もうそれがいつのことだったかよく覚えていないが、兎も角よく晴れた日だった。雲一つなく、抜けるような青い空で、風が酷く冷たかった。綿を入れた羽織を着て、二人で一里ほど歩いて、城下を一望できる小高い丘まで出た。俺より少し前を歩くの足袋が驚くほど白くて、目を焼くかのように眩しかった。丁度紅梅が満開の時期で、はそれを見たがっていた。花を見る為だけに出かけるのは初めてだったが、改めて見ると群生した梅の花は枝に纏わり付くようで、なんだか重そうなものだと俺は思った。は丘の上から、梅や、城下で動き回る人々を見ては至極機嫌がよさそうに微笑んでいて、何がそんなにも楽しいのか、俺にはよくわからなかった。の父親が歌を嗜む、大層な風流人だと知っていたので、梅が見たいなら情緒のわかる人間を連れてくればよかったのにと思った。俺にそういう素養が全くないことは自他共に認めるところで、己ですら辟易するほどなのだ。帰り道、俺を誘うぐらいなら乳母でもつれてくればよかっただろうと思ったままのことを言ったら、は笑うのをやめて、すこし眉をよせながら、わたしは幸村さまと見たかったのですと小さく呟いた。気を使ったつもりだったのだが全く見当違いだったらしいと気づいて後悔した。そのようなの顔などそれまでもそれからも一度も見ないから、恐らくそれはよほど酷い台詞だったのだろう。

思えば俺のような朴念仁に嫁いで嘸かし苦労したことだろう。俺は恋などとは無縁の男で、そもそも妻を娶るつもりすら無かった。元は生涯独り身で過ごす気でいたのだ。それがそういかなかったのは、との縁談が御屋形様に薦められたものであったからであった。佐助の説得がなければそれすら了承していなかっただろうと思うと、真に不孝の極みであるし、またにも申し訳ない想いがする。旦那にはもったいないぐらいいい娘だと佐助はよく揶揄するが、これはまったくその通りで、俺には返す言葉もない。は出来た妻だった。俺はから不満のひとつも聞いたことがない。だから、紅梅の下で寂しげな顔をさせたことを、未だに根に持つようにして覚えている。緩い傾斜の坂道を一人で歩く。空はあの日と同じく真っ青で、一筋鯉の鱗のような模様の雲が流れていた。吐く息も白い。風は凍えるように冷やかだ。丘の上は、いつかとまったく変わらぬ景色で、城下では人形のように小さくなった人々が、ちまちまと忙しなく動き回っている。俺は満開の紅梅の枝を手折り、油紙に包んで懐に入れた。



先日親方様にの病状を申し上げたら、しばらく上田に留まるよういわれた。そうに伝えたら、彼女は酷く申し訳なさそうな顔をした。俺は謝らないようにと先に釘をさしたのだが、は首を振った。そうして布団で口元を隠して、すこし喜んでしまってごめんなさい、と言った。尚のこと謝る必要がない、俺も有難いことだと思っていたのだ。は、もうあまり長くはない、らしい。先月、二男を生んでから身体を壊した。最近は、縁起が悪いと女中に言われても本人は好きだといって聞かない、真っ赤な椿の咲く庭がよく見える部屋で、晴れた日は障子を開けて、日がな一日花や木や空を見てる。子供たちに弱ってるところを見せられないと子供の相手をするときは無理をしてでも身を起こしてるので、俺も周りも気が気ではない。しかし、見た目より頑固な女子なので、言っても聞きはしないのだ。そんなことさえ、知ったのは最近だ。

縁側をできるだけ静かに歩く。は足音で俺がわかるとのだという。障子は開いていた。は布団に首まですっぽりと収まっていて、ちいさく寝息を立てていた。俺は障子を閉めた。布団から少しだけ飛び出している細い指先を握った。が、薄目を開けて俺を見る。
「ゆきむらさま、」
「いい、寝ていろ」
先刻まで子供の相手をしていたのだという。あまり無理をするなと叱ったら、お互い様だと笑われた。また戦の話でも佐助に吹き込まれたに違いない。

「それに、もうあまり時間がないのです」

俺は唇を噛んで首を振った。懐から油紙に包んだ梅の枝を取り出して、のそばに置く。来年は必ず梅を見に連れて行くから今年はこれを見て元気をだせと言ったら、は大きな目を見開いて梅の枝を見つめ、それからほろほろと泣き出した。俺の手を握りしめて、ありがとうございます、わたしはほんとうに幸せです、ゆきむらさまお慕いしております、と、そう言って泣いた。白い頬に伝う涙を拭ってやりながら、こんなことにこれほど喜ぶのだったらあのときの梅ももっと楽しんでみてやればよかったと思った。梅にはなんの興味もなかったが、が楽しそうなのは、無粋な俺でも確かに嬉しかったのだ。そんなことにも今更気づいた。あのときに、お前が楽しそうで良かったと、言ってやればよかった。



紅梅の咲くころ