俺はホモじゃないけど緑間とキスできるかと言われたら多分できるッつーか衝動的に緑間にキスしたいと思う瞬間が全くないとは言い切れず、ていうか切実にそういう瞬間が存在しているらしく、そもそも男同士でキスができるかできないかなどという普通に生活していれば全く考える必要の無いことをつらっつら考えている時点で相当ヤバイこれキてるぜと思うのだがそれでも俺はホモじゃない。だって女抱いたこともあるしAV見れば盛り上がるし女体に興味津々だしアイドルとかはよくわかんねーけどクラスにいたら多分惚れるし、吉高由里子超好みだし、兎にも角にも女が好きだ。性的に見て極めて普通。いやちょっと縛ったりすんの好きだけどまだマジョリティの範囲だろう。勘違いしないでほしいのだが俺は同性愛に偏見とかはない。好きなもんは好きなんだからしょうがないし好き同士なら幸せに暮らせばいいと思う。恋愛で悩んでる女の子の健闘を祈るのと同じ重さで彼らの幸せを願ってる。少なくとも自分は同性相手に性的興奮を覚える趣向がないという話だこれは。ただちょっと時々緑間にキスしたいなと思うことがあるだけだ。 ふざけろ。ただちょっとじゃねえよ自分で自分にツッコむわ。どういう精神状態だとストレートの男が195cmもある野郎のチームメイトにキスしたくなるんだよ。そもそもそういうことは女としたいと思っているのは事実だが、キス?何でキス?セックスがしたいことは何度もあったがキスをしたいなどという強烈な欲求を抱いた記憶は終ぞない。要約すると俺が十五年間生きてきてキスしたいと本気で思ったのは緑間真太郎ただ一人ということになる。マジかよ・・・。自分で出した結論に打ちのめされた。要約しなければよかった。いよいよヤバイじゃねえか。冗談じゃねえよ俺長男だぜ。息子が195cmの男とキスしたがっているなどと知った時の親の顔を想像するだけで気が滅入る。画風が確実に楳図かずおになるだろう。家庭の気温は氷点下を下回り妹ちゃんだってもういつもみたいに笑ってくれないに違いない。オウフ。絶対言えねえ。言うつもりもないが言えねえ。つうかマジ妹のこと考えると胃が融けそうな気がしてくるからもうやめるわマジで。もっと楽しくて有益な事を考えよう。たった一度きりの人生だ、楽しいのが一番だろ。 「なっ真ちゃん!!」 「いやいきなりなんなのだよ」 珍しく黙っていると思ったら。伏せていた頭をいきなり上げて振り返った俺を、件の緑間は迷惑そうに眉根を寄せて一瞥し、小さく溜息を吐いて読んでいた本を閉じた。呆れたように言うわりに不思議と棘はなく、ブックカバーのかかった文庫本はそのまま机の中に仕舞われる。適当に空笑いを飛ばして誤魔化したが、わりかし深刻に気にされていたらしいことが知れた。 「何読んでたんだよ」 「死者の奢り」 「何ソレ?誰の本?」 「大江健三郎も知らんのかバカめ」 「いや知ってっけどさー、ノーベル賞の人だろ?面白れぇの?」 そりゃま、いつも間断なく話しかけてくる奴が急に黙り込んで静まり返っていたら気にもなるわな。緑間は見た目の印象ほど周囲に無頓着ではないし、俺と緑間はなんと言うのが適切なのか微妙だが、仲が良いのだ。別に俺の自惚れじゃない。つーか授業中も休み時間も部活も下校時も一緒で普通に会話してて憎からず思っている相手を仲が良いと言えないわけがない。ズッ友と言っても過言ではないはずだ。冗談。俺は身体を横にずらして姿勢を崩し、緑間の机に肘をついた。緑間は端に置かれていた汁粉の缶を掴んで緩く振り飲み干す。テーピングを巻かれた指が缶を机に置きなおす。空き缶が机にあたり、軽い金属音がした。他愛ない話は一瞬途切れ、俺は頬杖をついて緑間の動作を見ている。5限と6限の間の短い休憩。昼下がりの黄色い日差しが薄いカーテン越しに差し込んで、思い出したように風が布地を波立たせた。緑間ははためくカーテンの隙間から窓の外を一瞥する。