照星さんはさんを自分の弟子だと紹介した。佐竹に来る前に繋がっていたところでであったのだとちらりと聞いたけど、詳しくは教えてもらっていない。俺より4つ上だから、竹谷先輩と同じ年だ。美人だけれどすごく面倒くさそうな表情が印象的で、というか、なんだか腹立たしくて、俺はあんまり彼女を好きになれそうにないな、と思った。正直に言えば、それは彼女が照星さんの弟子であったということに起因する嫉妬なんだけど、そのとき俺は冷静ではなかったから、嫌悪感の正体がただの嫉妬なのだとは気付かなかった。学園の総力をあげての忍務で、さんは態々俺たちを手伝うためにやってきたというのに、随分な失礼を働いて申し訳なかったと反省している。

俺は照星さんと庄左の指示で、その夜、さんと二人で山小屋に詰めていることになった。標的がいつそこを通ってもいいように崖の上から火縄銃を構えているのだが、夜中に火縄銃は使えない。要するに休憩組みだった。俺は焦れた。さんは寝ない気満々の俺に気づいたらしく、欠伸をしながらこう言った。

「この山で夜中遠眼鏡を使ってはいけないよ」

幸い月の明るい晩だったから崖の上から遠眼鏡を使うつもりでいたのに、早速釘をさされて俺はちょっと慌てた。

「どっどうしてですか?」
「どうしても」

さんはそういい捨てると俺を放置してさっさと小屋の中に引っ込んでしまった。俺はぽかんとして、さんの入っていった小屋をしばらく眺めて、それからふつふつと腹を立てた。なんだよ、すかしやがって。と俺は思った。そうなるともう駄目で、さんの言いつけなんか絶対守るもんか、と思ってしまった。

俺は切り立った崖にうつ伏せになって、遠眼鏡を除いて下のほうを見た。火縄銃は傍においてあるし、手裏剣も持っていたから、もしもさんの忠告が何らかの意味を持っていて、遠眼鏡を除くことがあぶないんだとしても、特に問題はないだろうと思った。遠眼鏡の中は酷く暗くて殆ど何も見えないほどだったけれど、月が何しろ明るくて、木の少ない道なんかは、白いウサギが通るのを見通せたりもした。でも、基本的には何もない。

俺は小一時間ほど遠眼鏡を覗き続けて、飽きた。だって本当に何も見えないのだ。癪だけど俺ももう寝よう、と思って遠眼鏡から目をはずそうとした瞬間、筒のむこうに、山の上から何かがかけてくるのが見えた。忍術学園の生徒かと俺は思った。でも、忍装束を規定ないし、あんまりにもガリガリすぎる。きり丸だってあそこまで細くない。なんだろうと思っていると、そのガリガリの少年らしきものは、こちらに気づいたように、満面の笑みを浮かべてぶんぶん手を振ってきた。満面の、って顔は見えないんだけど、絶対に笑顔だろうとわかって、ぞわりと背筋が冷たくなる。こっちに気づくわけがない。しかし、それはなんども手を振って、恐らく俺のいるほうに向かってまた走り出したのだ。こっちに走ってくるはずない、そう思ったのに、なぜかものすごくやばいことになりそうな気がして、俺は遠眼鏡と火縄銃を抱き、さんのいる山小屋に急いで入った。

さんは敷布にくるまって寝ていた。じろりと目だけを動かして、慌てて扉を閉める俺を見る。

「・・・・どうしたの」
「・・・・いや、ちょっとすごく嫌な予感がして」
「・・・遠眼鏡覗いたの?」

俺は嘘をついてもしかたがないと思い、うなづいた。とたんさんの顔から血の気が引いた。飛び起きると、さんは懐から苦無を出して床にさし、床板を長方形に切り取った。同じく懐から小さな袋に入った五寸釘を出す。そして目張りをするように板を扉に打ちつけた。かんかん、という、苦無が釘にあたる甲高い音と、引き戸が振動する耳障りな音が両方した。焦ったように目を血走らせてさんは俺に尋ねる。

「何見たの」
「なんかガリガリの子供みたいなのが・・・」

すると彼女ははものすごいすばやさで扉の前に荷物類や火薬の樽一式を並べておいた。顔は相変わらず真っ青で俺は不安になる。俺は何か最悪なことをしてしまったらしいと一人まごついていた。そんなときだった、外にすごい勢いの足音が聞こえたのは。さんは急いで火薬を火縄銃につめ、扉から離れたところで銃を構えた。俺もそれに習って隣に並ぶ。

ダダダダダダダダ、という足音のあと、突然小屋の扉がけたたましく打ち鳴らされた。あけろと催促しているみたいに。ドンドンドンドンドン!俺は戦慄した。外からはウッンーッ、という、気持ちの悪い息遣いのようなものも聞こえる。あの子供だ、と瞬間的に気付いて銃を持つ手が震えた。今にも蹴破られんとばかりに扉が跳ねる。時間は無限だった。破られる。俺は縮み上がっていた。

しばらくすると扉を叩く音も止み、息遣いも聞こえなくなって、あたりは沈黙に包まれたけれど、俺とさんは結局固まって、火縄銃を扉に向かって構えたまま朝を迎えた。

忍務が終って俺がさんに謝罪に行くと、さんは今度はちゃんと人懐っこい笑いを零した。

「いいんだよ。私の言い方が悪かった。実はあの山で、私も昔遠眼鏡を覗いたんだ。だから怖くてねえ」

つい無愛想になっちゃった。俺はさんの言葉に頷くことしかできなかった。確かに怖かった、今まで経験したどんなものよりも。二度とあんな山に入りたくない。





(遠眼鏡のむこう/佐竹虎若)