6.丹色・薫風・焦がれる




おれはお前を幸せにはできないよ。というのが私を振った男の言で、何だよそれはバカにしてんの?というのが私の感想である。どういうつもりでそんなことを言ったのか知らないが、一世一代の愛の告白を告白を断られたことも忘れて、こいつなんか変なドラマでも見たのかな?とかなり冷静に思ってしまった。それは一見ドラマチックな台詞だったが、ただの高校生の私たちの間で交わされるにしてはどう考えても不釣り合いに重く、気障ったらしいといったらない。

おまけに場所は学校の屋上で、少女漫画か、これは。屋上で告白なんてベタな真似をしてしまった自分が恥じた。隣ですっかり白けている私を余所に、迅悠一は軽く息を吐いて伸びをしながら空を仰いだ。本日の三門市は一日快晴で、空には夜と夕暮れと真昼のまじりあった不思議な色が広がっていた。西日が市内を黄金に照らして、夏の匂いのする温い風が吹いて、古いフェンスや迅の絶妙に跳ねた髪や、だらしなく出したシャツを気まぐれに揺らす。その様を眺めていると、不意に目の前の男が消えてしまいそうな気がして、往生際悪くも私は迅のシャツの裾を掴んだ。いきなり裾をつかまれた迅は少し目を見開いて私を見て、それから仕方なさそうに笑う。私は自分を格好悪いと思ったけれど、それでも別に彼に追い縋ろうとしてそうしたわけではなかったことを釈明した。

「落ちるかと思った」
「落ちないだろ。フェンスあるし」
「そうだけど」

そうだけど。しかし私には「迅が消えてしまうかと思った」などというそれこそ少女漫画みたいな台詞を続けることはできなかった。大体、どこに消えるというのだろう。迅悠一はただの高校生で、幽霊でもなければ風の精霊とかでもない。ゆっくりと、迅のシャツを握っていた指を開く。放たれた白い裾は、吹いてくる風にハタハタと舞った。迅はもう、眼下の街を見ていた。私を振り返ろうとはしなくて、ああこの恋は終わったんだなと、遅い実感がわいてくる。迅と過ごした他愛無い高校生活のことが、走馬燈のように思い出された。俺はお前を幸せにできないよ。できないんじゃないだろ。お前が選んでしないんだろ。責任転嫁してんじゃねえよ。くさい台詞がじわじわと胸に沁みて、堪えた。

「私は迅といたら幸せだったんだけどなあ・・・」

つい未練の塊のような言葉が口をついて出てしまった。あんたに私の幸せの何がわかんのよ、と言わんばかりの、恨みがましい響きのある言葉だった。恥ずかしい。でも、私はできれば、幸せなんて言葉で濁されるのではなく、好きじゃないとかそういうふうに見れないとか、ありふれた言葉で振ってほしかった。だってその方がわかりやすいじゃないか。こんなつまらないやりとりが迅と時間を共有できる最後になるんだろうと思うと悲しい。私も迅も、次の春には卒業が控えている。今までもボーダーの仕事で多忙な迅にそれほど頻繁に会えていたわけではないが、いよいよこれからは縁が切れてしまうだろう。そう思ったら、浮かんだ涙で景色が滲んだ。泣いているところなんて見られたくなくて、指で目尻を拭って迅に背を向ける。

、ありがとな」

ドアを開ける直前で今更そんなことを言われて、私は肩越しに振り返った。迅はまぶしそうに目を細めて、笑いながらこっちを見ていた。黄金の夕焼けに包まれて、違う世界に住む人みたいに見えた。晴れやかで、何もかもを諦めたような、何もかもを手放してしまったあとのような、そういう笑顔だった。

「でも、おれにはわかってるんだ。おれがお前にとって、それほど”いいもん”じゃないってことが」