沙羅双樹の花




おとうさん、ということばを最初に覚えたらしい。よほどお父さんが好きなのでしょうと母に笑顔でそう言われて、否定のつもりはすこしもないけれど、本当は父のことを好きで好きで仕方がない母が何度も耳元で父を呼ぶ呼び方を教えたせいなのではないかしら、と実はわたしは思っている。
いとけない記憶を補うように古い写真が教えてくれる父の姿は、いつも線の細い笑顔で、隻腕の腕で小さい私をぎこちなく抱いている。子供を抱くのはあまり上手じゃなかったからずいぶん練習していたと母は懐かしそうに語る。抱っこだけではない、あやすのもご飯をたべさせるのもおしめをかえてやるのだって、あんまり上手じゃなくて、やらなくてもいいのにと笑われてもめげずに一生懸命やって、いつのまにか達者にできるようになっていたそうだ。頑張り屋の真面目な性格は弟に遺伝したのだろう。弟は、抱きかたが随分達者になっていたという父に、残念ながら抱かれたことはない。弟が生まれる頃には、父の体調は随分悪化して、乳飲み子の体重さえ支えられるものではなかった。母が弟を抱いて、その身を父にくっつけているのに、すまなそうに、でもしあわせそうに手を添えていた姿を、わたしは覚えている。
一番記憶が濃いのは、いよいよ父の死が近しいという時期のことだ。上野の生家でいちばん日当たりの良い、庭に面した部屋に布団を敷き、そこに伏せる父はいつも外を眺めていた。まれに気候があたたかい日は体調が良いのか、縁側に座って母と話をしたり、弟の寝顔を見たり、訪ね人の相手をしたり、よちよち歩きのわたしが覚束なく歩くのを見て、手を叩いて喜んだりしていた。父はいつも穏やかだった。人畜無害というか、昔は刀を持って、悪い鬼と戦っていたらしいと聞いたけれど、そんなことはとても信じられない、冗談なんじゃないかと思う。だってほんとうにムシも殺さないようなひとだったのだ。 
早逝の理由は戦っていたときに随分無理をした、その古傷のようなもののためだそうで、昔はよく家に来てくれていた炭次郎おじさまも、実弥おじさまも、父と同じ病に倒れて随分早くに逝ってしまった。神様はやさしいかたばかりをはやくとっていく、と母はときどき恨み言のように呟く。それなら母もはやくにとられてしまうのではないかとわたしは恐ろしくなって抱きつくと、母は笑ってわたしの頭を撫でて、けれども今もしあわせだからねえ、寂しいけれど、と切なそうに呟く。
父がいなくとも母の庇護のもとわたしも弟も不自由ない暮らしをしている。戦争が始まって疎開ののちも遠縁の農家に身を寄せて、家族揃っていて随分幸せだ。空襲の警報には怯えていてもこの日々が続けばそれで充分だと願う。贅沢なのかもしれない。
しあわせとはただ単にあたたかくやわらかいだけでなく、切ないものなのだとわたしは父母の愛により知った。咲いた花がいつか散るように、風が家々を風化させるように、長い眠りがいつか覚めるように、何もかもが終わりを迎える。この日々が終わりませんように、いつまでもいつまでも平穏が変わらず続きますようにと願うことがきっと幸福そのもので、おわらないでいてほしいという儚い願いは結局、叶いはしない。当然にいつか終わってしまうからこそひとは幸福で、だからこんなに切ないのだろう。

ナツツバキの咲くころに、父は逝った。畑の裏手に植わった白い花が咲くと、たわわについた花が揺れていた、上野の生家を思い出す。

縁側に座って、あれは沙羅双樹と言うんだ、と父は重たげに左腕をあげて、ナツツバキの真っ白な花を指さした。そのころは知る由もなかったけれど、本物の沙羅の木は南天の植物で、日本では温室でしか育たないのだという。その代わりにお寺さんに広まったのがナツツバキの花というわけだ。そんなことは少しも知らずに、父は花の由来を語った。
「ひめじまさんが昔教えてくれた。釈迦はあの木の下で死んだそうだ」
ひめじまさん、という方が誰なのか、わたしも母も知らない。けれどきっと優しいひとだったのだろう、その方を呼ぶ父の声は懐かしそうで、いつもしたわしげだった。
死期の近いころの父の口からは昔親しくされていたらしい方々の名前がとうとつに出た。つたこねえさん、さびとさんにはじまって、ひめじまさん、こちょうさん、れんごくさん、いぐろさん、かんろじさん、ときとうさん、おやかたさま。それに、実弥おじさま、宇髄さま。鱗滝のおじいちゃまに、炭次郎おじさま、善逸さま、伊之助さま。
わたしはおはじきを集めるようにそのひとたちの名を覚えて、父の前で復唱した。父はわたしの拙い発音を喜んで、うんうんと頷いて目を細めていた。
「みな本当に立派なかたがただった。俺はあんな人たちに出会えて本当に幸せものだ。もしいつかまた会えたら、話したいことがたくさんある。お前たちのことも紹介したい。きっとみんな驚いて、……でもよろこんでくれるだろう」
そうして頭を撫でてくれた。痩せた指だった。わたしは知らない人にご挨拶をするのはやぶさかではなかったけれど、なんだかとても心臓が苦しくて、座した父の腰にすがりついた。庭で小鳥がさえずっていた。セミが鳴いていた。乾いた匂いがした。
父はすこし固まって、それからわたしの背中をなでながら、ふふふ、と笑った。そしてひそかな声でささやいた。
「こんなことは誰にも……母さんにも内緒にしてくれるか」
「うん」
「……もう少し時間がほしいなあ」
残念そうに、父が言った。
わたしはそのときはその意味がわからなかったけれど、顔を上げると、父は私を見ていて、両方の暗い水色の瞳に、木漏れ日の緑が写ってきらきらとしていて、ぐっとこみ上げるものがあった。父親に向かってこんなことを言うのはおかしいのだろうけれど、あんまり綺麗な瞳だった。この上なく優しくしあわせで、終わりがくることを切なく思って揺れていた。心臓がもっとどきどきした。
こんな俺に会いに来てくれてありがとうと呟いて父はまた私を抱きしめてくれた。わたしのほうこそ、父の娘に生まれて幸せだと、心から思う。
父の眼差しを思い出すとき、わたしは幸福と切なさをいっぺんに吸い込んで息が止まるような気持ちになる。そして思うのだ。たとえいつか全てを失うとしても。いつか父のように死して焼かれ、灰になるとしても。戦争が続いて非業の死を遂げることになったとしても。誰もわたしから、父の記憶、母の記憶、弟の記憶、家族で静かにしあわせに暮らしいていた日々を奪うことはできない。しあわせな日々を過ごした人間は、永遠に不幸にはならない。わたしはきっとこれからもずっと幸福で、その想いは永遠に続いていくのだ。
切なくても、寂しくても、幸せにいきていかなくてはならない。
生きて生きて、いつか父にふたたびまみえた時には、見てきたもの、好きなもの、しあわせのぜんぶ、色んなことを教えてあげたい。