睫が長く、頬に影が落ちそうだ。綺麗な顔だと思った。何でもなく、何の意味もなく、ただ綺麗だと思った。呆然と眺めていると、鋭い目が俺に戻る。視線が交差する。不機嫌と心配の丁度中間ぐらいの、困ったような呆れたような表情で、緑間は一度息を吐いた。 「何だ」 「え」 「さっきから様子がおかしいのだよ。何か言いたいことがあるならはっきり言え」 「緑間」 「何だ」 「お前俺とキスできる?」 という質問が俺の口から出てきたことに一番驚いたのは間違いなく俺である。次点で緑間本人。と言っても教室は適度にざわめいていて隣の近所の連中は都合よく席を外していたので、俺の世迷言を聞く羽目になったのは俺と緑間だけなのだが。緑間は漫画のように典型的なやりかたで噴出した。口の中に汁粉が入っていなかったのは不幸中の幸いと言う他ない。つーかショックで噴出す奴現実で初めて見た。俺も大概だが、こいつも相当リアクション過多だ。予定にはまったくなかった行動をしてしまい賢者モードになっている俺の頭は矢鱈と平静で、気管に入ってしまったらしい緑間が机に突っ伏して必死で咳き込んでいる背中に、手を伸ばして叩いてやった。涙目の目がぎろりと俺を睨み上げる。こわ、と思いながら、同時に自分がこんなにも冷静な理由に気付く。俺は今、別に緑間とキスしたくないのだ。出来るかって言われれば、まあ、できなかねえけど、ぶっちゃけ相当嫌いな奴でもなければ、やれって言われて絶対にできないほどのことでもない。そう。冷静になってみれば、どうでもいい。キスしたい!と思っているのは問題だが、キスができるというのはさほどたいたことじゃないのだ。 「な・・・何を」 「いやー・・・悪ぃ」 「・・・何考えているのだよ・・・!」 「だからごめんて。なんか魔が差したっつーか。ホモじゃねえから安心しろ」 「魔が差したってなんなのだよ」 「いやだからもういいって」 「ふざけるな!ちゃんと話せ」 漸く咳きから復活した緑間は見るからに焦って身を机から乗り出さんばかりだが、緊急度が著しく下がって急激に面倒くさくなった俺は片手を振りながら欠伸をした。 「一瞬出来そうな気がした瞬間があったんだよ。でも気のせいっぽい。気にすんなって」 タイミングよく授業開始のチャイムが鳴り、鳩時計みたいに教師が教室に入ってくる。俺はこれ以上何か言われる前にさっさと身体を前に向けて机の中から数学Aの教科書を引っ張り出した。寝ない授業ナンバーワンといえば数学Tなのだが、Aでもまあ、悪くはない。少なくとも現社よりはずっとマシだ。そもそも野郎とキス云々を考えてしまった最大の原因は5限の現社で爆睡こいたことなのだ。夢を見たのだ。これ以上ないほど鮮明でリアルな夢だった。試合中。残り5秒。爆発寸前といった熱気に包まれる会場。点差はギリギリ勝ってる。俺がパスを出して、バスケットボールが緑間の手にある。シュートモーションがスローで再生され、手から放たれたボールは美しい軌道を描いて高く高く上がってく。完璧な放物線。最高点を超え、獲物の首を落すように、容赦なく一瞬で落ちていく。網目を潜るボールの軽い摩擦音がブザーにかき消され、歓声と絶叫が爆発してコートの中の熱気は最高潮、お前が俺を見る。どんな目でもない。どんな比喩にも意味がない。勝った。俺たちが勝ったとお前が目で告げる。俺は五月蝿すぎてよくわからなくなっている心臓をユニフォームの上から押える。口は勝手に笑ってる。駆け寄って背中を叩いて。それで。だから。 キスしたい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・いややっぱキスしたいと思ってんじゃねえかコレ。 駄目だ。助けて妹ちゃーん。どういうことだかさっぱりわからないのよ。下手を打ったら家庭が崩壊する重大事項だ、軽率に結論を出さないほうがいい。俺は諦めて思考を打ち切り、大人しく教師の指定する問題を解いた。