臨時学級会。ただの学級会でも面倒くさいのに、臨時だなんてなんと嫌な響きだろうか。要するに緊急に話合わなければならないことができてしまったというわけで、2−Aのクラスメイトたちは押し黙ったまま5限終了後の教室に縛り付けられている。議題が議題なので空気は最悪だ。なにを隠そう、議題はクラス費の紛失、もっとはっきりいえば盗難であった。教師の怒声が響くたび教室のぬるい空気が張り詰めていく。クーラーをつけてほしいと私は思っていた。窓から差し込む西日が背中に当たって暑かったのだ。


クラス費を盗んだ犯人がサッカー部の佐々木であることを私は知っていたが黙っていた。佐々木があまりよろしくない連中をバックにしているうわさがあったことや、担任の科学教師がとにかく嫌いで二人きりの相談ごとなど断固拒否だったというのも確かに理由のひとつだが、なんのことはない、ただ面倒だったのである。どうせクラス費は担任が立て替えよう。家庭を持っているなら情状酌量もするが、休みの日はもっぱらパチンコに勤しんでいる独身のクソ爺に同情の余地はない。神妙に払いたまえ。そもそも教室にある教師用の机の、鍵のかからない抽斗に2−Aクラス費とデカデカと書かれた封筒を突っ込んでおく、その危機管理能力の無さに責任が全く無いと言えるだろうか。駄菓子屋で店番のバアさんが居眠りしているすきに悪ガキが万引きしたとする、確かに万引きは悪いことであろうが、果たして勤務中に居眠り扱いていたバアさんの怠慢は責められずにおかれるべきなのか?そうじゃないだろう。世の中因果応報である。怠慢には制裁が下されるのだ。悪ガキも悪いがバアさんも悪い。即ち担任も罰を受けるべき。我ながら無茶苦茶な論理だが、呻き声をあげる良心にそう断じて思考を打ち切った。やめろやめろ、面倒を背負うな。イマドキのコドモと云われる無気力な中学生の私は肩を竦める。サッカー部の佐々木もそのうち報いをうけるだろうよ。なんなら携帯で激写した証拠写真を後々ネットに流してもいい。


私の抜けきった炭酸のような心情と裏腹に教室の空気は最早最悪を通り越していた。一刻も早く教室を出て課外活動に勤しみたい焦燥と盗難の疑いを掛けられていることによる不快感、隣人が盗人かもしれないという疑念が鬱々と渦巻いている。今2−Aは魔界だ。ちらりと横目で佐々木を見る。あろうことか机の下で携帯を弄っていた。恥を知れ。担任の怒号が教室を支配する。マイナスな感情だけが吹き溜まる。早くおわんねえかなと思ったそのとき、教室の後ろのドアが開いた。クラス中の視線が一気に集まって怒号も止まる。


引き戸からひょこりと顔を覗かせたのはテニス部の仁王雅治だった。脱色剤で色を抜かれた銀の髪が西日に当たって鈍く光っている。相変わらずのイケメンだが話したことは無い。ファンが怖いし好みじゃない。サボタージュ常習犯なので、彼は恐らくまたいつもどおり何処ぞ気ままな時間を過ごしていたのだろう。しかしこのタイミングは少しまずいんじゃないのかと私は思った。案の定である。


「仁王、お前何処にいた」
「保健室です」
「嘘をつけ。どうせまたサボりだろう、いいご身分だな」


こういう物言いがむかつくのだ。この担任は。いいご身分なのはそっちだろうよと私は口の中でだけ悪態を吐く。仁王は黙って担任を見ている。担任は次の台詞を言いたそうだったが、少し躊躇っているようだった。おや良心もあるのかと見直しかけたそのとき、教室の端で薄っぺらい声がした。薄っぺらい声と言ってもよくわからないかもしれないが、本当に薄っぺらい声なのだ。いかにも三下というか、ひとかどの人物なら絶対にこういう声はしていまいというか、絶対に主人公のものではない声。


