壁一面に描かれたキリストだかミカエルだかアフロディテだか知らないがそんな感じの絵をぼんやりと眺めて私はすごくイタリアンな絵だなあと思ったが、実際私に絵画の知識などあろう筈もなく、ここがイタリア料理店だからそんな気がしただけで、フランス料理店に同じ絵があったらきっとこれはなんてフレンチな絵だろうかと思っただろう。そんなもんだ人生。まあしかし、ここはイタリア料理店を標榜するファミリーレストランなので何はさておきイタリアンである。壁画の中では羽の生えた女だか男だかよくわからない背の高い人が非常に高踏的な顔をして地上を眺めていてなんだか私を馬鹿にしているようだった。被害妄想か。被害妄想でしょう。何でも好きなもん頼んでええで、という白石先輩の声に対して最安価のミラノ風ドリア(299円)しか選択できない卑屈な私の。そういやドリアって日本料理なんだってね、どうでもいい。とにかくこの人怖いんですよ。さっきも「何食いたい?」って聞くから「いや、お冷で」と返したら「はァ?聞こえへんねんやけどなんて?」って言われましたからね。有無を言わせませんからね、流石あの遠山金太郎を御す御仁でありますね、手段は中二にしても。毒手(笑)とか口が裂けても本人に言えません。私の如き小庶民が「ミっ・・・ミラノ風ドリアで・・・」となるのも当たり前のことですよ、ねえ。と傍の壁画の中の天使にもう一度視線を投げたのだが、やっぱりそいつは高踏的な顔をして私を見下していてむかつく。神の使いだからって調子こいてんじゃねえぞ。などと私がイライラしている間に白石先輩は店員を呼んで注文を済ませて相変わらずきらきらした笑顔を浮かべている。こわい。


「早速やけど」


と白石先輩は言い、水の入ったグラスに口をつけた。心当たりある?と続ける。いやもうだって村人Cの私と聖書の異名をとる神々しき白石先輩の共通点といったらテニス部しかないし、テニス部で特に粗相をした記憶がないならそりゃもう一個しかないでしょうが。ありません、ととぼけてみたが、へえ、と言う声のトーンは下がったので寧ろ逆効果だったのだろう。やっぱり正直に謝ったほうがいいのか?しかし良く考えるまでもなく私白石先輩に謝るようなことなんもしてないではありませんか。そういった私の葛藤も知らず、白石先輩は至って穏やかそうに微笑んだまま、


「金太郎のこと避けとるやろ、ちゃん」


とド直球ストレート投げてきやがった。ストライーッック!!丁度それと同時に白石先輩のシーフードドリアが運ばれてきて店員GJナイスカット!と思ったが束の間、白石先輩は店員なんか存在しないかのようにその美しい形の目を真直ぐ私に向けているので結局蛇に睨まれた蛙状態は解けず、どうしようもない私は固まったまま模範回答を模索した。避けてませんと答えた場合確実に嘘だとばれて更に面倒な展開になることが予想されるのでこれは却下である。しかし避けていると答えた場合、ほぼ間違いなく私はそのような痴れた行動に及んだ理由を尋ねられるでしょう?したらば私はその問いかけになんと答えるのか?金太郎に惚れそうでとても嫌なので避けまくってます、とか答えるのか?無理だ。没だ。でもこの人を煙に巻くほどの才覚が私にあったなら、私は金太郎に振り回されてなどいなかっただろうし、つまり結局これは無理ゲーということですね。ハイ終了。バッターアウッ。


困り果てた私は結局「いや、あの、色々あってですね・・・」という、何の答えにもなっていない、非常に日本的な、場の空気を和らげお茶を濁すためだけの台詞、上でも下でも右でも左でもなく白でも黒でもない、極めて中庸なことを呟いて俯き、それっきり黙秘を貫くことにした。黙っている間も打開策を練っていたのだが所詮アホの頭であり高が知れたものである。どうしようもなく、料理が運ばれてきても顔をあげられぬ。白石先輩は初め少し困ったようにして、色々の中身をさまざまな角度から尋ねてきたのだが、私がどうにも話す気がないと見るや懐柔策に出た。流石全国区テニス部の部長、策士である。


