跡部は格好いい。美形なのは勿論のことなのだけれども、多分顔が宍戸のものだったとしても相当格好いい男だっただろうと思う。軸がぶれないし、仕草や台詞に独特の間があるのだ。まあ宍戸もなかなかいい男だけどそれは置いておくとして、洗練されているというのは跡部のような奴のことをいうのだろうと思う。呆なことでも規格外でも通常ならどん引きされてもおかしくないようなことをしても跡部は格好いい。馬鹿なのに格好いいのではなく、馬鹿であり格好いいのである。中々希少価値な男だ。


たったこれだけの考察で私はどれだけ跡部を絶賛すればいいのだろうか、と自分でも思うのだが、私は別に跡部財閥の回し者とかいうわけでもないし、まして恋人などでは断じてない。ただのマネージャーである。跡部に対して特別な感情を抱いたことはない。使い方さえわかれば友人としては最高だが、あれは恋愛というフィールドに於いてはひたすら観賞用であると私には思える。何もかもが良すぎるし、かと思えば、足りないところはひたすら足りない。麩菓子を知らんとか、駄菓子屋に入ったことがないとか、電車の切符の買い方がわからんとかもそうだし、女子に対して聊か不誠実である。まあ跡部は本気の女に手を出さないらしいので、完全に遊びだと双方わかっているのだろうから私が口を挟むことではないのだが、稀に、例えば練習試合を組んだ不動峰中で、そこの女子マネに対して働いた跡部が非礼を聞かされて、私が頭を下げる、というようなことがないではない。本人はそんなこと知りもしないだろうが、かなり迷惑である。矢張り跡部はない。と私は深く納得して頷き、跡部に向き直った。


「いや、冗談だから」


跡部は読書と授業の時だけかける眼鏡越しに私をじろりと睨んで、英字の新聞を畳んだ。「そうかよ」と言って眼鏡を外し、ケースに入れる。樺地が、綺麗にたたんだジャージを差し出すのを受け取ってソファーを立つ。そしてジャージを肩にかけながら振り返りもせずにこう言った。何も言うなと心底願った私の気持ちも知らないで。


「俺は本気だ」


それがあんまりにも格好よく様になっているので眩暈すら覚えた。頭を抱える私を岳人と、何故か起きている慈郎が冷たい目で睨んでいる。忍足と宍戸は呆れ顔だ。長太郎は困ったように忙しなく視線を右往左往させているし、なんだかもう、不用意な一言でとんだ事態になってしまったものだ。日吉がいなくてよかった。きっとゴミを見るような視線で蔑まれただろう。先輩、アンタは本当にアホですね、とか、そんな感じで。全くその通りだし、かえす言葉もない。調子に乗りすぎたのだ。「あとべかわいそー」と慈郎が呟いて静まり返った部室の空気が更に重くなる。岳人も便乗してうんうん頷いているし、忍足は「、あれはアカンわ」とか言ってるし、宍戸は私に同情的な視線を送ってはくれるが、フォローのしようがない、と言った風である。


「いやだって・・・私が悪いの?」
「お前が悪いに決まってんだろ!」


岳人が私の頭をぽかりと殴って、同情するわ、と忍足が心底気の毒そうに跡部と樺地の出て行ったドアを見ながら嘆息する。そうか、そんなに悪いのか。部室の空気は最悪である。空気清浄機が付いているのに最悪である。長太郎だけが一人で焦っていてそれがやたらと鬱陶しい。取り敢えず私はデータの整理を再開することにした。


「あんたらいいから部活行けよ、もう」


すると氷帝テニス部のレギュラーどもは揃って私を睨みつけ、それぞれ罵詈雑言を投げながらぞろぞろと部室を出て行った。「冷血女ー」「ほんまありえんわ」「サイッテーだな」「今回はフォローできねえぞ」「しっ宍戸さあん・・・」最後のは違うな。しかしどれよりも癪に障ったのだが何故だろう。溜息をついてPCのモニターを見たが、文面は全く頭に入ってこない。しっかり動揺しているらしいことが知れて頭を抱えた。外で聞きなれたヘリのプロペラの音がしたが、外を覗く勇気はなかった。





