ガラス天板のテーブル型インベーダーゲームがあり、古くて煙草くさい緑のソファーがあり、汚れたレコードプレイヤーが掠れ気味に「カーマは気まぐれ」を流している。そういう1980年代風の喫茶店で、承太郎の向かいに座った花京院典明は、インベーダーゲームの上に置かれたパンケーキの皿にメープルシロップを垂らしているところだった。相変わらず丈の長い学生服を着てチェリーのような形のピアスをつけている。承太郎は頭にのせた学生帽のつばを引っ張って、一瞬の後に、それが夢なのだと気づいた。何故なら彼は今既に30代も半ばであり学生帽なんて久しく被っていなかったし、喫茶店にガラス天板のインベーダーゲームがあるのは普通なんて時代は彼が十七とかそこら辺のまさに青春真っ盛りを生きていた頃のことでとっくの疾うに「昔」に認定されていたし、花京院典明もまたその時代と共に時間の流れから外されて置き去りになっていたはずで、こんなところにいるわけがなかったからである。やれやれだぜ、と承太郎は思った。そして随分と懐かしい、自分の学生服の襟元を何の気なしに弄った。

「21世紀には、」

とパンケーキを切りながら花京院は言う。「どこでもドアはあるのかい?」

「どこでもドア?」承太郎は胸ポケットを探って、疾うにやめたはずの煙草を取り出しながら首をかしげる。「何だそれは」

すると花京院はフォークとナイフを持ったまま信じられないものを見るように承太郎を見返した。「どこでもドアだよ。君もしかして知らないのか?」

「知らねえな」
「君って本当に日本人なのか?ドラえもんを見ていなくたってどこでもドアくらいは知ってるものだろう」

ドラえもん。いくら承太郎だって名前くらいは聞いたことがある。が、詳細は知らない。承太郎は溜息を吐く花京院に若干の苛立ちを覚えたが、知らないものは知らないので黙殺した。彼は煙草をふかしながら辛抱強く花京院の説明を待っていたのだが、当の花京院は、あ、あれは22世紀の話なのか、と言ってひとりで勝手に納得してしまう。聞き返すのも癪なので、話題が変わるのを待つことにして、灰を薄いアルミの灰皿に落す。花京院はパンケーキを咀嚼しながら暫く何か思案していたが、やがて承太郎に視線を戻した。

「ではタイムマシーンは?」
「ねえな」

今度は確信を持って間髪入れずに応えた。花京院は残念そうに眉を寄せてソファーの肘掛に肘をついた。

「車は空を飛ぶかい?」
「飛ばねえな」
「人間は宇宙へ気軽に旅行しないか?」
「滅多なことがなきゃ、しねえだろう」
「地面はベルトコンベアみたいに自動で動かないか?」
「そうなっている場所もあるにはあるが、空港ぐらいだ」
「ロボットのお手伝いさん」
「ない」

花京院はそんな調子で幾度も彼の考える未来のテクノロジーの実現について尋ねた。彼の時間は20世紀末頃に永遠に止まってそこから先へは進んでいないので、彼が21世紀と言う時代についてどんな荒唐無稽な予想をしていたとしても無理からぬことである。承太郎はそれらをその都度否定した。承太郎の生きる21世紀にはどこでもドアもタイムマシーンも空飛ぶ車も宇宙旅行きの格安な切符も動く地面もロボット女中もいない。そう考えると自分は随分つまらない未来を生きているものだなと彼は思った。彼だってあと十年もすればタイムマシーンぐらいできているかもしれないと思っていた時期がないではないのだ。粗方の未来への夢を粉々にされてしまったらしい花京院は膨れ面でナイフとフォークを空になった皿に置き、珈琲カップに口をつけてつまらないなと承太郎が思ったのと同じことを言う。

「ならなんだ、21世紀は今と殆ど変わっていないのか?」

そんなことはない、と承太郎は言った。そんなことは無かった。彼は21世紀の象徴として相応しいテクノロジーについて考える。

「折りたたんで携帯できる電話があるな」
「トランシーバーみたいだな」

花京院はとくに感心もせずに言う。物憂げだった。彼は日本の子どもたちがそのトランシーバーみたいな電話機に、肌身離さずにはいられないほど深く依存していることも、インターネットなんてやかましくて複雑な空間があることも、到底思いつかないようだった。インターネット。言葉にして説明するのは難しい。承太郎は取り敢えず目に見えるテクノロジーの変化について思いつくままにあげていくことにした。

「テレビが壁にかけられるぐらいに薄い」
「テレビって君に似合わないな」
「電子媒体で本が読める」
「電子媒体ってなんだい」
「パンが材料を突っ込むだけで焼ける」
「ふうん」
「CD型のビデオができた」
「・・・・現実的だな」

