この際なのでひとつ提言しておきますが「心頭滅却すれば火もまた涼し」などという時代遅れ甚だしい格言が未だに罷り通っているというのは大変な問題であると私は思います。栄誉ある日本国の未来に暗雲を齎す言葉だと思います。こういう精神論というのは、そりゃたまに役に立つこともありますが、多くの場合害悪にしかなりはしない。やめたほうがよいに決まっているのです。そうでしょう?こんなことばっかり言ってると、まともな戦車も戦闘機もないのに兵士に竹槍持たせて死地に赴かせ大和魂で乗り切れ!みたいなことになってしまうのである。若い兵士が尊い命を散らすのである。なんかかっこよく聞こえるけどこの格言、要するに「やせがまんしろ」ってことだからね。よろしくない。かのナポレオン・ボナパルト公は「我輩の辞書に不可能と言う言葉はない」と言ったそうですが、冬将軍を甘く見たナポレオン軍のモスクワ遠征は失敗し、最後は失脚してセントヘレナ島で孤独死した。できないものはできないのだ。やせ我慢はよくない結果を招く。定時にあがると文句を言う上司の目を気にして眠いのに残業すれば過労死する。私はさっきから一体何を言っているのでしょう?ただ私が言いたいのは痛くないといくら自分を誤魔化しても痛いものは痛いのだということなんですよ。痛い、痛い痛い!痛い!!!


「痛ッ!痛いってば金太郎!もうちょっと緩めて!お願いだから!」
「いややっ!」
「金ちゃん離れなさい!つか金太郎、お前いたいけな女子になんちゅーことさしてんねん・・・!!」
「いーやーや!!白石は黙っとき!関係あらへんやろ!」
「あるわアホ!ちゃんやったからええものの、一歩間違うたら犯罪や!明日から特別授業やで金太郎!」


カオスである。金太郎の指が背中に食い込んで腰骨は粉砕されてもおかしくないほどぎしぎしと軋んでいるし、金太郎の声は鼓膜を破らんばかりにでかいし、白石先輩の教育は明らかに間に合ってないし、というか、今なんか聞き捨てならないことを言いませんでしたか?ちゃんやったらええものの?


「なんで私ならいいんだよ!おかしーだろ!つかほんと緩めて!骨折れるから!」
「何の話しとんねん!二人してわいの知らんこと言うなや!」
「おめーの話だよ!痛い痛い痛い!内臓的なものが出る!」
「金ちゃん離れなさい!女の子に内臓的なもの出させたらアカン!」



ほんとなんなの?白石先輩は。天然なの?もう寧ろいられると逆に面倒くさいから帰って欲しいぐらいなんだけど。金太郎への複雑な乙女心(死語)を忘れ去るほどうざいんだけど。何故か白石先輩が金太郎に離れろというたび、金太郎の握力はどんどん強くなって私を追い込む。「いや白石先輩、比喩ですから!」と取り敢えず私は叫び、続いて痛みに耐え切れずに身を捩った。金太郎の腕の跡は絶対に痣になっているだろう。もうやだ、いたい・・・。疲れきって下を向いて、小さく呻く。すると有り得ないほど筋肉質な金太郎の腕が突然緩み、私の腰腹は痛烈な締め付けから解放された。顔を上げた私と反対に、今度は金太郎が俯く。


「・・・なんやねん・・・・」


自由にほっと息をついたのも束の間である。この男は私に一切の不羈を許さないのでしょうか、腰の変わりに今度は胸が締め付けられた。赤毛の間から見えた金太郎は泣き出しそうな目をしていた。胃が凍りついたように冷たくなって酷く悲しくなる。馬鹿ですね。金太郎が泣きそうなのは私の所為なのにどうして私に悲しむ資格があろう。私の所為。そうだ。往来の人全てが私を指差して「お前が悪い」と糾弾される映像が一瞬白昼夢のように脳裏を過ぎる。罪状認否を受ける間でもない、どうみても現行犯逮捕です本当にありがとうございました。


「なんで白石の味方ばっかすんねん・・・。わいのこと嫌いになってしもたんか?」


そんなわけない。


罪悪感に身を焼かれ、焦った私はいろんなことを、そう、ルミちゃんのこと、目立ちたくないこと、恋をしたくないこと、特にその相手が金太郎なんて最悪だと思っていること、などという諸々のこと、つまりこの数日間私を悩ませ続けたことを全て忘却の彼方に蹴っ飛ばしてこう叫んだ。


「いや好きだよ!白石先輩の100倍ぐらい好きだよ!!」








だから泣かないでよ!!と続けて、いやまずいだろこれ、と思った。俗に言う後の祭りですねコレ。遅い。手コキのこともそうだけれど本当に私の口は余計なことばかり言う。背中に嫌な汗が伝い、残暑も続いているというのに背筋が寒くなった。私の心情など露知らず顔を上げた金太郎は顔をきらきらさせて私の手を取る。今更言葉に注釈を加える雰囲気でもない。ああ。ああ・・・・。


