羅刹


姉さんは鬼に喰われたんだ、信じてくれ、俺はおかしくなんかない。という言葉が、わたくしの聞いた義勇さんの最後の台詞でした。蔦子お姉さまが、不可解な、非業の死を遂げられたあと、悪い夢のようなことを口走るようになった義勇さんは、あれよあれよという間に東北のほうにある療養所という名の精神病院に送られることとなってしまったので、そののちにお目にかかる機会は、とうとうなかったのです。許嫁なのですからなんとか会わせていただけませんか、と再三父に頼みましたが、双方に悪影響だからとゆるされることはついぞありませんでした。暫く経って、移動の道すがら、義勇さんが汽車を飛び出して逃げてしまい行方がわからないと聞いた時は、正直、少しほっとしたものです。わたくしは医者の娘ですから、義勇さんが送られる手筈になっていた精神病院がどのようなところか、凡その知識はありました。鍵のかかる格子のついた牢屋で、一度入ったらもう出ることは叶わないようなところです。
義勇さんにその病院を紹介したのはわたくしの父でした。逃げた義勇さんがどこに行ったのか、父は随分熱心に探していましたが、とうとう行方は知れぬままこんにちに至ります。

義勇さんがいなくなってしばらく後、我が家はいささか、急速に、何と申しますか、裕福になりました。その少し以前、冨岡家の遠縁の方が尋ねてきて、父と何ごとかを話し込んでいる様子でした。義勇さんと蔦子お姉さまが暮らしていた御実家は、間をおかずにその方のものとなり、やがては売りに出され、今は全く関係のない、よそから来たお武家の御一家が住まわれておいでです。此処だけの話ですが、わたくしは新しいご一家があまり好きではありません。長州訛りのきつい、気性の粗いご主人と、固い目をした奥方です。わたくしは小さな頃から義勇さんのご自宅にはお伺いしていましたから、なんとなく泥棒に入られてしまったような気がしてときどきひどく寂しくなります。泥棒。まあ、義勇さんに言わせれば、わたくしたちこそが、泥棒でしょうか。
義勇さんの頭がおかしいことになって、一番得をしたのは父でしょう。冨岡家の財産は、ご両親が身まかられた後、蔦子お姉さまと義勇さんが二人で、女中を雇いながら暮らしていくに全く不自由のないものでした。それどころか、蔦子お姉さまは銀行の方と縁談が決まって居たのですから、それは莫大なものだったのでしょう。わたくしの家はもとよりさほどお金に困るということはありませんでしたけれど、裕福になってからというのも、診療所の改築工事だのなんだの、父は頻繁に身の回りを整えるようになったものです。屋敷から歩いて十五分ほどの診療所の敷地はいつのまにか拡張され、あらたに庵が結ばれておりました。通いの看護婦を囲ったのだそうで、激怒した母は父とは口も利かぬような状況です。けれども母は母で、随分手持ちの宝石が、着飾っての外出が増えました。義勇さんの御生家を飲み込んだ我が家の人々は、お酒を随分飲むようになり、ぷくぷくと肥えて参りました。
わたくしはときどき義勇さんの切羽詰まった最後の台詞を思い出します。

「姉さんは鬼に喰われたんだ。信じてくれ、俺はおかしくなんかない」

信じますわ。義勇さん。信じます。
義勇さんは一度もわたくしに嘘を吐いたことがありませんでしたね。わたくしたちがおさなかったころ、わたくしのことは好きですかと、愚かな質問をしたときも、義勇さんは困ったように眉根を寄せて、「わからない」と仰った。ほんとうに、呆れるほど正直で率直な方でした。いつも。その義勇さんが言うのです。きっと本当なのでしょう。蔦子お姉さまは鬼に食べられてしまったのでしょう。あんなに美しくつつましい方が唐突に酷い最期を迎えることになるなんて、人生とはどれほどに、ままならないものなのでしょうか。あんなに正直でやさしい義勇さんが疑われて家を追われ行方も知れないなんて、そんな話があるのでしょうか。どうして神様は冨岡の家の方々を助けてくださらないのでしょうか。

わたくしはときどき、夜眠る前、義勇さんのことを思い出して、少しだけ泣くのです。そういう夜は決まって、夢にあの方を見ます。汽車から逃げて、たくましく成長した義勇さんが、勇ましく鬼を退治する夢です。

義勇さん、信じます。鬼は、わたくしです。わたくしの父とわたくしの母、その間に生まれて、まるで普通に生活をして、新しい振袖に腕を通して平然としているわたくしも、鬼でしょう。冨岡のおうちを食べつくして、恥ずかしながら、遺憾ながら、わたくしども悪鬼羅刹の一家は随分肥えてしまいました。御戻りをお待ちしています。はやく戻って、斬ってください。