そんなことはないと承太郎は繰り返した。彼が17歳だった頃、花京院が生きていた頃から20年近くが経っていた。たしかにつまらなくはあるし、夢々しくもないけれども、あの頃には想像もできなかったことは本当にたくさんあるのだ。何も技術だけが未来ではないだろう。エジプトでの戦いからその先の未来をきちんと現実として過ごしてきた承太郎の不満を感じ取ったのか、花京院は楽しそうに、じゃあ未来に何が起こるんだいと言って笑った。1988年から2010年までのこの約20年。タイムマシーンやどこでもドアや空飛ぶ車やロボットの女中のいない代わりに、インターネットと携帯電話と携帯電話依存症のこどもと壁にかけられるテレビがある時代に至るまでの。昭和が終って平成になる。ソ連が崩壊する。冷戦が終る。バブルが弾ける。欧州連合が発足する。日本社会党が連立政権を発足。宗教団体が地下鉄に毒ガスを巻く。阪神大震災。香港が中国に返還される。2000年問題。米国で同時多発テロ事件。連合諸国のアフガニスタン侵攻。郵政民営化。リーマンショック。自由民主党が選挙で大敗し民主党が第一党に。――新聞をなぞるように思いを巡らせていく。


「未来のことは予測できないな」

承太郎の回想がわかるのか、花京院は感心したように息を吐いた。驚くことはない。これは承太郎の夢なのだ。花京院はあくまで花京院の形をとっている存在というだけで、本物は土の下でとっくのとうに朽ち果てている。何を言われようがあせることはない。

「君は幸せになると思ったんだけどなあ」

やれやれだぜ、と承太郎は思った。形式上の花京院に向かって。形式上。そうだろう。そうでなければ、やってられない。

「責めているのか」
「いや、ただそう思ってたんだよ。ぼくの予想は外れるみたいだ」

20年。何かを風化させずにいるにはあまりに長い時間だった。人間はいろんなことをとても簡単に忘れてしまうのだ。インベーダーゲームなんてもうどこにもないし、レコードを聴く人間だって激減しているし、誰だって喫茶店に入るよりもマクドナルドに入ることのほうが多いに違いない。大人たちは散々問題を起こして退陣した社会党の残党と自民党脱退議員の寄せ集めで作った政党をまたも第一党に据えてしまった。忘却と変化。それはさしもの承太郎だって例外ではないのである。命がある限り生物は時の流れから抜け出せはしない。1998年の冬に空条承太郎は吸血鬼を倒して秘密裏に世界を救い、神話は終った。しかし彼はめでたしめでたしの先を生きていかなければならなかったのである。承太郎はその後大学へ行き結婚をし娘を作り研究者になり年下の叔父と出会い世界を巡り離婚をした。その間1997年から1998年に起こった出来事を夢のようだったとは一度も思わなかったけれど、彼はもう二度と17歳の自分がどうしてそんなにも強くあれたのかを思い出せなかった。彼は前よりずっと躊躇うことが多くなったし失うことが怖くなった。自分に対する絶対の信用も、人間は孤独なものだという傲慢も、あの蛮勇とも言うべき輝かしい確信はけして彼に戻りはしない。神の如く強かった青年はもう世界のどこにもいない。

20年。それは神を人に至らせるにも充分すぎる重みを持った時間だったのだ。

「なあ、承太郎」

花京院が躊躇いがちに目を伏せて彼を呼ぶ。承太郎は目線を上げて花京院を見た。目が合う。こんなことはあまり言うもんじゃないと思うんだけど。承太郎は歯切れの悪さに苛立ちを覚えて舌打ちしながら煙草をもう一本取り出して火をつけた。続きを促すようにこつこつとガラスの天板を叩く。花京院は一旦視線を空中に彷徨わせてから、そろそろと承太郎を見返した。何かを恥じているような、父親の顔色を伺う子どもみたいな、そんな感じの顔だった。

「もしかして僕は、死なないほうが良かったんだろうか?」







承太郎が目を開けるとそこには見慣れた白い天井があった。朝だった。ブルーのカーテンの隙間から白っぽい朝日が差し込んでいる。身を起こすとテレビが目に入った。壁にかかるタイプの液晶だ。机上にはノート型のパソコンも置かれている。彼は学生服ではなくいつもどおりのシャツを着ていて、それはきちんとした、21世紀の朝だった。インベーダーゲームもないし、花京院典明もいない。テレビのスイッチを入れ、天気予報を見る。鬱陶しいぐらいに地上波デジタル放送についての宣伝テロップが流れている。彼は珈琲を入れ、ベッドに腰掛けて天気予報を聞きながら2010年3月4日の新聞を捲る。特にめぼしいニュースは無かった。彼は新聞を置いた。特別なことなんか何も無い。3月4日はバームクーヘンの日だったが、承太郎がそんなことを知っているはずもない。机上のパソコンの横に置かれた写真に目を遣る。娘と別れた妻の写真。それから、1988年に仲間たちと撮った写真。

「そうだな」

と承太郎は呟いた。彼にもその両親にも申し訳なかったと思ってはいたが、その死はあの吸血鬼を倒すために必要な礎だったので、そのことについて主観的にどうだとか、本当に考えたことがなかったのだけれど、――否、態々こんな手の込んだ夢を見るのだ、考えないようにしていただけかもしれない。事実とは無関係な仮定の話ほど彼の嫌いなものはなかったから。しかし、言われてみればなるほど、そうかもしれなかった。一度気づいてしまうと、あとはすとんと納得できて、承太郎は少し感心してしまった。パズルのピースがぴったりあったようだった。

お前に死んでほしくなかった。花京院。彼はそう言って珈琲を一口飲んだ。濃い目のエスプレッソだ。エスプレッソもそういえば、20世紀には家庭で気軽に飲めるタイプの飲み物ではなかったと彼は思った。





(緩やかな終焉)