「ほんま!?」
「・・・ほんとだよ」


苦渋を滲ませつつ頷く私とにこにこする金太郎の悲喜劇を傍見ていた白石先輩は包帯を巻いたほうの手であごに手を当てて何か考えるそぶりをした後、こんなことを呟く。


ちゃん、もしかして絆されんの嫌で逃げとったんか」
「・・・もう黙って貰えます?」


なんでわかるんだよエスパーか。しかし私が睨みつけても白石先輩はにやりと笑っただけだった。「ちょお待っとき」と言い残し、傍のコンビニへ入っていく。白石先輩など見向きもせずに、私の右手と自分の左手を繋いでぶんぶんふりまわしてご満悦な金太郎は、わいものことめっちゃ好きや!白石の5000倍すきや!とさりげなく白石先輩をdisりつつ私の心臓を容易く射抜く殺し文句を惜しげもなく吐いている。いや白石先輩と殆ど関りのない私が言うならまだしも、アンタ一年間お世話になっといてなんだその扱いは。問題でしょうよ、と頬の熱から気を紛らわす為だけに先輩に同情する私はほんとにとんだ薄情者だと思います。暫くすると白石先輩がコンビニから出てきて、にやにやしたままパピコと五百円を私の手に押し付ける。「仲直りはパピコや」と意味不明の言葉を呟いてから先輩は金太郎に向き直って、「今日はもう遅いからちゃん送っていってあげなさい」と言う。なんと余計なことを言うのでしょうか。おん!と金太郎は良い子の返事をした。


そのようなわけでパピコを半分に分けて吸いながら私たちは帰路についた。金太郎のほうが背が低いのに歩幅が広くて少し前を歩いてる。手を離してくれないので、右手には私よりずっと高い体温が痛いぐらいに伝わってくる。パピコを持った左手は冷たくて、両手の温度が極端に違うのはバランスが悪いなと思った。それからすぐに、それが間違いで、左手だけが冷たいのだと気付いた。右手から伝わる熱が全身に回っている。腕も身体も耳も首も頬も。あんまり熱くて俯いていると金太郎が手をぎゅっと握ったので恐る恐る顔を上げたら、茶色の大きな瞳が真直ぐにこっちを見てた。綺麗な目だった。勝てない、と思った。


「なんで逃げとったん?」
「いや、・・・一身上の都合で」
「いっしんじょーのつごー?なんやねんそれ」
「うん・・・説明しずらくてね・・・」
「わいのこと嫌いとちゃうねんな!?」


お茶を濁して逃げ切るつもりの私に、金太郎は突然立ち止まって詰め寄った。目前に迫る端正な顔に脳味噌を掻きまわされながらそれは違う、とどうにか答えたら、金太郎が普段とは全然違う静かな動作でほっと息を吐いたので、私は赤くなった顔をこれ以上見られないように街灯を避けるだけで一杯一杯だった。もうほんとなんか、私限界なんだなあ、と疲れ切った頭が本音を吐いて力なく笑う。熱に浮かされて視界を滲ませる目で見た夜道は星が綺麗で金太郎しかいなくて夢見心地。


「せやったらええねん。でももう逃げたらアカンで!」
「・・・ハイ。ごめんね」
「おん。許したるわ」


問い詰めたりしないのか。益々込上げるものを必死に紛らわしつつ、熱を冷ますようにパピコを食べる。繋がった右手から熱が段々蓄積されていくのに、パピコはどんどん減っていくから、結局熱いばっかりだ。空っぽになった頃家に着いた。アパートの門のところで金太郎は立ち止まり、私に向かってぶんぶん手を振って言った。コンクリートの壁に良く通る声がぶつかって反響する。


「明日は一緒に昼メシ食うで〜!」


私はゆるゆると手を振り替えし、金太郎が見えなくなってから、全力ダッシュで階段を駆け上った。急いで鍵を開けて中に入り、乱暴な音を立てて玄関を閉める。ドアにもたれて、そのままずるずると座り込んだ。何をしてるんだ私は、と思う。熱を冷ますように顔を掌であおいだ。一人になると急に現実が戻ってくる。これからどうしよう?


金太郎は私を好きだと言う。しかし付き合おうとは言われてない。恋人とか、そういう概念があるのだろうか、あの子供に・・・。明日からどう接すればいいのでしょう。この防犯ブザーのようにけたたましい心臓で元通りにあしらうのは無理だ。かといって告白するというのも根本的な解決になってないような気がするし、だって好きって言っても同じことを返されるに決まってるし、じゃあ恋人という概念から説明しなきゃならないのか?これも無理でしょう。途中で恥ずか死ぬ。ねえ、だって貴方できますか?「恋人っていうのは●したり◎したり○したりしていつも一緒にいてお互いのことが一番大好きってことなんだよ!」とか言うんですか?というかこれが本当に恋人の定義なんでしょうか?惰性で付き合ってる男女だって恋人というじゃないですか?もうなんなんだよ。意味わかんねえよ。そして更に金太郎と私を遠ざけておきたい彼女たちの妨害が入ることは必至であろうし、白日の元で始終真っ赤な私の顔がルミちゃんに突っ込まれないはずがないな、うん。詰んでる。


このようなことを考えて終いには目を回すほどオーバーヒートした私は、何もかもが嫌になって気晴らしにふらつく足でプレーステーションを引っ張り出してスイッチをいれ、「せがれいじり」を始めた。


これは多分考えうる限り最低の選択だった。





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