オレはちょいちょいイラつくことはあっても何かをぶん殴りたいと思うほど腹を立てることなんか滅多にない。本当に。相手が女の子ならそれは尚更だ。いや正確にはちょっと違うのか?男にちょいちょいイラつくことはあんまりないしね。いやよくわかんなくなってきたけど、要するに、野郎をぶっ飛ばしたいと思うことは偶にあって、女の子にイラっとすることもまあまああるけど、その逆はあんまりない、ということだ。そう。オレはDV男じゃないし加虐趣味もないので、女の子をぶっ飛ばしたいとはキホン的に思わないのだ。女の子というのは、オレが立っているフィールドとは違う場所で生きている生物で、それ自体として敵になることがないので、言葉が通じなかろうが軽薄だろうがどうだろうが、抑えられないほどの激情にかられるようなことにはならない。たとえそのワガママぶりに少々辟易させられたとしても。カノジョと喧嘩して愚痴ってる奴なんか見るとそんなに腹立ててどうすんのって思うし、あんまりマジギレしてると笑っちゃうね。


そんなオレが人生で唯一マジでこの女ぶっとばしたいと思った女がである。これはもう絶対オレじゃなくてっちがおかしい。悪い。一応それなりに尊敬できる程度の技能は持っているので表向きは敬意を込めてっちと呼んではいるけれども、本能のままに振舞えるとしたらふざけんじゃねーよと叫んで笠松先輩がオレにするように、オレはあの女の背中を蹴っ飛ばしていただろう。それは少し緑間っちの存在に似ている。緑間っちを蹴ろうとは思わないが、尊敬はできるのに苦手だという点においては。あの時あの女が背を向けるのがあと二秒遅かったらマジで殴っていたかもしれないと今でも思う。女の子蹴るとか殴るとか、瞬間的な衝動にしてもマジで有り得ねえ。つくづくっちはオレにとって所謂「女」じゃないんだろう。同じ帝光時代のマネージャーでも、桃っちを殴ろうとか絶対思わないし。いや、オレだけじゃなくて、他の、少なくともまともな奴らにとっては、っちは「女」じゃなかったのだ。ウチのマネージャー可愛いよなという話題で持ち上がる名前は大抵桃っちだった。当たり前だ。だってっちは色気ないし、スタイルも良くないし、顔だってそれなりって程度だし、性格も女らしくはない。その上男の趣味もおかしかった。いつ頃だったか忘れたけど、一軍で一番好みなのは誰かって聞かれたとき、間髪いれずに「緑間」って答えてみたりね。


「何でッスか!?頭沸いてんすか!?」
「一番やさしいから。ていうか他が性格破綻しすぎじゃない?黄瀬とか、論外」
「オレもっちはねえッスよ!絶対!つーかオレは優しいッス。」


するとっちはフッと笑って、


「当たり障りないだけでしょ」


と言った。ひどすぎる。芸術的にムカつく返事だよね。思い出したら腹が立ってきたのでひとまず忘れとくことにしようと思うのだけれども、そもそもオレは今っちのことを考えているわけで、っちに関する思い出なんていうのは全部こんなもんだから、このエピソードだけ忘れればいいっていうほど単純でもないのがツライ。本当に、本当に腹立たしい女なのだ。。あんな女のことを可愛いなんて言う男の気が知れない。こんなのは序の口だ。オレがっちとの会話の中でもっともムカついてたその話を聞いてみてほしい。本気で女を殴ってしまいそうになったあの日のこと。


それはいつもどおり部活で、体育館の外は雨が降っていた。昼の休憩中で弁当を広げながら、一軍の何人かで固まって、テレビの話だの好きなアイドルだののつまんない話で盛り上がってて、なんとなく流れ出好みの女の話になったとき、誰かが、本当に珍しく、がかわいい、と言ったのだ。誰が言ったのか思い出せないが思い出したら殴りたくなるから別にいい。オレを含めた何人か、青峰っちとか、は明らかに「えっ」て顔した。普通だ。だってっちは本当に全然可愛くない。
「小賢しいの間違いじゃねえッスか」
「ヒデーなオイ」
なんて言い合って笑っていたら、横から「ふーん」って声がして、ぎょっとして見ると、っちがオレの横にしゃがんでいた。黒子っちかよというツッコミはさておき、流石にヤバイと思って血の気が引いたのだが、っちときたら、例のあのフッ、という、余裕綽々の女のそれとも思えないような笑い方をして、「私にも可愛いとこあるよ」と。


