「弟さんでもできたみたいですね」
冨岡さんは眉間に皺を寄せて小さな声で「同門だ」と訂正した。じゃあ弟弟子ですね。再訂正すると、それでもなぜか釈然としない顔で、けれど頷きもせず否定もせず、手元で湯気を立てるお茶をすする。
水柱とあの「弟」弟子といえば、無愛想と冷徹で知られる水柱が身を挺して庇い建した少年、として、美しい義兄弟の愛で隊内でもたびたび話題にのぼる。あの子の為に詰め腹を切るとまで言った仲だろうに、当の水柱の反応は非常に冷めていていつもどおりだった。行動と態度が不釣り合いで、率直に変な人だな、と思う。行動原理がよくわからない。
「あの少年のためなら詰め腹を切ってもいいと思うほどにご執心だったのでは?」
茶化したような問いを投げかけると、じろりと横目で鬱陶しそうに睨まれる。けれど恨めしそうなだけで、何も言葉は返ってこない。
義勇さーん、と明るく朗らかな声が往来の向こうから響いて、声をそのまま人にしたような優しい笑顔が満面に満ちた少年が冨岡さんに手を振る。冨岡さんは手を振り返したりはせず、しかし湯呑を置いて、重たげな腰を縁側から上げた。庭に敷かれた砂利が踏まれて音を立てる。私は冨岡さんから預かった報告書を、ゆっくりと時間をかけて、肩にかけた鞄に仕舞う。
「腕は」
と、こちらを見ずに冨岡さんが言う。おそらく、大丈夫なのか、という意味なのだろう。絶望的に言葉が足りない。至っていつもどおりだった。私は口元の布の下で笑いながら、あらゆる意味を込めて、大丈夫ですよと返した。左の肘から下は先日無くした。しかしもう痛みもない。腕のいい義手の職人を紹介されて、前線復帰は難しかったが、補佐としてはそれなりに働いている。万年人手不足の鬼殺隊、隠や隊士は欠損が多いので、その後の支援や働き場は用意されているのだった。
「そうか」
とだけ冨岡さんは言った。このひとはこればかりだ。思わず苦笑が漏れる。でも多分、色んなことを心配しているのだろう。「もう休んでいい」と労われたことを思い出す。あれは夢だったのかもしれないが。 しかしいざ戻ってきてみれば、どうしてか、もう休もうという気には到底ならない自分がいて、大層妙な心地がした。
もうじき最後の戦いになる、ということは、鬼殺隊の隊士全員が肌で感じていることだった。勝てるのか、負けるのか、生きられるか死ぬか、何もかもが不確かで、あまりこの次を思い描くことができない。死ぬのかもしれない。誰も彼も。私も。
炭次郎少年は無反応にもめげずに、何度も大きく手を振ってこちらに駆けてくる。背後から後光のように光がさして、眩しい。赤みがかった少年の髪がきらきらひかる。かわいらしい、まだあどけなさの残る面差し。わたしは数度しか話をしたことがないが、とてもやさしいこどもだった。こんな子にそんなものを背負わせるべきではないとわかっているのに、なぜだか、明るい将来の象徴のように思われる。この子の願いが叶うというのなら、私もそれを見てみたいと、願ってしまう。
風が吹いて、竹藪がさわさわとしなる。少年のいる方向へ、冨岡さんは歩き出した。











拝啓、冨岡義勇様。
お元気でいらっしゃいますか。私は元気です。私だけでなく、一族郎党、元気すぎるほど元気です。冨岡さんに助けていただいたあの夜、身重でいた叔母がこの度元気な男の子を出産いたしましたことをご報告いたします。名前は勝手ながら冨岡義勇さんの義の字を1字いただいて義男、と名付けました。うるわしいおかおだちまでは真似るのは無理でしょうが、冨岡さんのようにやさしくて強いひとになるようと願いを込めました。贔屓目ではありますが、きっとよい男になると思っています。
鬼殺隊はいよいよ大きな戦いをやる、と聞いております。私たちは藤の花の紋を下げてまだ日が浅いけれど、ご協力ができるよう精一杯努めます。何か不足がありましたらいつでも申してください。冨岡さんは鮭がお好きと聞きましたから、塩鮭にはなりますが同封して鴉さんに預けました。塩抜きをすれば煮物にもできると思います。ご多忙でしょうから私が行って作りたいのですが、いい加減観念して住所を教えていただければ幸いです。 なんてね。冗談です。
どうかご自愛なさってください。ご健康とご武運を心からお祈りしています。またいつかお目にかかりたいですし、難しくとも、冨岡さんが肩の荷をおろして、楽しい日々を送れるときがくることをずっと祈っております。 ご多忙のことと存じますからお返事は不要です。今日も貴方が好きでした。百年後も好きだと思います。お笑いになってくださいね。 あなかしこ











