4限の数学をサボった青峰サンがまだ教室に戻ってこない。ボクは自分の弁当を食べながら彼が弁当を取りにくるのを辛抱強く待っていたのだが、休み時間が残り十五分になった所でとうとう待ちきれなくなって探しに行くことにした。彼を待ちながらの食事は気が散って、折角作ったお弁当の味もよくわからないのだから仕方がない。それにボクは、一生誰にも言うことはないと思うけれど、今迄青峰サンが僕の弁当を残したことは一度もなかったことが、まるではじめから何も入っていなかったみたいにからっぽになってかえってくる弁当箱が、いつもこっそり誇らしかった。食べかけの自分の弁当を包みなおして、それよりも三倍は大きな彼用の弁当箱を抱え、ボクはふらりと教室を出た。彼の行き先について想いをめぐらせて、ふと桃色の髪が頭を過ぎる。「青峰君はいつも屋上で寝てばっかり」と、幼馴染の桃井さんが零しているのを聞いたことがあったのだ。足は自然と屋上へ向いた
小走りで階段を上り、鉄製の重いドアを開けると、冷たい風が吹いてボクの髪を揺らした。微かなゴミが目に入ったような気がして瞬きをして首を振り、入り口の段差をまたぐ。屋上は人気もなく寒々しくて、実際とても寒かった。左右を見回しても人気はない。どうやら当てが外れたようだ、絶対いると思ったのに。肩を落してフェンスの向こうに視線を投げると、校庭のポール時計は昼休みの終わりを今まさに告げようとしているところで、なんだか無性に虚しい気持になって溜息を吐いた。急いで戻れば授業に間に合ったかもしれないけれど、走る気力も湧いてはこない。ボクはバスケ以外は何をやっても中途半端でダメなんだとがっかりしていると、スピーカーがよほど近くにあるのか、大音量でチャイムが鳴って耳に痛く、更にいっそう落ち込んだ。
「あ?良?」
膝を抱えて蹲る惨めなボクの耳に、聞えるはずがないと思っていた声が届いて、反射的に顔を上げた。給水タンクの上に彼はいた。丁度今起きたばかりといった様子でだらけて座り、目を擦りながらこちらを見下ろしている。余裕たっぷりに欠伸と伸びをして、淵の赤くなった半眼でボクを見ていた。
「何してんだ?」
そう尋ねる声は眠たげだ。青峰サンを前にするといつも畏怖が先に立つのだけれども、そのときばかりは何故だかひどく呆然としてしまって震えるのも忘れていた。
「お弁当を」
続ける言葉を思いつけないままそれだけ呟いてずしりと重い青峰サンの弁当箱を掲げた。青峰サンは少し目を見開いて、すごく、―――びっくりした、みたいな顔をした。猫がいきなり水をかけられたみたいな、というか、とにかくそんな感じの顔だった。彼のそんな顔を見たのは初めてだったのでボクもすごく驚いてしまい、2、3歩後ずさりする。しかし彼はそんなことには気付きもしないみたいで、すぐにボクから目線を外し、がしがしと頭を掻いて梯子に手をかけ、するりと地面に降りた。ポケットに手を入れて、ゆっくりとボクに近づいた。
「サンキュ」
「え、あ、いえ、スイマセン」
「あ?何に謝ってんだよ」
スイマセン!だけど青峰サンは今度は無視して、すぐ傍のフェンスに寄りかかって座り、立ち尽くすボクの目の前で弁当の包みを解いた。ボクは目的を達成したので頭を下げて帰ろうとしたのだが、青峰サンがボクの弁当を指差してお前も食うんだろと言うので、断るのも恐ろしくてうっかり頷いてしまい、少し間を空けた隣りに腰を下ろした。金網がかしゃんと音をたてた。震える指で時間をかけて自分のお弁当の包みを開く。蓋を開けると食べかけのくまのお握りがこちらを見ていた。
青峰サンはいつも弁当を受け取るとどこかへ行ってしまうから、ふたりだけでご飯を食べるなんてはじめてのことだった。恐怖と緊張で箸を持つ指が震えて仕方がなかったのだけれども、隣でもくもくと食事を続ける青峰サンをこっそり盗み見しているうちに、いつのまにか収まった。不思議だ。青峰サンの箸の持ち方が案外綺麗だった所為かも知れない。彼は多分いつもそうしているとおり、ボクの作った弁当を隅々まで残さず食べた。食事中は何も言わなかった。ボクがちらちらと様子を窺っているのだってきっと気付いてたのに。
「やっぱうめーわ、お前の弁当」
洗ったばかりみたいに綺麗になった弁当箱に蓋をして彼はそう呟いた。ボクを見ないで、フェンスの向こうに目をやっていた。ボクは彼の顎のラインを見上げて、彼ほど綺麗にはなっていない自分の弁当箱を包みなおしながら何故か、この人はもしかするとすごく寂しいんじゃないかなんてバカみたいな妄想をしてしまった。

(ひとりぼっちのライオンさん/桜井と青峰)