不遜極まりない話で申し訳ないが、私の顔はとても可愛い。料理も出来る。勉強もできる。日替わりで違うリボンをつけたりとか、姉のビューラーで睫をカールさせたりとか、スカートに毎晩アイロンを当ててプリーツを直したりとかして、なかなかお洒落。でもそうなりたくてなったわけではないし、そうするのが特に楽しいというわけでもない。私に憧れているという人が偶にいるのだけれど、不可解だ。換われるなら変わってあげたい。赤ちゃんがかわいいのは世話をする者が愛せずにはいられないためであると聞いたことがないのだろうか。彼らないし彼女らがあんなにも愛らしいのはそうでないと生きていけないからなのだ。私も同様である。例えば母親が専業主婦でいつも家に居て美味しいご飯を作ってくれて朝は早起きしてお弁当を作ってくれるのならば私は料理なんか出来なかっただろうし出来なくてもよかっただろう。通知表に5以外がついていたらむこう一ヶ月は口をきいてくれない父親でなければ勉強なんかしなかっただろうし出来なかっただろう。もしも私の顔が可愛くなくてもお洒落でなくても無理して人当たりの良いふりをしなくてもいいこだと言ってくれる人がいたなら 私はその場に甘んじただろう。そういうわけで私はとても可愛くて大抵のことができる。そしてとても親切でやさしい、ように見えるらしい。頼まれごとを断れないからだ。そうして三年連続クラス委員長職を押し付けられている。

しかしなんでこんな自明のことを放課後の教室で今更つらつらと考えているのかというと、彼氏のことがあるからだ。丸井ブン太には2年の2学期に告白された。私は丸井のことをただのクラスメイトとしか見ていなかったけれど、告白されたことを知るや周りの友達が興奮して興奮して私に彼が所属するテニス部の練習を見せてみたり、学園祭で意図的に二人きりにしてみたりさんざっぱら背中を押され付き合うことになった。彼女らは「丸井くんモテるし、イケメンでやさしいし、お似合いだよ。ならファンも文句言えないだろうし」と鼻息も荒く語った。確かに、贔屓目に見ずともブン太はいい男だった。テニスをするときのひたむきな眼は嫌いじゃなかった。そうして私たちはそれなりに普通のカップルとしてそれなりの幸せな時間をすごした。私は恋がどんなものかよくわからなったけれど、ブン太のことは憎からず思っていた。





ブン太が浮気をしているとはじめに伝えにきたのは確かテニス部の仁王くんと言う人だった。テニス部はイケメンの巣窟だと聞いたが然りと頷かざるを得ない美形であった。さぞやもてることだろう。仁王くんは悪巧みをするような笑顔でブン太浮気の事実を私にささやいた。恐らくブン太に対するなんらかの仕返しであったのだろうと思う。私は仁王くんに短く礼を言い、その足でブン太の元へ向かった。ブン太は放課後の教室でひとり携帯を弄っていた。私を認めると人好きのする笑みを浮かべたから、私も笑顔を返した。怒りなんか沸かなかった。ただもういいだろう、中学生っぽい普通の離別だろうと思った。
「別れよう」
結論から言えばこの提案は却下された。私はそのとき生まれて初めて土下座を見た。ブン太は私の足元に跪いて頭を下げ、そうして彼がどのくらい私のことを好きで、今回は魔が差しただけで、相手の女には二度と会わないということを切実に語り、私の目の前で浮気相手のアドレスを携帯から削除した。私はいろんなことをかんがえていたけれど、早く帰りたかったから、ブン太と手をつないだ。

それから一ヶ月ほど経って今度は柳くんというテニス部員がブン太の浮気を告発した。仁王くんと違って思わず漏れたという雰囲気だった。場所は図書室で、ちょうど私が井伏鱒二の全集を手に持っていて、そのことについて話していたのだったと思う。彼もまたたいそうな美男子で、浴衣が似合いそうだった。
「教えてくれてありがとう」
私の言葉は意図せず皮肉っぽくなった。柳くんは少し気まずそうで気の毒だった。 私は泣いた。それは八割が嘘泣きで、本当の涙も昨日見たまどか☆マギカの最終回の素晴らしき自己犠牲を思い返してのものであり、ブン太の二度目の浮気が私に与えたダメージというのはかなり細微、ともすれば皆無であったが、ブン太の嘘を咎め、傷ついたふりをして泣いた。ブン太は私を抱きしめて心からの謝罪をし、許しを請うた。そのときも結局私は彼を許してしまった。頼まれことを断れないのだ。