何故俺などを選ぶ。
なんの価値もない、怯懦で惨めで惰弱な自分。俺が死ねばよかったのに。義勇が幾度となく繰り返し続けたその問いに、この上なく明瞭に答えたのは、多分その人だった。
「数字だよ」。
そう言って彼女は痩せた喉を震わせて笑った。最期に会った日のことだ。
数字はなるほど、嘘をつかなかった。義勇は一度だって目の前で起こることを大丈夫だと感じたことはなかったけれど、倒した鬼の数を眺めるとき、いつもほんのすこしだけはほっとした。自分もここにいていいのではないかと、紙一重の夢を見るように、そう思うことができた。
彼女は女性にしては背が高く、往時は義勇よりも上背があったけれど、焼いて灰にされてしまったあとは当たり前に小さな骨壺に納められて墓石の下に眠っている。墓を詣でたことはない。彼女に限らず、入隊して以来、姉の墓にも盟友の墓にも、誰の墓にも、義勇は詣でたことはなかった。死んだ後に魂魄が残るという御伽噺のような夢想を彼は信じていなかったし、もし、死者がそこにいたとして、どんな顔をしていればいいのかもわからなかった。いつも死者に合わせる顔がないことを恥じていた。祝言の前日に鬼に喰われた姉。たった一人で全員を守って、志半ばで死した友。柱の名に恥じることなく戦績を詰み、病に伏すまで戦い抜いた先達。

ありがとう。

あの日、彼女は別れ際にそう言った。
ずっと自分への慰めか、見込み違いのどちらかだと思っていた。


伊黒に庇われたとき、どうしてだ、と義勇は思った。どうしてだ。同時に、その反対側から、違う声がした。どうしてじゃない。どうしてじゃないんだ。宿命の前に、理由など意味はない。苦しいだろうが、自分たちしかいない。そう思ったから託し、託された。衝撃を伴う、圧倒的な実感だった。まだ死ぬな。戦え。まだ戦え。その場にいた誰もが、自分が彼らをそう信じるように、自分を信じているのだった。彼らがそうであるように、自分もまた、頼りなくとも、未熟でも、柱なのだった。平和な世を夢見て戦い、死んでいった人々の笑顔が過っては、目の前の光景に重なる。胸が震えて、ぐらぐらと熱かった。諦めずに戦わなくてはならないのだと思った。最期まで。力及ばずとも。命が尽きようとも。腕が千切れようとも、やるべきことをなす。柱の名に恥じぬように。