「仁王さー。昨日部活無かったよな」


その声の主はこともあろうか佐々木であった。クラスがざわつく。緊張が解ける。スケープゴートを見つけたからだ。仁王は目を少し瞬いて、一番近くの席に座っていた女子に何か声を掛けた。仁王のファンの女だ。昼休み、喧しい声で仁王に話しかけていたのをよく見た。しかし女の瞳は曇っていて、受け答えをしながらも及び腰である。惚れた男も信じられんのかこいつはとあきれ返っていると、クラスのざわめきと反比例して、さきほどまでの怒声が嘘のように落ち着き払った担任が、静かにしろ、と言った。水を打ったように教室は静かになる。流石奴隷教育大国日本。先生が右といえば左も右ですよね。


「仁王、お前ちょっと後で職員室に来なさい」


最早クラスの誰一人仁王の顔を見ようとしなかった。江戸以来の村社会を引きずりまくっていることがこんなにも簡単に証明できようとはな。誰かテニス部のヤツ助けてやれよと思ったが、生憎うちのクラスにはテニス部は仁王しかいない。どうやら逃げ腰のバカ女から事情を聞いたらしい、仁王雅治は、胡乱な目で、はあ、と小さく頷いた。それは本当にすべてを諦めた生物の眼だった。まさに今餓死せんとする犬のそれであった。


私は面倒なことが嫌いなので、このまま犯人がわからず担任が金を払ってすむならそれはそれでいいと思っていた。しかしこれが望んだ結末か?これでいいのか?自分さえ助かればいいのか?それでは今さっき仁王から離れたあの女と同等、更に言えば担任や佐々木のクズこの野郎と同等ではないか?仁王雅治は何にも悪くない。確かに詐欺師などと呼ばれ、女の子を泣かせ、人をだますような真似ばかりしているので、因果応報と言えなくも無いが、このような無体な目にあうほどでもないだろうと私は思う。そう、やっぱりこのままはよくない。ワンフォアオール、オールフォアワン。仁王を引きずるようにして出て行く担任の背中を、先ほどの静けさが嘘のように騒がしくなった教室のどさくさにまぎれて追った。


ほかのクラスはとっくにすべて終わっているらしく、通り抜けた教室には日直すら残っていなかった。廊下の最果ての職員室の前で、学年主任と担任に促されて、生徒指導室に追いやられる仁王が見える。走った。学年主任がドアを締め切る前に、すべるようにしてノブに手を掛けた。必死の形相だったのだろう、担任がぎょっとした顔で私を見た。


「どうしたんだ
「違うんです、先生、わたし、本当の犯人を知ってます」


乱れた息を震える声と混じらせて、うつむき加減に私は言う。とりあえず入ってという学年主任の言葉に頷いて、私は敷居をまたいで後ろ手にドアを閉めた。


「わたし、昨日、ともだちを教室で待ってて・・・おどろかそうって思って、掃除用具入れに隠れてたんです。そうしたら、サッカー部の佐々木くんが教室に来て、しばらくきょろきょろしていたんですけど、急に先生の机を漁って・・・とめようって思ったんですけど、佐々木くん、よくないうわさがあるし、こわくて・・・。さっき、教室で何度も言おうと思ったのに勇気がなくて、仁王くんが・・・。ごめんなさい」


これで涙のひとつもこぼせばいちころだよ。厳密に言えば、掃除用具入れに隠れていたのは、友人に放送委員の機材運びを手伝わされるのが嫌だったというのが理由だが、まあこれは可愛い脚色である。私は胸ポケットから携帯を取り出し、昨日掃除用具入れの隙間から激写したスクープ写真を担任と学年主任に見えるよう傾けた。アホの佐々木は犯行中、携帯カメラのシャッター音にすら気が付かなかったのだ。アホだ。悪いことはできないものである。担任は釈然としない顔のまま証拠写真を赤外線で受信した。まあ釈然としないだろう。冷静に考えれば「こわい」と思ってる女が携帯で証拠写真撮れるか?という話である。しかし私がうつむいて顔を両手で覆い悲しみを目いっぱいに表現していたため二の句が継げないようだった。日本はつくづく女に甘い国だな。女で良かった、などと考えているあいだに、担任は携帯を仕舞い、私に向き直ってこんなことを言った。