なんてことない発端である。跡部がクリスマスにディズニーランドパリに部員全員連れて行くと言った。それだけだ。よく考えれば去年も似たようなことをやったのだし、今更驚くことでもない。でもなんとなく富豪のスケールのでかさに感嘆した。いや、違うな、バスケ部のマネージャーがクリスマスに部員がマネジお疲れ様会をやってくれるの、という自慢をしてきて非常にウザかったので自慢し返すネタが出来て喜んだのだろう。遊園地なんか大して好きでもないくせに。我ながら汚い上に矮小な人間だ。そして私はよく考えもせずこういう趣味の悪い冗談を言ったのである。


「気前いいねー。跡部結婚してくれー」


跡部の提案に拍手喝采だった岳人は一瞬で活動を停止し、変わりに慈郎がそれまで眠っていた床から身を起こして私を凝視し、跡部に呆れたようにしていた忍足が私を「オイオイマジか」という目で見つめ、宍戸が茶を吹いて長太郎が赤面した。樺地だけがいつもどおりだったが、空気の冷たさは誤魔化しようもなく、あれこれまずかったのかな、いいじゃん冗談なんだし、と思っていると、跡部は新聞から顔を上げないでしばしの沈黙の後「いいぜ」と言った。言ってしまった。何がまずいって沈黙がまずかった。その所為でこの「いいぜ」は異常なリアルさを持って私を貫いた。だからお前ネタにマジレスするな。その凍てつくような空気の中で私は跡部について考察し、ネタはネタとして処理すべしと判断し、半笑いで「冗談だから」と返したのだが、これは皆様のお気に召さなかったらしい。どうも跡部はマジだったらしい。


岳人の言う通りである。思う返せば、これ私マジ最低じゃないか。ワードを開いて文字サイズ72でわあああああああああああああああああああああああああ、と打ち込みながら自分の非道さに愕然とした。取り敢えずデリートを押して文字を消しているとがちゃりと音がして、ドアが開いた。酷い顔をしたと思う。そこにいたのが跡部だったから。


「何をしてやがんだテメエは」
「データ整理ですが」
「可愛げねえな」


ちょっとは動じろと跡部は言うが顔に出てないだけだと思う。心臓がいたい。釈明の機会がこれほど早く訪れようとは夢にも思っていなかったので何も考えていない。困ったなあ。居心地悪さに取り敢えず選手のデータを無意味に改行する私の傍に、跡部は椅子を引っ張ってきて座った。PCのあるデスクにひじを付いてじっとこちらを睨んでる。インサイトの眼力で。やめれ。これ以上は視線に焼き殺される、と判断した私は改行を元に戻して上書き保存し、PCの電源を落として跡部に向き直り頭を下げた。しかし、謝罪する前に髪の毛を掴まれて引っ張り上げられて元の位置に戻される。


「謝んじゃねえ。俺様が振られたみてえだろうが」
「いやあんたが私を好きだとすると実際そういうことなんだけど」
「俺様がお前を好きなのにお前が俺を好きじゃねえわけがあるかよ」


跡部はそうはき捨てると理解不能!理解不能!と脳味噌が悲鳴を上げて真っ白になっている私の目の前に小さな箱を置いた。中身については聞く前にばらされた。


「指輪だ」
「へ」
「その荒れまくった手には勿体無いシロモノだからチェーンも付けてやった。ありがたく付けやがれ」


まさかあのヘリの音は。跡部はすっくと立つと完璧なモデル歩きで部室を出て行こうとする。馬鹿丸出しなのに腹立たしいほど格好いい。取り敢えず箱を開けた私の目に飛び込んできたのはシンプルだがどう見ても高そうです本当にすみませんなシルバーリングで、跡部の言う通り水仕事にすさんだ私の手には勿体無いにも程がある。命令に従って首から下げるのだってちょっと躊躇われる。猛烈に高価なことは間違いないが、返品は、不可なんだろうか。まさか結婚云々は冗談として。ドアが閉まる直前に、これから先もずっとあんたの面倒見るわけ、と呆然と呟いたら、跡部はこちらを振り返って、眉を寄せて私を睨んで、俺がいつテメエの世話になったんだ、と凄む。私も負けじと跡部を見据えた。


「不動峰の女子マネ」


その瞬間の跡部ときたら全く格好よくなかった。丸い瞳は零れ落ちそう、間抜けにも口はぽかんと開いて。格好悪い跡部って。本日最高に驚いた私は握った指輪の返し方を考えるのを忘れてしまった。







(イレギュラーバウンド)