三度目の浮気を私に教えたのは一学年したの切原くんで、四度目は柳生くんだった。そろそろ仲の良い桑原くんがきてもいいころだろうに、何故かその二人である。「あの人そういうの直んないと思うからやめたほうがいっすよ」と切原くん。「ワタシが止められればいいのですが」と柳生くん。二人とも心の底から気の毒そうだった。確かに私は可哀想に見えただろう。だって何も悪いことをしていない。私はいい彼女だった。毎朝お弁当も作ってあげたしセックスも嫌がらないでちゃんとしたし部活にかまけてほったらかされても文句ひとつ言わなかった。三年にあがってクラスが離れてもまめに会いに行った。たまに好きよって言ってあげて、ブン太はすごくうれしそうに笑った。

三度目と四度目の浮気は咎めず黙殺した。とりあえず事態を見極めようと思った。丸井ブン太という人にはどうしてそんなことができるのだろうと純粋に疑問だったのだ。私にはそんなことはできない。私の人生で期待を裏切ることは死と同等だったのだ。私は他人のご機嫌取りをして生きてきた。可愛い顔もお洒落な格好も親切も慈悲もよくできる勉強も全部生きていくのに必要不可欠だったのだ。

ブン太を観察して気が付いたことがある。それはこの男が私とどこまでも正反対であるということだ。相容れないものの最たる例と言ってもけして過言ではない。ブン太はジャニーズ系の赤毛のよく似合うプリティフェイスを持っていたがそれが無かったとしても愛されないかと言えばそうでもなかった。奔放に振舞っても許してもらえる権利を彼は生まれつき持っていたらしかった。三年のはじめ、ブン太の家に上がったらやさしそうなお母様がいて、おいしい手料理を振舞ってくれた。デザートにはブン太の作ったチョコレートケーキとお母様のお手製のパウンドケーキが出てきた。二人の弟君はブン太が大好きで、彼の周りを縦横無尽に駆け回り、ブン太はそれを怒鳴りつけて部屋から閉め出して私を抱いた。酷い点数の理科のテストがソファの横に落ちていたが、怒られないのかと聞いても、彼は笑うだけだった。

















いたる現在。三年のニ学期が終ろうとしていた。立海は過半数が付属高校に上がるため受験期と言ってもそこまでせわしなくない。暮れはじめる空っぽの教室。私の手元には一冊のパンフレットがある。それは都内の名門女子高の学校案内だ。立海は十二分に名門なのでこのままエスカレーターであがっても両親は異論を唱えない。自分で探した可能性だった。立海を捨てても許されるレベルとステイタスのある学校がここぐらいしかないのだ。勉強するのが嫌だから、迷っているけれど。時計を見ると四時五分前で、少し早く来すぎたなと思った。瞬間に息を切らした男の子が教室に飛び込んできて、ああ普通呼び出したなら早めにくるよな、と思った。ブン太は自分で呼び出しても十分は絶対遅れるが。

さん、待ったかな?ごめんね」とその子は丁寧に言った。確かサッカー部だったと思う。私が首を振ると安心したように微笑んで、もう気づいていると思うけど、と彼は続けた。私はパンフレットをかばんの中にしまいながら席を立って彼に向き合う。なかなかの男前だった。育ちもよさそうだ。
「好きなんだ」
「・・ありがとう。とても、うれしいよ。でも、わたし」
「丸井と付き合ってるんだろ」

畳み掛けるように被せてくる。私は憔悴する。気分が萎える。苦手なんだ、断るの。サッカー部の彼はブン太がクソみたいな浮気野郎で、私には全然相応しくない駄目男だということを懇切丁寧に、バカに説明するみたいに易しく話した。あなたこそなにもわかっていない、それは全部逆じゃないかと口走ってしまいそうだった。

丸井ブン太はめちゃくちゃだ。約束を簡単に違えるし、惚れっぽいし、誠実でないし、勉強も大してできないし、まじめでもない。

でも人に愛される男だ。そうなるべくして生まれてきたのだ。

私はこんなにこんなにこんなにこんなにこんなに我慢してやっとこの程度なのに、あの男は何一つ諦めることなく人の中心に立つのだ。好きだ、捨てないでくれ、別れないでくれ、散々私を裏切って、そんな軽薄な台詞で簡単に纏足を施す。私は首を振った。サッカー部の男の子は、うなだれて教室を出て行った。入れ替わりに別の誰かが入ってくる。忘れ物でも取りにきたのだろうと思った。違った。