酸鼻を極める阿鼻叫喚よ。広がる地獄絵図に、野戦病院を連想した。従軍したことはないので想像に過ぎないが、あまりに欠損の患者が多いのだった。いつか老先生に聞いた、鬼、という単語を私は思い出す。このひとたちはみんな、なくした腕も足も耳も指も、鬼に食べられてしまったのだろうか。幻肢痛に泣く若い男の子たちに何本麻酔を打っただろうか。そもそも私は精神科が専門ですよ、と派遣元の老先生に口の中で文句を言うが、目の前で死にかけている患者は待ってはくれないのだから働くより他はない。蝶屋敷という華やかな名に似合わぬ血と膿と死の匂いの充満する建物で、私は本当に猛烈に、不眠不休で働いた。隈が目の下に張り付いてとれなくなるぐらいだ。よほどの働きであっただろう。
蝶屋敷は変なところで、ここで一番偉いのは、アオイさんという、まだ十代の女の子である。若いながらてきぱき、きびきびと働く真面目で有能な娘であったけれど、若いということはそれだけで傷付いているようなものなのだ。夜中に死んだ患者の負担を片付けながら泣いているところ何度も見た。鬼狩りというのは子供を拐って作る組織なのだろうか、とわたしは思う。お上が知らない組織だからってあんまりでは?しかし、子供が頑張っているのによい大人であるわたしが頑張らないわけにはいかないのだ。
ここにやってきたころはまだ山茶花の咲く冬だったのに、気が付けば庭の梅には花が付き始めている。はあ、と溜息をついて、濡れ縁のガラス戸を引いてあけた。空気の入れ替えをしないと、あっという間に疫病が流行るだろう。日は少しずつあたたかくなって、黄色い日差しが瞼の静脈を透かした。春の匂いがしだしている。あたたかいのは良い。人は寒いと死にやすくなるので。
そんなことを考えていると、廊下の向こう側から、てちてち、と足音が聞こえた。無性に聞き覚えのある音に、あわてて振り返る。案の定、ここ数年すっかりご無沙汰していた、冨岡少年―――否、青年が、患者用の寝間着姿でそこを歩いていた。瞠目して固まっていると、向こうも私の顔に見覚えがあることに気付いたらしく、礼儀正しく頭を下げる。
「お久しぶりです」
「お、お久しぶり……」
生きていたんだね、と言いそうになった。流石にどんな台詞だと思い口を噤む。なんとなく生きて会うことはないようなつもりでいたので、ふいうちで、身体に籠っていた力が抜けるような気がした。冨岡青年は私が戸に手をかけているのを見て、「窓を開けているのですか」と尋ねた。
「うん」
「手伝います」
「よして。けが人でしょう」
「いや。身体を動かさないと却って疲れる」
言いながら戸を押して、冨岡青年は実に自然に、微笑のような顔を作った。空気が柔らかい。まるで春のひだまりのようだ。こんな子だっただろうか、と私は少年時代の彼を思い出して、その記憶とのかみ合わない違和感に首を傾げる。私の凝視をものともせずに、冨岡青年はぎこちなく戸にかかっている金具の、留め具を外そうとする。やりにくそうな手つきをよく見てみれば、冨岡青年の右手には手がなかった。私は思わず叫んだ。「腕が」 冨岡青年は顔を上げて、ああ、というふうにちょっと自分の右肩をあげてから、わたしに向き直る。
「もう痛みません」
「そんな。だって。右利きでしょう。剣士でしょう」
動転して余計なことをしゃべる口をものともせず、冨岡青年は目を細めて自然に笑った。
「もう斬るものはないからいいんです。もう」
いいのです。 
そうして、肩の荷がおりたように、彼は嘆息した。
見上げた空が青くて、深い青の瞳に早春の晴天が反射して、それは本当に綺麗な笑顔だった。唐突に、あの夜を思い出す。一人でうずくまって、熱を出して、それでも刀をとろうとした男の子のことを。瞳が融けるように熱くなるのを感じた。ぼたぼたと水が垂れたのはそのあとすぐだった。慌てた様子の冨岡くんが蹲る私の肩を、たった一本の腕でぎこちなく撫でてくれた。














義勇さんをお見かけしました。
父にはとめられていましたが、わたくしは冨岡のおうちのお墓を見るひとがいないことが忍びなく、毎月一度、蔦子お姉さまの月命日にお掃除に通っておりました。
その日、義勇さんはそこに、お姉さまとご両親のお墓参りにいらしたのでしょう。青い袴に開襟のシャツ、すっかり大人に成長した義勇さんは、まるで書生さんのような出で立ちで、綺麗な白い菊を墓前に供えていました。背格好は変わられましたが、つんつんと跳ねた髪の毛はそのままで、わたくしは彼が義勇さんなのだとすぐにわかりました。
わたくしは持ってきたお花を抱いたまま、咄嗟に、陸軍の供養塔の後ろに隠れて、義勇さんの姿を窺っていました。会いたくて会いたくてたまらなかった人の背中でした。生きていた!やっぱり生きていたのです。歓喜が身体を駆け巡るのと同時に、頭がすうと冴えていくのを感じました。
お会いして何を言えばいいというのでしょう。見つかったらどうしましょう。わたくしの家が義勇さんの帰るところを奪ったのも同然なのに。
わたくしはあれだけ義勇さんに、罪を断罪してほしいと思っていたのに、いざとなると足が竦んで動かないのでした。
冷たい墓石の裏側で、春の陽気が暖かそうに、墓地を黄色く照らしていました。義勇さんは屈んで墓前を暫く眺めて、それからそっと立ち上がりました。和尚様が箒を片手にいらっしゃるのに、小さく会釈されて。
「やあ、こんにちは。冨岡さんの御親族かな」
「はい。そのようなものです。……無沙汰をしていましたが、墓は綺麗なままだ。手入れをしていただきありがとうございます」
「いや。冨岡さんの御墓はねえ、ふもとのお嬢さんがいつも通って綺麗にしているんだよ。」
しばらくの沈黙の後、そうですか、と義勇さんが言いました。
わたしは心臓が凍ったような気がしていました。
けれど義勇さんの、すっかり低くなった声は、どこまでも柔らかく、微笑みを込めて春の野に響いていました。
「申し訳ないが。お嬢さんに会う機会があれば……礼を伝えていただけませんか」
「構わないが、誰からと?」
「名前は伝えず。ただ、家を守ってくれてありがとうと」