、よく話してくれたな。だが教室で言ってくれたらもっと嬉しかったぞ」


死ね。氏ねじゃなくて死ね、と私は思った。おめーを喜ばせたくてしているように見えたのか?バカなのか?以前この教師に提出した宿題プリントを紛失されたことが昨日のことのように思い出される。黒く濁っていく胸のうちを押さえながら私ははい、ごめんなさい先生、と素直に応える。本音と建前、生きる上での基本ねこれ。担任は私のこたえに満足したようで、一度頷いてから私に背を向けた。所在無げに立ち尽くしていた仁王がじとりと目線をあげた。担任は誤解をわびるのだろうと思った。私は他人の善意を信じすぎているのだろうか。


担任は仁王を見て、私が今最も聞きたくなくて、仁王が恐らく、いや私には仁王の気持ちなど微塵もわかりはしないが、私が彼の立場だった場合に、今最も言われたくないことを言ったのだった。いつも真面目にしていればこんな疑いを掛けられることもなかっただろう、もっと生活態度をどうにかしろ――冗談だろう。確かにそれは一理ある言葉だ。不良の格好をしている人間が不良であるように、そう見られたくないならそれらしい格好をしなければならない。真理では、ある。しかし今仁王はクラスメイト全員に窃盗犯の疑いをかけられているのだ。ファンの女の子までそれを信じているのだ。あんまりじゃないか。なんだというのだろう。この大学で教育課程を取っただけに過ぎない人間がなんでこんなにも偉そうに、他人の尊厳を踏みにじるのか。担任の肩越しに見た仁王は、いつもと同じ、飄々として掴み所のない顔をしていたが、ほんの数秒、目線を泳がせる瞬間に、泣き出しそうな目をしていた。担任がテニス部の名前を出したときだった。


可哀想に。


あんまりにも不憫で可哀想だったので、私は、しゃくれた。

これは私が母親に怒鳴りつけられた弟を慰めるためにやる必殺技、伝家の宝刀の変顔である。間違ってもクラスメイトの前ではやりたくない。まして相手は話したこともないイケメンである。だが、なんかもう仕方ないなと思った。たしかにあの時クラスで佐々木を告発していれば、仁王雅治はこんな惨めな目にあわずにすんだのだから。笑え、仁王雅治よ、そんなアホの言うことを気に病むな!


仁王は担任越しに私をみとめて、一瞬、壊れたような顔をした。一拍置いて込み上げたらしく、肩の震えを抑えるように背筋を丸めて俯いた。あ、よかった、ウケた。運良くそれまで完全に空気に同化していた学年主任の先生が、漸く見兼ねたらしく担任に声をかけて二人が退出してくれたので、仁王が床に蹲り、腹を抱えて爆笑する姿は誰にも見られずに済んだのだった。


「お、女とは思えん」
「どうもね。褒め言葉だから、それ」


いつまでも指導室にいるわけにもいかないので、抱腹絶倒状態の仁王をどうにか起こして中庭へ連れ出してアクエリを奢ってあげた。仁王はそれを一口飲んで、ベンチに座って大きく嘆息した。


「助かったぜよ」
「気にしないで。たまたまだから。本当のいい人は教室で告発する」
「俺なら黙って佐々木を強請るかもしれんのう」
「ネットに写真流してやろうとは思ってた。そのほうが大事になって面白いし」
「・・・、中々いい性格しとるね」
「よく言われるけど」


仁王が私の名前を知っていたことに驚いた。絶対認識されてないと思っていたのだが。


「なあ、って名前なんて言うんじゃ」
「ああ、やっぱり知らないか。別にいいよ、もう話すこともないだろうし」
「なんで。クラス同じじゃろ」
「いや、今まで話したことないし。仁王と話すとファンに睨まれるし。仁王のファン怖いし。」


私がそう言うと、仁王はふと物憂げな微笑を浮かべた。やめてくれよ。そういう顔されると罪悪感と庇護欲が押し寄せてくるんだよ、と思うのとほぼ同時に仁王は更に私を煽る台詞を吐いた。完敗であった。