「アンタらには一生見せてやんないけどね」


・・・いや、有り得ないっしょ。そんなもんアンタにあるかよ。つーか見たくもねーし。色々言い返したいことは山のようにあったのに、っちは自分が言いたいことだけ言うとさっさと身を翻し、洗濯物を抱えて体育館を出て行ってしまったのである。まあそれは逆に良かったかもしれない。言い返す前に手が出てたかもしれないから。そのぐらいオレは腹を立てていたのだ。ムカつきすぎてその日の午後練はさっぱり身が入らず外周行かされた。それもこれも全部っちが悪い。あんな可愛くない女がこの世に他にいるだろうか。いない。絶対いない。見た目云々じゃなく中身が女として腐ってる。そう思うでしょ、黒子っちも。


「思いません」
「・・・・何でッスか・・・」
「かわいいですよ、さんは」
「何処が」


好みなんスかと聞いても黒子っちは無表情に違いますと返すだけだった。黒子っちの好みってマジで全然わからない。桃っちでも駄目って一体女に何を求めてんのかなと思う。オレはマジバの安っぽいカラーリングのテーブルに顎を載せたまま、シェイクを飲み続ける黒子っちを見上げていた。黒子っちの大きな目はカウンターのほうを眺めている。火神があの人間とは思えない量のハンバーガーを注文しているのだ。もう答える気がないんだろうと思っていたのに、黒子っちは不意にオレに向き直って、「かわいいですよ」ともう一度繰り返した。


「火神くんといるときは、特に」


表情豊かで、と彼は続けた。オレは一瞬なんだかよくわからなくなって自動的に机に突っ伏した。丁度良く頭上で声がする。「アレ」あのかわいくない女のかわいくない声で。


「黒子と、それは黄瀬?」
「はい。さんもこんなところに来るなんて珍しいですね」
「外から見えたから」
「火神くんがですか?」
「・・・・・・・うん。まあ」


オイオイ。そのタメは何なんスか。可愛いと思ってんの?前言ってたアンタの可愛いトコってそれ?無意識に口の端が吊り上る。嘲笑。顔を上げて爆笑のひとつでもくれてやろうと思うのに、耳がなんだか酷く熱くて、オレはその熱に気を取られてタイミングを逃したまま、いつまでも下を向いて口だけで笑ってる。何やってんだ。本人にむかって笑ってやればいいのに。あの時言い返せなかったお返しにでも、大声で笑ってやったらいいじゃないか。


「黄瀬はどうしたの」
さんが可愛くないとか暴言はいてたんでバツが悪いんじゃないですか」


オオオオオイ黒子ォオオッち!!!言っちゃうのソレ!言っちゃうんだ! 殆ど反射的に顔を上げるとっちは呆れた顔をしてオレを見て、は、と溜息を吐いた。


「またその話?別にいいよ。黄瀬に私の可愛いトコなんか見せてやんないよ」
「ボクは可愛いと思いますよ」
「ありがとう。でも桃井に言ってやんなよね。じゃあ、そういうことでちょっと行ってくるね」


は少し早口でそう言って微笑むと、黒子っちにもオレにも手を振って、カウンターの前に立っている火神の背中に向ってぱたぱたとかけていった。見たことない走り方。見たことない後姿。耳の熱と唇を吊り上げていた力がウソみたいに一気に吹き飛んだ。汗も引いた。身体が冷える。オレは一瞬今自分が今何しててここが何処なのかすらよくわかんなくなって、黙って、それから頭の中に一言だけ、なんだソレ、という言葉がデカデカと浮かんで、ネオンのように光った。何だよソレ。意味わかんねえよ。オレには見せないのに。オレには見せないくせに。あいつには見せるのか、火神には。この、オレが、知らない、のに!あまりにもな意味不明さに衝撃を受けすぎて頭痛すら覚え、オレは掌に頭を乗せた。


暫くして向かいの黒子っちがふうっと息を吐いたので顔を上げた。この人には珍しい表情で、オレは思わず眼を見開いた。苦笑いする黒子っちは、振られてしまいましたね、と呟いて、すいませんだなんて何故だか謝る。オレは空いた手を振ってナイナイ、と身振りだけで示した。的外れなことを言わないでほしい。振られてねえッスよ。だって恋なんかしていない。オレはあの女のことがずっとずっと苦手だったんスよ。男の趣味も悪ぃしさ。ぶっ飛ばしたいし、いっそのこと泣くまで蹴ってやりたかった。可愛くないから。可愛くないあんな女なんか。

 



(小馬鹿にしてた花も折れない/黄瀬涼太)