解き終わらないうちに、ヒステリーの気のある年配の女教師は緑間を指名し、緑間はさっきまでの動揺なんざ微塵も感じさせず、よどみなく正解を答える。低いのに聞きやすい声を聴きながら、とろりと迫ってくる睡魔を追い払うように筆圧を強くした。目を擦っている間に授業が終わり、HRをやりすごせば、あっという間に部活が来る。フィルムを巻くようなスピードで時が過ぎていく。めまぐるしい。鞄を肩にかけて廊下に出て行く緑間の後を追った。聞かれるかと思ったが、緑間はもうさっきのことは忘れることにしたようで、本日のラッキーアイテムピンクの爪切りを片手に無言で前を歩いていく。妙なところで物凄く頑固なわりに、変なところでわりと簡単に身を引くのだ。良かったような、良くなかったような、微妙な気分だ。もしも蒸し返されていたとしたらこの上なく鬱陶しく感じただろうから、多分お互いにとってはいいことだったんだろうが。 「真ちゃんさァ、」 そうだ。いい。そうしてくれるならと俺もさっさと忘れることにして、後頭部で腕を組んだままいつもどおりの適当な軽口を叩いた。前を歩く背中は振り返りもせず、しかし律儀に返答を返してくる。部室を開けると先輩たちは既に準備を終えていた。いくつか鋭い視線が飛んできて、早く着替えろと急かされる。入る瞬間だけ部屋に染み付いた汗の匂いが鼻についたが、すぐに空気に慣れてわからなくなった。部活が始まると俺は思惑通りにさっきまで散々頭を悩ませていた事を忘れた。一瞬だった。なんのことはない。頭から飛んだ。練習中に余計な煩悩に振り回されている余裕なんか無かっただけの話である。軽い吐き気をなんども飲み込んで時間は過ぎた。帰宅するころには緑間相手にくだらない質問をしたことすら忘れてた。家に着いて風呂に入って飯を食ってすぐに寝た。泥のような眠り。朝まで一度も目を覚まさなかった。何かを考える余地なんざない。加えて、緑間本人に悩みの元を共有させているという事実は少なからず俺に安堵を抱かせていたのだろう。一度喋ってしまえば少なくともそれはもう秘密じゃない。やり方を間違えたのは事実だが、出てきた結果はそれほど悪いもんでもなかったということだ。簡単に心が軽くなった俺は都合よく忘却の彼方に欲求を捨て去った。恐らく緑間も、多分俺よりは気にしていたと思うが、それほど深刻にならなかった筈だ。なんと言ってもアイツにとっては他人の感情の話だし、四六時中俺と一緒にいて、俺はいつもどおりなのだ。わりとすぐに忘れたことだろう。流れるように時間は過ぎた。しかし一度起きた問題は魔法みたいに簡単に解決してはくれない。 あれから四日経った土曜日。当然強豪バスケ部に休みなどは無い。当たり前のように練習試合だった。おは朝星座占い堂々の一位を獲得した緑間はラッキーアイテムのハムスターのぬいぐるみをベンチに置いて慎重に指のテーピングを外し、淡々と鑢で爪の先を削った。いつも通り。一位だからって気を抜いたりするなんざ絶対に有り得ない。練習試合にしては珍しく、監督は初めから緑間以外のスタメンを全員出した。意味はすぐに知れた。第1クウォーターが終わっていいチームだと大坪さんが言う。さすがキャプテン全くその通り、の、いいチームだった。同ポジのPGは三年、月バスに取り上げられていたのを見たことがあった有名選手だ。勝手に口端が吊り上る。熱狂する観客もいないし咽喉から手が出るほどほしい出場権もかかってないが、どうしたって負けたくない。負けない。バッシュのスキール音がいたるところで響いて、コートは熱気に包まれる。身体が中から熱い。風を切る汗ばんだ肌が冷える。パスが通る、シュートが入る、誰かの怒鳴り声がする。練習は死ぬほどキツイし負けると腹ん中から爛れるように悔しいのが難点だが試合は楽しい、これ以上楽しいものなんかほかにない、無くていいとすら思うのだ。俺も大概バスケ馬鹿だよな。 