「俺のファンは俺が窃盗犯だと逃げちゃうんじゃ。怖くないよ」
「・・・・です。
ちゃんね」
「ちゃんづけはやめようか・・・」


人前で話しかけたりしないでね、と言ったら傷つくだろうか、と迷っているうちに仁王雅治はベンチから立ち上がり、私の頭を撫でてどこぞへと去っていった。そういえば部活であろうか。窃盗犯の汚名が広がっていなければいいけれど、などと私はのんきに人の心配をしていた。翌日はもっととんでもない目にあうのに。











佐々木は悪事がばれて退部、となるかと思いきや、サッカー部自体が中々にバイオレンスな部活であり、我がクラス費もサッカー部全員の遊興費に消えていたことが発覚したらしく、部活そのものが停止され、佐々木は停学になった。それはいい。しかし晴れて無罪放免となった仁王が朝私に満面の笑みで挨拶した上、担任のバカがHRで告発者の名前をうっかり出してしまったため、もう全てがおじゃん。駄目じゃん。終ったじゃん。積み上げてきた平凡ライフが壊滅していったのがわかった。手始めにサッカー部のマネージャーのなんとかさんという派手な怖い女の子が一限目の休み時間に廊下から私のことをメッチャ睨んでるな、と思ったら、次の休み時間からはクラスの女子の誰も口を利いてくれなくなった。どうしてこうなった。解せぬ。彼女は中学生の空身で一体どのような権力を持っているのだろうか。他クラスにいる友人が心配してメールをしてきたのが身に染みた。大丈夫だ、問題ないと返しておいた。問題ありまくりだったが、彼女に累を及ぼすわけにはいかない。昼休みは流行りの便所メシかなあ。と思っていたのだが、仁王にひっぱってこられて今に至る。ここは屋上である。寒い。


、メシ食わんの」
「呼び捨てかよ。いや食うよ。最早食うことしか楽しみがないからな私の学生ライフは。それより何で君と昼飯なの?」
「便所で食うよりマシじゃろう」
「まあ・・・。そういえばさっきの休み時間にすごい濃い三人組に呼び出されて昨日の礼を言われたよ」
「幸村と参謀と真田」
「そうそれそれ・・・。威圧感半端なかったわ。もう二度と関りたくない」


仁王は一瞬目を瞬くと、面白そうに笑って、女子は皆進んで関りたがるんじゃがのうと呟いた。他の女の子の考えることなんか、知らん。幸村は来年の部長で、仲良くしておいて損はないと仁王は言うが、そうだろうか?あのひとと仲良くする労力に見合うものが帰ってくるとは私には思えない。つーか、私の平凡な日々はどこへ行ったのか。何がワンフォアオール、オールフォアワンなのか。私一人がバカを見て、失ったものが大きすぎる。小さく息を吐いたら、仁王が困ったように首を傾げた。


「すまんの。こんなになるとは思わんかった」
「別に仁王の所為じゃないよ。人徳が無いから無視されるんだろうし。その辺は気にしなくていいから」
「・・・お前さん、いい子なんか、よくわからん子じゃの」
「仁王ほどでもない。なるようにしかならんって思ってるだけの、普通のいい子だよ」

仁王はいい子、に反応したのか、皮肉っぽく笑った。失礼な男だな。

「まあ、お詫びに俺が一緒にいてやるぜよ」
「いやそういうのいいわ。正直友達もともと少なめだし慣れてる」


ノリ悪いのう、傷つくぜよ、と仁王は言ってサンドイッチを食べた。私も仁王に貰ったメロンパンを食べる。何処まで本気なのかしらないがこれ以上の面倒は御免だ。というか、こいつ見た目より子供っぽいというか、面倒くさい性格かもしれない、と思って仁王を睨んでいたらふと目があって緩く笑われた。その笑顔があんまり嬉しそうで、綺麗だったので、これでよかったのかもしれない、と私は思ったのだった。大団円である。


「・・・ありがとうな」
「だから、いーって」
「いやそっちじゃなくて・・・」
「あ?顔のこと?」
「もう一回してくれんかのう」
「やだよ。あれ伝家の宝刀だから」







満俺