「やあ」

それは幸村くんだった。有名人だから知っているだけで、きちんと対話するのは初めてのことだ。彼は女の子と見まごう花貌に柔和な笑みを湛えて私を見ていた。肩に背負ったテニスバックを持ち直す。引退後も部活に出ているらしい。その動作だけで全て合点がいってしまう。さん、健気でいい子だね、と彼は言う。皮肉に聞こえることに気づいていっているんだろう。

「モテるんだろ。彼の言うとおり、ブン太には勿体無い」

私は笑うべきか泣くべきかわからなくて、曖昧に口元をつりあげる。
「テニス部の皆には迷惑をかけてごめんね」
幸村くんは面食らったような顔をした。驚いた顔の似合わない人だなと思う。最初は仁王くんだったんだ。次は柳くん、その次は切原くん、柳生くん・・・私が笑うと、幸村くんの眉間に皺が寄った。誠実な人らしい。

「偶然通りかかったんだ。それで、話を聞いた。ごめんね。ブン太は随分ボロクソに言われてたね。俺悪口は嫌いなんだ。でも・・・今の彼の言ってることは正しかったね。さん、ブン太は、今二年の」
「うん。わかっているから、いいの。ありがとうね。」


幸村くんがいなくなったあと、私は席について、予定帳を取り出した。今度の連休にカラオケに行く約束を、緑のペンでぐじゃぐじゃに塗りつぶす。その次の映画も。クリスマスは、二重線を引いて、中止と赤で書く。バレンタインも中止。ホワイトデーも。卒業式のあとはテニス部で集まりがあるから、夜ちょっと会おうぜ。ボタンやるからな・・・バッカじゃないだろうか。卒業式と書かれた下に、あとは帰って寝る、と書く。不意に涙がぼたぼたこぼれた。笑えた。いったいいつから本気だったのか、しっかり傷ついていたのか、私は。しかたないか、あの男は愛されずにはいられない男なのだから。滲むピンクで、パンフレットを広げて、学校見学の日程、願書締め切り日、入試の日程を書き入れた。不遜この上ないが、まず不合格は無いだろう。期待通りの動きをする、それだけが取り得なのだ。ここで失敗するようなことがあれば、私は存在価値すらなくしてしまう。立海での生活もあとわずかだ。荷物を纏めて席を立つ。空はもう暗い。

校舎を出ると、正門の前に見慣れた赤が見えた。下校時刻の流れる川のような人波の中で、立ち止まるその色は酷く目立つ。よく見たらテニス部の面々が皆居た。遠目にも和やかとは言いがたい雰囲気がわかる。仁王くんがいる、柳くんも切原くんも柳生くんも幸村くんもいる。桑原くんも。真田くんがいないから、多分彼を待っているんだろう。そうして真ん中には丸井ブン太。私の恋人。何を言っているのか聞こえるよ。「ただの遊びなんだよ。本気なのはあいつだけだし、あいつもわかって・・−−」



口端が上がってしまった。なんて誂え向きの舞台だろうか。私は人ごみに紛れてかの一団に近づく。一番初めに気が付いてぎょっとした切原くんを尻目に、私はブン太の前に跪いて額を地面につけた。はじめにあなたが吐いた嘘への、贖罪のそれと同じように。予定調和でないことをゆるしてください。ざわめきがとまる。コンクリートの凹凸が膝に食い込んで痛い。視界は暗い、腕の隙間から下校する生徒のローファーだけが見える。私はひとりで、今多分世界のどんなものよりも強い。

「別れてください」

立ち上がったときの、ブン太の顔ときたら。スカートの埃を払って、私は薄く微笑んだ。この男は大丈夫だと私は思う。私がいなくてたとえ苦しんでも、すぐに代わりを見つけるだろう。そもそも私自体が代用の利くものなのだ。そうして、憧れたのだと初めて気づいた。泣いても怒っても嘘をついても許される人に、かけがえのない人間に、私だってなりたかった。あなたのように生まれられたら、私はもっと幸せだったに違いないのだ。

「あなたといると死にたくなる」

涙声になってしまった。笑っていないと捨てられるくせに、だめな子。だから、愛してもらえないのよ。









努力も人を裏切ります