第3クウォーターでうちのエース様が出て、試合の流れががらりとかわった。敵だった頃、咽喉を掻き毟りたくなるほど手の届かないことが悔しかった、美しい軌道を描くそのシュートは、味方の俺の目をこれでもかというぐらい強烈に惹きつけてネットを潜ってく。俺の咽喉が賞賛のために鳴る。真ちゃんスゴイ!叫んで、背中を叩くと、真ちゃんは黙って眼鏡を上げた。少しだけ口元が笑っていて瞠目する。俺の口元はもっともっと吊あがる。体育館中光の粒を撒き散らしたみたいにキラキラして見える。息が切れるのも気にならない。いつまでだって走っていたいが残り時間はもう数秒で、俺の手の中のボールは、引き寄せられるようにその手に向って飛んでいった。長い指がボールを掴んで、構えて、ゆっくりと遠く離れてく。美しい放物線。人事を尽くすお前だけのスリーポイント。完璧なタイミングのブザービーター! 一気に弛緩する空気の中、俺はユニフォームの裾で顎から落ちる汗を拭った。顔を上げると眼鏡越しに形のいい目がこちらを見ていて視線が合った。もともと笑っていた上にわかりやすく笑いかけようとして巧く表情が作れずかえって崩れかけた笑顔、なんだか変に慌てて真ちゃんと呼ぼうとして音がないことに気付く。真ちゃん、俺は、俺ね。何を言おうとしているのか言葉にする前に忘れてしまう。口の中が乾いているせいか?真ちゃんは真直ぐ俺を見据えて、滴り落ちる汗を多分無意識に指でぬぐいながら、そんな事をするつもりは一切無かったのに思わず零れたという表情で俺を呼んだ。真空の中にいるみたいで、うまく聞えなかった。唇が動いて、それで俺が呼ばれているのだとわかった。 「高尾」 「なに、真ちゃん」 集合だぞと大坪さんの鋭い声が飛んで止まってた空気が普通に動き出したので、俺はぽかんと口をあけて広い体育館の真ん中に集まっていく先輩と相手チームの選手達の背中を見た。すぐにハッとして真ちゃんを振り返る。さっきまで呆けて立ち尽くしていた身体は震えてる。肩は常より丸く下がって、顔は俯いている。つむじが見えた。表情は確認できないが充分だ、耳どころか首まで赤い。ちょ、嘘、マジか。俺お前の考えてることわかっちゃったんだけど。お前も俺が考えてることわかっちゃったんだよね?ヤバくね?真ちゃんに釣られるように俺の顔も火照りだして無性に恥ずかしい。ヤバイどころの話じゃない。 「い、今のはナシなのだよ!!!!!!!!!!!!!!!!!」 ・・・・・・いや今更言っても遅えよエース様。余計恥ずかしいわ。 勿論赤面していつまでも立ち尽くしていた俺たちは、ブチギレた宮地先輩に二人まとめて首根っこひっつかまれて怒鳴り散らされる羽目になった。しかしそれは寧ろよかったのかもしれない。あんな運命みたいなノリで放置されてたらそれこそキスぐらいしちゃってたかもしれねえし。雰囲気って恐ろしいなどと考えている俺の隣で、散々絞られて大分削られたらしく「全部お前が悪いのだよ・・・」と恨みがましく呟いた真ちゃんはそれでもまだ耳の先が赤くて、俺はなんだか泣きそうになってあわてて鼻を押えてしまった。参ったな。なんだろうなコレ。むず痒い。俺もお前も別にホモじゃないんだけど。校門を出て行くチームメイトの列の最後尾、少し離れて並んで歩いた。怒りの似合う顔を存分に顰めているわりに、それほど怒気を感じない。俺は自分より広い背中をべしりと叩いて笑ってやった。 「真ちゃん俺とちゅーしたかったっしょ」 「黙れおぞましい!お前が変な事を言うからおかしくなったのだよ。猛省しろ」 「照れんなって。あーなんだろなコレ」 「俺は絶対にホモじゃないのだよ」 「いや俺もホモじゃねえよ」 ホモじゃないけど。火照った身体をぬるい風が撫でた。群青色の夜の帳が下りた空の下。オレンジの背中が列になって前を歩いている。
やがて哀しき春の日の中
このあと帰り道で二人になったとき一回だけキスするけどなかったことになる 別にホモじゃない |