「なあ、金ちゃんほんまへこんでんねんで。キミのことめっちゃめっちゃ好きやねん。別に一緒に登校したりせんでもええんよ。ただなあ、せめて話ぐらい聞いてやってくれへんかな?今日もキミ部活終った後ダッシュで職員室逃げたやろ?あの後金ちゃん泣きそうやってん。ほんまあのゴンタクレがなんやアカンことやったんやろーと思うけど、許したってや。ああ見えて優しいとこもあるし、常識的なとこもあんねんで」


こんな調子で延々続けられた私の良心は早々とズタズタになったことは言うまでもない。金太郎が泣きそうだったとか心臓が痛すぎる。しかしそれなら、私はこの人に対してのみならば、黙秘を続けられただろう。このまま黙って翌日金太郎に謝ればいいだけのことである。私を爆発させたのは白石先輩の最後の台詞であった。


常識的?


「出逢って一ヶ月の女に手コキ強要する男の何処が常識的か!!!」


という反論が、理性とか思想とか色んなものを飛び越して頭の中にでんっ、と飛び出してしまったのである。まあ、頭の中だけならよかったのですが、問題だったのは実際音にしてしまったことであった。しかも大音量だった。よくよく冷静になって自分の置かれた状況を鑑みてみれば、ここは天下のファミレスで、衆人環視で、白石先輩は鼻から水を吹いてしまい顔を押さえているし、私は思わず立ち上がってしまっているし、お客様や店のスタッフの皆々様は今、すげー単語が・・・みたいな目で私を見ているし、もう、死のうと思った。よそから着物一反貰って、それが夏まで着る着物であったとしても今死のうと思った。都合よくうちは事故物件だし、二人立て続けに死んだらもう二度とあの家を借りる人間はおるまいな。ははは。


死のう。


私は鞄の中から財布を取り出して500円硬貨をテーブルの上に置き、包帯を巻いた手で顔を覆っている白石先輩と一口も箸をつけていないミラノ風ドリアを残して幽鬼のようにふらふらしながら店を出た。よりにもよってなんで一番言いたくない事のみを伝えてしまうのだろうか私は?馬鹿なのか?誰がどう見ても馬鹿ですけどね。こんなことなら好きになりそうだからだと正直に伝えたほうが1000倍マシだった。羞恥を通り越して茫然自失の私の頭の中には太宰の小説の一説ばかりが浮かんで消えていく。恥の多い生涯を送って来ました。マイ・コメディアン。もう、ふたたびお目にかかりません。のろのろと家へ向かう私の腕を何某かが掴み、なんやねんいてまうぞコラ、と何弁なのか自分でもよくわからないまま振り返ると、そこには息を切らした白石先輩がいて、相変わらず美貌であるが、顔面蒼白な上、気弱そうなので、オーラは肌に突き刺さらない。胡乱な目で見上げると、白石先輩は額に手を当てて俯き、深い深い溜息と共に、


「えろう、すいません・・・・」


と言って頭を下げた。腰の辺りに衝撃を感じたのがそれと同時だった。しかし何故腰に衝撃?つか、痛いいたいいたい、


「痛い!」
「何で白石とおんねん・・・!」


そのときの私の顔のデッサンは恐らく総崩れだったことだろう。視界の隅に見えた白石先輩の顔もデッサンこそ崩れていなかったが目をこう、かっと見開いていて中々見ものであった。イケメンの変顔とはメシウマ状態。こんなこと考えてるなんて以外と余裕じゃん、と思われるかもしれないが、人間、本当の危機に直面すると逆に平静になるらしいですよ。私の腰にしがみついて潤んだでかい目で精一杯睨んでくるのは赤髪の男の子で、なんだかもう収集つかなくて取り敢えず今日死ぬのは無理そうだな。


「金太郎、痛いよ・・・」
「離さへんで!逃げるやろ!」







魅惑のライラプス