浮き足立つ10月3日の氷帝学園中等部を怪訝に思いつつ授業をやりすごし一人帰路についた私は跡部ファンクラブの煌びやかな女子たちが商店街を連れ立って闊歩するのを見て明日跡部の誕生日じゃねーか!ということを思い出した。目に痛いほど強烈なオレンジの秋の夕日に照らされたまま財布を確認するとお気に入りのがま口の中には五百円玉がたった一枚しかなかった。仕方がないので家のすぐ隣のスーパーに寄ってチョコレートと生クリームを購入し、晩御飯の片付けも終った真夜中に私はせっせとチョコレートムースケーキを作ったのである、と、そこまではよかったのだが、翌朝早起きしてケーキを型から外し、即席で作ったチョコレートのプレートに『おたおめ^▽^v』などと言うノー天気なメッセージを書きながら、あ、今日跡部イヤっつーほどケーキ食うんじゃね?多分あいつんちのことだから、朝からケーキ出てくると思う。学校でも貰うだろうし、そもそも鳳とか樺地とか、用意してそーだなー。しまったなー。ということに気付いた。しかし折角作ったし、家で処分するには勿体無い出来だ。困った私は悩んだ末に私は跡部に見せてから自分で食すことにしよう、と思ったのである。

そんなわけで私は部室の椅子に座って直径18cmのホームメイドのチョコレートケーキをもさもさ食べながら、入り口に立ち尽くしている跡部に「跡部おたんじょうびおめでとー」と言った。跡部はやはりというかやっぱりというか、教室から避難所である部室までくる途中特攻をかけられまくったらしく、昼休みは10分も過ぎていた。お蔭でケーキは3分の1ぐらいに減っている。我ながら何やってんだ自分と思わないこともない。両手に紙袋を持った跡部は暫し沈黙を呈し、荷物を置いた。そしてつかつかと歩いて私の向いの椅子に座り、「ありがとよ」と言いながら私の頭を引っぱたいた。お蔭様で私はもう少しでケーキに直接キスをする羽目になるところだった。

「何すんの」
「テメエこそ何食ってんだ。嫌がらせか?」
「いや普通に跡部の誕生日ケーキなんだけどさ。ほら、プレートもあるでしょ。遅れてきたから先に始めてたんだよね」
「何でてめえが一人で食ってんだよアーン?」
「ケーキとか食傷気味なんじゃないかなとか思って」

作ってから気付いて勿体無くてさーアハハ。と笑ったら跡部は私の右手を掴んでフォークを奪い取り、ケーキを突き刺して崩しとって口に運んだ。

「庶民のケーキなんざ滅多に食わねえよ」
「チョコケーキなんか庶民もクソもないと思うけどね。つーわけで今年はプレゼント無しです」

跡部はチョコレートケーキを崩して口に運び咀嚼して嚥下するという一連の作業を繰り返しつつ、じろりと私を睨んで「用意しろ。今すぐ」などど無謀なことを言う。出たよ。王様だよ。と私はうんざりして、椅子にもたれながら「じゃあ帰りになんか選ぶから金貸してくんない」と返した。

「てめえは碌なもん選ばねえだろーが」
「あ、そっち?突っ込むとこ。いいけどさ。去年のマトリョシカいらなかった?中国で買ったんだけどアレ」
「てめえはアレ貰って嬉しいのかアーン?」
「まあ嬉しくないけど、ネタになるかなって」

そんなことを言っていても、跡部の部屋の窓の傍に私があげたマトリョシカが飾られていることを私は知っているのだ。その前にあげたハンドタオルだって、時々鞄から取り出されるのを見るとたまらなく居た堪れないのだけれども、彼が未だ使うことをやめずにいることも知っている。跡部は存外もらい物を大事にしてしまうのだ。しかし私の手に届く値段のものは大抵跡部に相応しくない。だから最後の人形がうんこみたいな形をしていた出来損ないのマトリョシカのように、完全にネタに走ったものを去年の私は選んだのである。実用品は駄目だ。この男が綿の青いハンドタオルなんか使うところを私は見たくない。

「ていうかさ、何が欲しいのお前は。お前が欲しいもので私しか手に入れられないものってあるの?」
「アーン?」
「いっそリクエストしてくれる?困るし」

すると跡部はフォークを置いて暫く沈黙してから、 「去年忍足にやった奴よこせよ」と言った。

意味を理解した次の瞬間私の口をついて出たのは「ゲッ」という短い、しかしこれ以上にイヤだ!!という気持ちを表すものもないだろう、という音だった。昨年私が忍足にやったやつ、というのは先だって彼の誕生日に全く金を所持していなかった私が苦し紛れに作った『君の言うこと一回だけなんでも聞きます※無料の範囲で 券』のことである。しかしあれは忍足が色々問題はあれど適度にフェミニストで、且つ冗談が通じると解っている相手だからこそあげたものであり、岳人とかジローだったら私は絶対にそんなもん作らなかった。あいつら何させるかわかんねーし。可愛い顔して悪魔だし。忍足はそのへん弁えたもので、委員会の資料作成を手伝うだけで許してくれたが、で、肝心の跡部はどうだろうか?というか、私は普段あまり跡部に逆らっていないと思うのだが、こいつそんな券いるのか。跡部がケーキを食べるのを再開しながら、催促するように私の目の前に手を出してくるので、私は仕方が無く傍にあった裏紙にボールペンで『何でも一つだけ言うことききます※出来る範囲で 券』と書いた。嫌な予感しかしない私は書き上げた後も渡すのが惜しく苦し紛れに、「こんなのいらなくない?私アンタの言うことよく聞いてるじゃん」と言ったら、跡部はもう四分の一程度の大きさになっているケーキを豪快かつ優雅に崩しつつ、さらりと意味のわからないことを返す。

「てめえほど俺様の思い通りになんねえもんもねえぜ」

意味深な台詞だなあと肩を竦めた私を、だからてめえはバカたってんだよこの愚図、と罵って、跡部はケーキの最後のひとかけらを食べてしまう。そうして私の手から裏紙の券をするりと奪い取ってこれ見よがしにひらつかせながら、我らが王は高飛車にこう言った。

「オラ、さっさと好きって言えよ。

冗談かと笑おうとした私は瞳の真剣さに固まる。愉快さを隠さない余裕綽綽な声の中に、微かな懇願の色が覗いた気がしたのは、私の気の所為だったのだろうか。視線の強さに促されてかすれた声が「すき」と呟いた。殆ど自動的に漏れた言葉だというのに、上出来だと跡部は口端を吊り上げて、私の行き場なく机の上に組まれてる右手を、掬い取って指先に口付ける。その券は一回きりと書いてあるのに跡部は券をひらつかせるのをやめない。

「もっと言え」

語勢は強いのに表情は苦笑に近い。頼むからそんなに切なそうに笑わないで。それだけで簡単に落ちそうな私が誕生日プレゼントなんて今時流行んねえよ。寒すぎる氷の世界で頭と右手の指先だけがやたらめったら熱いのだ。


愛しておくれ