長曾我部元親は私のバイト先のファミレスの、厨房で働いている20歳の大学生で、私がバイトを始めて間もなかった頃、ホール担当の先輩の彼氏だった。先輩は彼より2つ年上で、大学院に進むことが決まっている秀才で、光り輝くような美貌を持ち、親切で、彼のことがとてもとても好きだった。彼について話すときの彼女の、楚々とした笑顔は、とてつもなく綺麗で優しく、女の私までどきどきしてしまうほどだった。私はその頃、彼と直接顔を合わせたことがなかった。とても優しくて、おおらかで素敵な男のひとなのだと他の女の子たちは異口同音に言った。二人の並んで歩くさまはそれは眼福なのだという。女は綺麗なものが好きだ。私も、彼に逢うのを楽しみにしていた。彼女と二人でいるところを、是非見たいと思った。何しろ十人近くの女の子がいて、その全員が僻みもなしに素敵だと断言するカップルなのだ。そのささやかな願望は、結局叶わずに終わってしまったけれど。

作為的なのかと思うほど彼とシフトが合わないまま3ヶ月が過ぎ、前期の試験で壊滅的な点数をたたき出していた私は、後期試験の勉強に追われて暫く店を休んだ。なんとか試験を片付けて、店に戻ったとき、先輩がもうやめてしまったのだと聞かされた。それなりに仲が良かったのに一言も声を掛けてもらえなかったことにショックを受けていると、同僚の女の子は私の肩に手をかけて慰めるように笑った。なんかね、元親さんと色々あって別れちゃったんだって。先輩もキツいみたいだったから、気にしないほうがいいよ。そうして私は自分が不在だった2週間のあいだに、彼の評価がやさしくておおらかでかっこういい元親さん、から、やさしくておおらかでかっこういいけど振るときは意外と容赦ない元親さん、というふうに変わったことを知った。眼福だったのになあ、あの二人、とまるで他人事の彼女は、ちいさくぼやいて嘆息した。

「そうそう。今日元親さん来てるよ。彼女抜きで残念だけど挨拶してきなよ」

そうして私は初めて彼に逢った。

長曾我部元親という人間について説明するとき誰もがそう語ったように、彼は見上げるほど背が高く、端正な異国めいた顔立ちをしていて、透けるように色が白く、アッシュブロンドの髪は生まれつきなのか、恐ろしいほどよく似合っていた。左目を、アイマスクの片側をへこませたような眼帯で覆っていたけれど、右目の青褪めた銀の瞳の眼光は鋭くて、じっと見つめていたら射殺されてしまいそうだと思った。変に緊張してしまい、視線をかわさないようにぺこりと頭を下げる。垂れた前髪の隙間からそっと彼を見上げると、その銀の瞳はこれ以上無い程見開かれていた。身体が震えた。意味が、わからない。肌が泡だつ。それはまるで恐怖のようだった。

「はじめまして、長曾我部さん、」
私が、俯いたまま、ようやくそれだけの挨拶をすると、彼は目を細めてへらりと笑った。人好きのしそうな、温かい笑い方だった。私はそれですこし肩の力がぬけた。彼は、眉をすこしだけ寄せて、「元親って呼んでくれねえか?」と言った。俺もって呼ぶからよ。私は小さく頷いた。元親さん。私が呟くと、元親さんは、花が綻ぶような嬉しそうな顔をした。



私が元親さんについて語るとしたら、私は彼を海のような人だと言うだろう。おおらかそうな、容貌。実際優しい人なのだと思う。それも、理由の一つだ。ただ、彼が私の名前を呼ぶとき、私は漣を思うのだ。砂浜に立って、波が引いていくときの、あの感覚。さらさらと、静かに、足元の地面を削り取られる。 帰り道、同僚の女の子は鞄を振って歩きながら、なんか元親さん今日変だったね、と言った。その台詞は会話の中の本の一瞬、潜水艦の先が海面から小さく覗くように、ほんの少しの影を落としただけだったけれど、口に出すはしから忘れてしまうような、取り留めの無い話をしながら、私の頭には元親さんのことがずっとずっと巡っていた。十字路で彼女と別れたとき、私はなんだか叫びだしそうになって、痛む頭を抑えながら走り出した。涙が零れた。これは一体、なんだろう?意味が、解らない。


物の目